31 実力者たち
久坂は肩まで伸びたサラサラな栗色の髪を揺らしながら、中央のステージへと移動した。
そして、その自慢の髪をヘアバンドで後ろに結う。彼女はここ一番の勝負の時はいつもそうするのだと半年ほど前の惑星エウレカの2期生特集の際に話していた。
久坂はマイクを構え、スタッフに準備OKの合図を送る。
曲のイントロが流れる。
エウレカの代表的なバラード「Say A Night Prayer」だ。
久坂はこのスローバラードを1つ1つ、音符をゆっくりなぞるように丁寧に歌っている。
CD音源バージョンでは選抜メンバーの歌声を別々に録音し、DTMでその歌声を合成させている。だが、久坂単独だと同じ曲が全く別の曲のように聴こえてくる。なんだか演歌っぽくて詞のイメージがすっと心に語りかけてくるような、そんな感じだ。
とても感情的で人の感性に訴えかけるような歌い方だと思った。
この大会が始まる前、矢巾はるかに前回大会では奇跡的に声が良く出て―と話していたらしいが、彼女の歌唱力は決してまぐれなどではないことは音楽を始めたばかりの僕でも分かった。
画面には久坂が歌っている姿が映し出されているが、その下には音程が譜面とどれだけ合っているかを示すグラフが表示されていて、音程のズレが今まで歌ってきたメンバーのものと比べると圧倒的に少ない。音程の変化が少ないスローバラードを選曲したのも、より高い得点を得るための彼女の作戦と思われる。
歌い終わり、アウトロが流れる。
久坂からは無事に歌い終わった安心感からか、余裕の笑みがこぼれている。
「久坂さん、ありがとうございました。それでは得点の方、お願いします!」
93点が表示され、メンバーから歓声が上がる。特に2期メンバーからは依楽ちゃんサイコーとかやっぱすごっと言った声が聞こえる。
久坂が湯田エリを抜き、1位に躍り出た。
その後、3期の東和めいが歌い、22位。
次に出番が回ってきたのは、リーダーの透野 舞衣だ。
「舞衣ちゃん、頑張って!」
これまで長丁場の司会を一緒にやって来た八萬タイヤからも声援が飛ぶ。
「お願いします」
いつもは穏やかでおっとりした印象の透野だが、歌う時はスイッチが入ったように真剣な顔の歌手モードに切り替わる。
前回大会では2位、この人もなかなかの実力者だ。
選曲は「生き急いだ頃」。エウレカのブレイクのきっかけとなった曲で透野をはじめ1期メンバーは数え切れないほど歌ってきた。
久坂のバラードとは真逆のアップテンポで軽快な曲調だ。
それに加え、音程も時折上下に変化する。だが、透野の音程グラフは久坂と同等かそれ以上に音程のズレが無い。
歌い方も久坂とは対照的だ。久坂が感情を込めて情感たっぷりに歌うのに対して透野は無機質的でまるで調整を重ねられたボーカロイドのようだ。
それでも曲全体で声量に強弱をつけたりと人間らしさも備えている。ボカロで曲を作ってきた一ノ瀬 騎械サウンドに最も忠実な歌い方をするメンバーは彼女であり、それがエウレカのリーダーたる所以なのだろう。
まるで久坂をはじめ2期、3期メンバーに私と言う壁は絶対に乗り越えさせないわよと対抗心を燃やしているかのようだ。
彼女はそんなふうには思ってないのかもしれない、けれど彼女の真剣に歌う様を見て僕はそう感じた。
歌い終わって透野がマイクを口元から離す。
メンバー全員総立ちで透野に惜しまない拍手を送る。この大会の開始から司会でこれだけ話してこの声量で歌って、喉がかれないなんてどれだけ強靭な喉の持ち主なのだろうか。
「得点! お願いします!」
スコアに94点が表示され、さらに大きな拍手が会場に響き渡る。
透野は満足そうな笑顔を見せて司会者席へと戻って行く。
両手を広げて抱きしめようとする八幡タイヤに、それは結構ですと言わんばかり彼の胸をドンと叩いて押し返す透野。思ったよりも強い力だったようで、
「あら、ごめんなさい」
床に倒れ込んだ八幡タイヤは演出ではなく本気で痛そうだ。
続いて、この前の握手会で見た3期の雫井 詩帆と2期の水沢 唯が歌い、それぞれ17位、19位という結果だった。
残るメンバーは志波 樹、葛巻 楓、そして雨音の3人だけとなった。
その中で最初に選ばれたのは葛巻だった。雨音、喜多上とともに3期人気トリオの1人で、3人は同い年だが、妙に落ち着きがあるせいか彼女は2人よりも2,3才年上に見える。
口元の左下にあるほくろと腰まで伸ばした流れるようなツヤのある黒髪が彼女の特徴だ。
彼女の歌唱力については昨年の3期のオーディションを思い出す。彼女と雨音が他の3期合格者に比べて断トツで上手かった。
葛巻がソロで歌うのを拝見するのは、あの時以来のはず。いったい何位に入ってくるのか、また、雨音とどちらが上手いのか、大変興味深い。
曲のイントロが流れる。
エウレカの代表曲「アドレッセンス」だ。
この曲も先ほど透野が歌った「生き急いだ頃」と同様、アップテンポな曲だ。
だが、音程の変化の度合いはこちらが上回るため、その分カラオケの難度も高い。
それでもエウレカメンバーが最も多く歌っている曲であり、葛巻にとってもこれでもかという程歌い慣れているからこの曲を選んだのかもしれない。
葛巻の歌い方―姿勢からマイクの持ち方、ブレス、声の張り方は、透野の歌い方によく似ていた。
プロフィールに尊敬できる先輩として透野を挙げているので、歌い方についてもお手本にしているのだろう。
彼女の歌っている間、僕はおやっと思うことがあった。
画面下の音程グラフを歌い始めからずっと見ているが、譜面とのズレがほとんど無いのである。僕の目が節穴でなければ、激しい音程の乱高下の中でも透野よりそのズレが少ないように感じる。
葛巻の満足げなアップが画面に映し出され、アウトロが流れる。
「それでは得点お願いします」
ドラムロールが流れ、1桁目が7を表示した。
次に2桁目、1から順にカウントアップが始まり、6、7と続き、8が表示される。
僕はまさかという気持ちでゴクリと唾を飲み込んだ。この得点表を見ているエウレカメンバー、スタッフ、視聴者達もきっと同じ思いだろう。
2桁目の数字はまだ回り続けている。そして8を通り過ぎ9で停止した。
97点。
葛巻 楓が透野 舞衣を抜き、1位に躍り出た。