33 祈り
志波の歌う「流れ星」はこれまで歌ってきた他のメンバーとは別格だった。
久坂、透野、葛巻も十分に上手いのだが、彼女たちの常に斜め上の上手さとでも形容すべきだろうか、「流れ星」を既に自分の物にしてしまっている。
志波の歌い方の特徴は水が流れるがごとく流動的で音に切れ目が無いのである。音程グラフではAメロからBメロときてサビに入る時点で音程のズレが全く無い。余裕すら感じる。
「流れ星」の世界に引き込まれたまま、あれよあれよという間に曲が終了した。
「史上3連覇なるか、志波 樹の得点、お願いします!」
透野の掛け声とともに得点表の数字が回り、1桁目が8、2桁目が9を表示した。
98点―
メンバー、特に1期生が大きな歓声と拍手を志波に送る。八萬タイヤは大げさなくらいに目も口も大きく開けて床にひっくり返っている。
一方、2位に後退した葛巻はやっぱりすごいわ樹さんとでも言いそうな感じでうなだれながらも微笑んで拍手を送っている。
志波の場合もスタッフがカラオケ機器の異常はないことを確認した。今大会はこれだけ高得点が連発するのでスタッフも走り回って大変だ。
「残りあと1名となりました。する必要ないのですが、一応形式上お願いします、透野さん」
「わかりました」
八幡タイヤにうなずき、透野が箱の中にある残り1つのカラーボールをつかんでカメラに見せる。
「7番!」
「はい」
「あーちゃん!ファイト!」
「みんな応援してるよー!」
喜多上、葛巻達が声援を送る。
いよいよ雨音の登場だ。
雨音がひな壇からすくっと立ち上がり、ステージ中央に立った。
彼女は背中を逸らして両腕を折り曲げた状態で後方に2,3回転させ、ウォーミングアップをする。
そして、左足を前に出し、マイクを持つ右腕を大きく1回転させ、マイクを構える―雨音独特の歌唱フォームだ。
僕はこの本気モードで歌う雨音を見るのは2回目だ。1回目は3期生オーディション時、それ以来だ。
頼む雨音、もう結果なんてどうでもいい。点数がどうあれ悔いの残らないパフォーマンスをしてくれ。
イントロが流れる。
先日の握手会の時に雨音がセンターで歌った曲―「夕立」だ。
あのミニライブはあいにく生歌ではなかったので、雨音がソロで且つ生ライブで歌うのを聴けるのはとても貴重だ。
Aメロが始まる。
僕は目を瞑って祈った。
画面越しでも雨音をずっと見つめていると僕の緊張がプレッシャーとなって彼女に伝播してしまうんじゃないか、
そんなことは実際あり得ないとは分かっていてもこうせずにはいられなかった。
「夕立」のPVで他のメンバーとともに激しい雨に打たれながら懸命に走る雨音―
彼女のあの姿を思い浮かべながらとにかく祈った。
曲がBメロに移る。
僕はまだ目を閉じたまま。画面下の音程グラフでは歌声は譜面通り、ズレは全くない―と想像する。
ここまでは志波と互角。そうだ、そうであってくれ。
サビに入る。
葛巻はこの1年で目覚ましい成長を遂げた。雨音だってその間何もしていないはずはない。
宮城と東京を往復する多忙な日々を過ごしながら葛巻以上にもがいて必死に曲の練習をしたはずだ。
雨音、雨音、頑張れ、雨音―
サビが終わり、アウトロが流れる。
僕はようやくここで目を開けて画面を見た。やりきった感に溢れる雨音の顔があった。
よかった―
僕も安堵し、1呼吸置いた。雨音の歌っていた姿は後で見逃し用の公開動画で見直そう。
メンバー全員の歌唱が終わり、メンバー、審査員の騎械氏、スタッフが総立ちで拍手をする。
最後の雨音に対してというよりも長丁場の収録を無事に乗り切ったみんなに対してだろう。
そして再びスタジオがシーンと静まり返る。
八幡タイヤと透野が声をそろえる。
「それではただ今の雨音さんの得点、お願いします!」
ドラムロールが流れ、得点表の1桁目が9。
2桁目がカウントアップされる。葛巻、喜多上ら3期メンバーが固唾を飲んで見守っている。
僕も再び目を瞑り祈った。
(行け! 行け!)
数秒後、ワーとかキャーという悲鳴に近い声が上がり、スタジオが盛り上がっている様子が画面越しに聴覚を通して伝わってきた。
まさかと思って、ゆっくり目を開けると得点表にはこの大会始まって以来の最高得点99点が表示されていた。