2 名前、そして音楽
僕の名前、相馬 塔には、何度か名付けた両親を恨んだことがある。
音だけだと"走馬灯"と聞こえるからだ。
小学校の頃からこの名前で授業中にさんざん周りからいじられた。中学3年の国語のテスト中でなんか
―これまでの出来事がそうまとうのようにかけ巡る―
なんてどうぞ僕をいじってくださいと言わんばかりの漢字の問題が出てくるものだから、その時はクラスメイト達の失笑に耐えなければいけなかった。
そんな僕の名前は当然、高校の初日のホームルームでもクラスメイト達にえ~やアハハという声とともに紹介された。
でもこの高校で名前のことでみんなに笑われたりすることがさほど嫌ではなかった。
生徒を介して巡り巡り、雨音に自分の存在を知ってもらえるのではないかと思ったからだ。
雨音のいるクラスと合同の授業なんかがもしあるならば、そこで自分の名前が呼ばれる、そして雨音がクスッとでも笑ってくれるのなら、これ以上の幸せはないとさえ思っていた。
朝起きて雨音に会えることを願い、会えなくても下校時に明日は会えますようにと祈る―
そんな繰り返しの高校ライフは特に何が起こるわけでもなくても、雨音のおかげで満たされたものになっていた。
学校で会えなくてもエウレカのテレビやラジオでのレギュラー番組に雨音が出演する時があった。
雨音のSNSも毎日欠かさずにチェックした。
テレビやネットで彼女を観る度に、こんなに有名な人がこんなに近くにいるなんて、とやっぱり思ってしまう。
まあこんな感じで雨音の強烈な推し活動を行っているが、もう1つ高校に入学してから始動したことがあった。
それは、音楽制作(作詞と作曲)だった。
僕には4つ年上の兄貴がいた。兄貴は今の専門学校でも学んでいるくらい音楽にかなり詳しかったが、新しいものを買うからとアコギのお下がりをもらった。
2,3年くらい使い込まれていて、ギター本体に傷やネックの歪みはあったが、演奏には十分な代物のようだった。
まずはこのアコギで曲を作り、それに作詞してみることにした。
なぜ高校に入って音楽を始めるのか、それにはやっぱり雨音の影響が大きかった。
中3の受験勉強の合間に映像で観た雨音の歌やダンスに頑張っている姿、自らも高校に入ったら勉強以外にも何かに打ち込んでみたい、雨音に対する気持ちを何か形にしたい、とその時強く感じたからだった。
そんな理由で高校での部活は軽音楽部に入部した。
ギターについての知識はゼロ、チューニングの仕方やコードの弾き方など、兄貴に聞いてもよかったが、全く最初からいろいろ聞くと煙たがられそうだったので止めた。
入部してみると案の定、1年生には自分と同じように高校で初めてギターに触ったという人達がほとんどで彼等と一緒にまずはギターの弾き方から無理なく始めてみることにした。