16 救世主
「さっきのやり取り見てたぜ。騙されたんだろう?どういう状況か話してみな」
聞き覚えのあるこの声はもしやと思い、僕はその人を目深に被った帽子のすき間からちらりと見た。
そしてその人が思った通り、うち(仙宮高校)の3年で謎解き部の部長、栗原先輩だと分かった。
僕はそうなんですよ、弱りました、と言いながら向こうに僕の顔が見えないように帽子のつばを下げ、現況を説明した。
「そうか。だったらそんな気の毒な君に俺が考案したとっておきのテクニックを伝授して差し上げよう。この方法を使えばどんなカードでも1枚で目的のカードが手に入る」
僕はそんなまさかと思ったが、この人の頭の回転の速さは学校内でも有名で、特に数学が得意で全国模試では県でいつも5位以内に入るとの噂だ。
とりあえずこの人のテクニックとやらを聞くだけ聞いてみようと思った。
「ぜひ、教えて下さい!」
栗原先輩は、輪になってカードを交換している集団の方を指差し、先輩の持っている1枚のカードを僕に見せた。
「この矢巾はるかカードを雫井 詩帆カードに変える」
(えっ、まさか)
言うまでもなく矢巾はるかは今日の握手会には来ていないし、一方で雫井 詩帆は今日が初めての握手会でエウレカードも2枚だけで握手の権利が持てるから、この交換所ではかなり人気のカードなはずだ。
でも万が一でもそれが可能なら、僕も偶然今持っている矢巾はるかカードを雨音カードに変えることもできるはずだ。
栗原先輩は、輪になって交換している人達を10分くらいかけて1人1人観察し、その後に僕の方へ戻ってきた。
「あそこに黄色いカーディガンを着た女の子がいるだろう。まずあの子の近くへ行こう」
僕は栗原先輩の後について、その女の子の背後へと移動した。
そこでは10人の人達で輪になり、時計回りでカードの交換をしている。
「女の子のカードの動きをよく見るんだ」
その女の子のカードの手札を見ると、右から志波 樹カードが3枚、2期生の洋乃 映未カード2枚、雫井カード1枚、3期生の延田アリサカード1枚の計7枚を持っていた。
彼女に右隣りの人からカードが渡った。それは、3枚目の洋乃カードだった。3枚揃ったので、彼女は洋乃の参加する握手会で握手の権利を得たことになる。
彼女は、洋乃カード3枚を自身の手の中で中央に配置し、左端の延田カードを彼女の左隣りの人に渡した。
カードの交換が次々に行われ、3周ほどしたところで例の女の子にカードが渡った。
「来た」
栗原先輩が独り言のように小さく呟いた。
「入ります!」
栗原先輩が自信に満ちた力強い声とともに手を挙げ、その女の子の左隣りに割り込むような形で輪の中に入った。
彼女の手には志波カードがあった。彼女はそのカードを右端に配置し、左端の雫井カードを栗原先輩へと渡した。
(すごい!)
僕は思わず声を上げそうになった。いったいどんなからくりがあるというのか。
栗原先輩は、手に1枚だけ持っていた矢巾はるかカードを左側の人に渡し、"出ます"と今度は落ち着いた声とともに手を挙げ、満面の笑みを浮かべながら僕の方へと戻ってきた。
「いったいどうして・・・」
唖然とする僕に栗原先輩はその理由を明かしてくれた。
「簡単なことだよ。ポイントは2つ。1つ目は、需要と供給。あの黄色いカーディガンの子は、志波 樹と洋乃 映未カードを欲していた。それぞれもう1枚あれば握手する権利が得られるからだ。彼女にとってそれ以外のカードは不要なのでいつでも手放す状態だった」
僕は疑問に思ったことを栗原先輩にぶつけてみた。
「雫井カードは2枚で握手できるから、彼女は雫井カードももう1枚欲しかったんじゃないですか?」
「そこが2つ目のポイント。人には自分でも気付かない無意識の習性というものがある。彼女の場合、自分の興味のあるものを右側に置き、一番要らないカードが左端にくるように並べている。そうした方が、彼女の頭の中が整理され、不要なカードを渡すのも楽なのだろう。彼女の手札の動きを何回か観察してそれに気付いた。先程の彼女の手札の中で最も欲しいカードが志波、次が洋乃、3番目が雫井ということになる。志波は女子に人気があるし。今日の交換所では雫井カードが人気でなかなか出回らないのは彼女も知っていたんだろう。それで洋乃の方の優先度が高いのだろう」
「また、あの輪の中に雫井カードが彼女の1枚だけしかなかった。志波と洋乃のカードは何枚か見かけたので、いずれ彼女の下へと届く。そうすれば彼女にとって優先度が最も低い雫井カードがリリースされるわけよ」
なるほど理屈は通っている。流石いつも謎問題を秒で解いている人だ。志波カードは4枚も揃えなければいけないので、1枚だけしか持っていない人はリリースする傾向にある。つまりは交換所で出回りやすい。その点もこの人にはあの10分程の観察で計算済みなのだろう。
仙宮高校では入学して直ぐに部活動の新入生向けオリエンテーションが体育館で開催される。そこでは各部の部長が自分の部について紹介するのだが、その時の栗原先輩の名セリフを再び僕は聞くことになった。
「この世の中は法則で溢れている。それを肝に銘じていれば自ずと道は開かれよう」
栗原先輩は、内ポケットからもう1枚のカードを取り出して僕に見せた。
「それじゃ、俺は2枚集まってるんで、愛しの詩帆ちゃんと握手してくるぜ」
僕は礼を言うと、先輩は幸運を祈ると言って雫井ブースへと足早に向かって行った。
あの部活動の紹介の時の先輩は、まるで政治家の演説のように謎解きの素晴らしさを新入生に訴えかけていた。
”謎解きの1ジャンルである暗号の解読は、軍事スパイやコンピュータのハッキングなど今まで各国家がしのぎを削って競争してきた。そう、謎解きとはまさに人類にとっての究極の課題なのである。我々謎解き部は絶えず頭脳の鍛錬を行っている。謎が解けた時の達成感は何物にも代えがたい。ぜひ我が謎解き部でその快楽に浸ろうではないか”
そのかいあって、今年は8人の新入生が謎解き部に入ってくれたと謎解き部顧問の岩沼先生が数学の授業中に嬉しそうに言っていた。
あの演説中の男らしさ全開の栗原先輩からまさか”愛しの詩帆ちゃん”なんて言葉が出るなんて僕は先輩が去った後、笑わずにはいられなかった。
確か雫井 詩帆はつい数ケ月前まで小学生だったはず。
謎解き部の部員達が聞いたらいったいどんな顔するんだろう。