98 決心
僕は急いで階段をかけ降り、控室に戻った。
(どうして……今朝は学校に来ていないと聞いていたが……)
僕は元居たパイプ椅子に座った。
とてもじゃないが立ってなどいられない。呼吸は荒くなり、体内の心拍数がどんどん上がってゆく。
様子のおかしい僕に気付き、どうしたのと石森が声をかけてきた。
「あ、あ、あま、あまねが……」
あまりの緊張で上手く言葉が出せない。
「なんだべ、うちの学校の生徒なんだから、別にいても不思議じゃないべ」
僕のひどく慌てた様子に藍菜はあきれている。
とても返答できる状態ではない僕の代わりに藍菜が石森に説明してくれた。
すると彼は興味津々の様子で先ほどまで僕等がいたステージの裾の方へかけて行った。
エウレカの中でも1位2位の歌唱力を持つ雨音の前でこれから歌えというのか……
公開処刑に近い気分だ。
僕が歌い始めた途端、雨音が下を向き、笑いをこらえている姿が想像できた。
MEtoHANAの演奏開始まで残り5分―
とてもじゃないが、今の僕では……
目を瞑って頭を抱えていると誰かが急に僕の右腕をぎゅっと掴んだ。
驚いて見上げると藍菜だった。
「しっかりしろ! このバンドのフロントはおみーだべ! 」
突然のあまりの大きな声にしばしの沈黙が流れた。
きっとこの控室にいる丸森や軽音部の何人かも驚いていることだろう。
藍菜にここまで語気を強めて怒られたのは初めてかもしれない。
石森が戻ってきた。
「確かにいるね。でも仮にさ。失敗してもいいんじゃない。仕方ないことだけれどそれが今の僕等の実力」
藍菜はまだ僕の腕を掴んで離さないでいる。
今度は誰かが僕の肩を軽くポンと叩いた。
「自信持てよ。お世辞でも何でもなくてお前ら部活中の時でもあんだけ練習してたじゃねえか。間違いなく1年の中でナンバーワン」
2年の多賀城さんが僕に向かって人差し指を立てる。
「そうだよ。あのいつもの練習のものよりもっと高いクオリティでやられちゃったら、その後やる人達が困っちゃう」
丸森が変顔しながらエアーギターを弾き、その場のみんなの笑いを誘う。
「まだ来年、再来年だってチャンスはある。僕等MEtoHANAのスタートはこっから」
石森が勢いよく片腕を振り上げる。
頷きはするものの、まだ伏し目がちな僕に藍菜は今度は小さく絞り出すような声で懇願した。
「今朝、校門の前でおみーも言ってたべ。今この時を楽しもうと」
そして、彼女はそっと僕の腕を離した。
そうだった。今、この時を楽しむ。しだいに藍菜の言葉が自分の心の奥底へと伝い、そこから広がってゆくのを感じた。
僕等のパフォーマンスを観てくれるのは何も雨音だけじゃない。茜だってわざわざ忙しい合間を縫って観に来てくれたんだ。
それによくよく考えたら今日は学内の予行練習みたいなものだ。明日の本番でビシッと決めればいい。
僕の中で何かが吹っ切れた。
「よっし! 一発ぶちかましてやろうぜ!」
僕が自身の右太ももをバチンと叩いて立ち上がると
「そうこなくっちゃ!」
藍菜と石森もそれに呼応する。
多賀城さんや丸森達も拍手で鼓舞する。
僕は自分のアコギを持つとストラップで肩にぶら下げ、階段を上り始めた。
藍菜と丸森がそれに続く。
いよいよライブの幕開けだ。
(こうなったら当たって砕けろだ。待ってろ、雨音)
ステージに上がると目がくらみそうになるほどの眩い光が僕等を包み込んだ。