36 羽ばたく時
2番手の雨音がステージの中央に立った。
(雨音、頑張れ)
僕にできることはスマホ画面の前で祈るだけだった。
そんなことしかできないことに歯がゆさを感じながら、とにかく悔いの残らないパフォーマンスをしてくれと願った。
先ほどと同様のルーティーンでマイクを構えた雨音はその小さな身体で大きく息を吸い込み、そして、深く吐き出した。
その佇まいは、まるで志波のようだ。ゾーンに入り込んでいる。
「お願いします」
2回目の「籠の中の鳥~」が流れる。
曲を聴きながら、僕は最近観た1つの動画を思い出していた。
それは、地元宮城のテレビ局が制作したもので、雨音とその関係者で構成されるインタビューだった。
エウレカに加入前、彼女はまだ地元のご当地アイドル「ビフタン」に在籍していた。
ビフタンは仙台名物の牛タン(ビーフのタン)が由来になっていて、宮城県を代表する5人組アイドルだった。
そのビフタンは地元名産の食レポをしたり、県内のイベントに出演したりとマルチな活動をしていたが、去年の春にメンバーの一人が学業優先を理由に脱退することになった。
インタビューによるとそのメンバーの脱退が雨音に大きな影響を与えたようだった。
小学生の頃から5人で力を合わせ、全国的に有名になることを目標に活動を続けてきたビフタン。
それでも仕事のほとんどは地元の宮城県がメイン。牛肉つながりで三重県から仕事のオファーが来たこともあったという。だが、交通費を含めるとギャラの採算が合わない等の理由で結局断ってしまったらしい。
雨音は、メンバーも事務所もファンの人達も温かくてみんな大好きだったに違いない。
けれど、このままご当地アイドルを続けても将来の自分は果たして満足できる所に立てているだろうか、雨音に限らず売れようと必死にもがくアイドルにはよくある話だ。
メンバーの脱退によりさらに人気が下がるのは目に見えて分かる状況だった。
そんな時だった。ビフタンにエウレカの仙台でのライブの前座をする話が舞い込んできた。
ライブ本番、その時の雨音にとってステージの袖から眺める宮内、透野等エウレカのメンバー達はキラキラとしていてとても輝いていた。
そして雨音は一大決心をすることになる。
当時様々なメディアで宣伝されていたエウレカ1984の3期オーディションに応募することだ。
その報告を受けたビフタンのメンバーやマネージャーはもちろん猛反発した。
雨音はビフタンの一番人気のメンバー。彼女まで脱退したらビフタンの存続まで危ぶまれる。
ビフタンのマネージャーへのインタビューによると、メンバーの中にはショックでうつむき顔を覆う子やただでさえ1人抜けて大変な状況なのにいったい何を考えているのと雨音に問い詰め怒り出す子もいた。
その場にいた全員が涙を流していた、雨音を含めて。
それでも雨音は諦めずに説得を繰り返したという。このまま地元中心で活動を続けても先が見えてしまっている。
自らが国民的アイドルグループの主要メンバーになることでビフタンにも注目が集まるようになることを説いた。それに対してこのままでもいいじゃんと反論する子もまたいた。
これまで誰よりもメンバーとの絆を大切にしてきた雨音にとってこの日が最も辛い一日であろうことは想像できた。話し合いは夜遅くまで続いた。
決定的になったのは、マネージャーが机の上に置いた一枚の紙だった。その紙には右肩下がりの折れ線グラフが表示されており、グループ結成当初からの年間の売り上げを示したものだった。
宮城でもご当地アイドルが次々とデビューしている。解散を考えるのも時間の問題だ。
最後はみんな笑顔で雨音を送り出した。何年後かにまた会おうと約束を交わして。
雨音のエウレカ加入にそんな経緯があったなんて、その時初めて知った。