目が見えるって素晴らしい事よ
いやいや、なる! って息巻いたって、制度は制度なんだからどうしようもないじゃん。バカなの? と、大多数の読者諸兄に於かれましては、そうお思いのことと思う。たしかに、このままでは私が身障者になる目はない。目がないだけに。個人がいくらキャンキャン騒いだところで、法律というのはそうやすやすと変わりはしない。ではどうするのか。簡単だ。自分の方を変えてしまえばいい。
……などとドヤ顔で強がってみたが、しかしこれもまたわりとのっぴきならない話なのだ。変えた、ではなく、変わっちゃった、が正しい。
令和に入って初めての夏、私は謎の視力障害に見舞われたのである。
あれはたしか、便所の中で携帯電話をいじっていた時だった。携帯電話のバックライトがやけにまぶしく感じたと思ったら、一瞬にして視界が真っ白に染まったのである。そして、暗転。その日、私の視界は限りなくゼロになった。
残像、と言えばいいのだろうか。強い光を見たとき、眼を閉じた後にも青黒いものが残るという経験を、したことのある方も多かろうと思う。その時の私の目は、残像が視界をすっかり覆い隠してしまって、何も見えなくなってしまったのだ。
思い返せば、白内障の手術をした際に手術室のライトの直撃を浴び続けたときも数日間残像が消えなかった。その時も3日ほど何も見えない日々が続いた。
すぐさま金沢の大学病院に駆け込んだが、主治医の出した結論は「原因不明」であった。MRIまで撮ったが、どこにも異常はないのだという。
こういう時の原因不明はいっとう困る。結局は経過観察という形になり、数日で視界は戻ったが、引き換えに視力が激減していた。
今まで見えていた小説の文字が、判別できなくなるというのは、かなりのショックだった。
漫画本を一冊読むのに、一日かかるようになった。
プラモデルを作るのが、苦痛になった。
その時になって気づいたのは、自分はの趣味いかに視力に依存していたのかという事だ。失って初めてわかる大切なものがある、なんてクサい言葉があるが、事実だった。そして恐ろしくも思った。あのまま目が見えなくなっていたら、と思うと、身震いする。
ともあれ、そんなこんなで近年は視力の低下が著しい。今では1メートル離れてしまうとテレビの字幕が読めない。光に対して過敏になってしまったようで、自動車の運転なんてもってのほかだ。
きっと、今の視力ならば身体障害者取得ラインまで落ちているだろうが、果たしてこれは喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、私には何とも判別ができないでいる。