35 最終決戦
最初に口を開いたのは雨音だった。
「騎械さん! その決勝戦、ぜひやってみたいです。このまま逃げ勝ちみたいな形でこの大会を終わりにしたくないです」
雨音は騎械氏にこれでもかというくらい真っ直ぐな視線を向けている。
「OK! そうこなくっちゃ。それでも雨音は1度1位になったんだから、当初の約束は約束。いずれは雨音のセンターかソロの曲を作るよ」
騎械氏は、志波と葛巻に視線を移した。
「君たちはどう?」
「やりたいです!」
「やらせてください!」
当然だ。2人とも僅差で1位の座を雨音に明け渡してしまった。もう1度歌唱できるチャンスがあるなら引き受けるだろう。
騎械氏はにっこりと笑ってうんと頷くとスタッフと司会の2人を呼んだ。
どうやら決勝戦についての打ち合わせを軽く行っているようだ。
そして数分後、打ち合わせをしていた人達は持ち場に戻り、透野が司会者席で決勝戦のルールを説明した。
「大変お待たせしました。これから決勝戦を行います。歌う順番は3人にジャンケンをしてもらい、決めてもらいます。そして、歌って頂く曲ですが・・・」
透野が一呼吸置く。
「"籠の中の鳥はいつ飛び立つのか"、です!」
会場からは溜息が漏れ、決勝戦に参加する3人の顔が少しこわばっているのが見えた。
無理もない。この曲はエウレカの楽曲中で最難度の曲だ。
その理由は、元々騎械氏がボカロP時代に作った曲で歌い手が人間ではなくボーカロイドを前提としているからである。
それでも彼女たちは辞退するつもりはないようだ。3人でジャンケンを行い、葛巻、雨音、志波の順で歌うこととなった。
1番手の葛巻はステージの中央に立つと、プロの歌手がライブ前に行っているように唇をプルプルとふるわせたり、発声練習をしてウォーミングアップを始めた。
「準備はよろしいでしょうか? 楓さん」
葛巻は透野に一礼し、ゆっくりとマイクを構えた。
イントロが流れる。いかにもボカロ曲ですと言うかの如くけたたましく音が鳴る。
葛巻は曲の出だしから上手く音を拾えたが、歌詞の中の言葉の数やブレスの短さが「生き急いだ頃」や「アドレッセンス」の比ではない。
普段、エウレカはどのようにライブでこの曲を歌唱しているかというとメンバー各自の担当パートがあり、交代で歌っているのである。それでもなかなか歌いこなせないのかテンポを遅くしたりキーを落として歌っているのをライブ映像でしばしば見かける。
音のタイミングが大きくずれてしまった葛巻は一瞬しまったという顔をした。
それでも必死になって食らいついている。音程のグラフを見ると、前半ではズレが散見されたが、後半のサビでは持ち直している。
そして、サビの勢いのままアウトロを迎え、葛巻は持てる力を全て出し尽くしたのか疲れた顔で床にしゃがみこんだ。
即座に2名のスタッフが彼女に駆け寄り、急いで酸素吸入器を彼女の口に当てた。
その光景にスタジオは物々しい雰囲気になったが、落ち着いた葛巻がしゃがみこんだまま透野の方にOKのサインを出すと場が和んだ。
「ありがとうございました。それでは葛巻 楓の得点、お願いします」
AIによる採点方式で新たに得点表が設けられ、小数点3桁まで表示される。
89.373点
こんな難しい曲で葛巻はよく頑張ったと思う。