41 後日談
エウレカのカラオケ大会の翌日、仙宮高では雨音の話題で持ち切りだった。
雨音があんなに歌が上手かったのかとか、今度雨音をカラオケに誘おうとか、今まで宮内 理沙や透野 舞衣推しだったけれど雨音に推し変しようなんて言い出す生徒もいた。
あの大会での話題はもう一つあって、それは優勝した志波 樹だった。
最後にステージ上で倒れたので、その後どうなったのかとネットで大騒ぎになり、エウレカの運営側への電話での問い合わせや公式HPへのアクセスが殺到し、電話回線やウェブサーバーがダウンしてしまうまでに至った。
当の志波は、あの後直ぐに病院に運ばれ、幸い命に別状はなかったが、体調が思わしくなく1か月程度の静養が必要となった。
プロデューサーの騎械氏も今回の件で世間から相当の批判を受けたようだ。
彼の提案でカラオケ大会の最終決戦が行われたが、雨音や葛巻も「籠の中の鳥~」を歌った後に酸欠状態になっていたこと、また、メンバーの多くが未成年であるにもかかわらず、昼間から夜遅くまで長丁場の収録をさせたことも問題視された。
はたしてエウレカの次回のカラオケ大会は来年に行われるのだろうか、行われるにしても数日かけて収録を行う等、あまりメンバー達に無理をさせないことになりそうだ。
仙宮高の生徒の多くが(もちろん僕も含めて)雨音の登校を心待ちにしていたが、その日がやって来たのは、カラオケ大会から3週間が経過した頃だった。