私は身体障害者になりたい――序文
やあこんにちは。永多真澄です。
まずこのタイトルを目に留めた読者諸兄に於かれましては、これ幸いと石礫を振りかぶられた方も多い事と思う。確かに筆者である私から見ても、字面に起こすとなかなかに強烈で若干引いた。しかしここはひとまず落ち着いて、投げるのは少しだけ待ってほしい。
さて、「身体障碍者になりたい」とぶち上げるからには、私は健常者である。しかしながら、このエッセーを読んでおられるであろう読者諸兄の、凡そ9割ほどの方々とは決定的に異なる部分がある。
何を隠そう、私には右目がない。
一応断っておくが、これは「俺は金に目が無くてねぇ」みたいな慣用句表現ではない。いや金に目が無いのは真実だが、そういうことではなく。
実際に、右の眼球がそんぐりそのまま摘出されているのだ。ゲゲゲの鬼太郎状態である。鬼太郎と違うのは、空っぽの眼窩には目玉親父ではなく義眼がハマっていることだろうか。
さて、そのような状態で30余年生きている私だが、先に述べた通り括りとしては「健常者」に分類される。映画館でもしっかり1900円払わなければならない。
それってちょっと理不尽じゃねぇ!?
私は常々そう思っている。さらに今回、身障者制度に絡むちょっとした個人的重大事件が発生したので、我慢ならずに筆を執った次第である。
というワケで、これからしばらく、読者諸兄にはつまらない法律の話と、下らない私の自分語りに付き合ってもらいたい。
また、上で述べたとおりこれは私の鬱憤晴らしという要素を強く含むの。途中、振りかぶった腕がプルプルしだすかもしれないが、石を投げるにしたって、どうか最後まで聞いてから石を投げてもらいたい。
その時は、私も甘んじてそれを避けよう。