第二章 砂漠の世界_2/5
デッキから移動して、場所は船の中にある一室。簡単な会議に使われるというその部屋で、ハンナとノエル、ドーラと老人がテーブルを囲んで席に座っている。
会議室の席についてすぐ、ノエルが聞こえよがしに「はあ」と溜息を吐いた。びくりと肩を揺らす老人。対面の席にいるその老人を睨み据え、ノエルが口を開く。
「ジイのせいでえらい目にあった。危うく軍に掴まるところだったんだぞ」
「……まさかワシの撒いたビラでそのようなことになるとは……想定外です」
しゅんと肩を落とす老人に、ノエルがぐっと前傾姿勢になり唇を尖らせた。
「想定しろよ。ボクたちは顔写真つきで軍に指名手配されているんだぞ? 街中でそんなビラを撒いて、ボクたちが街に潜んでいることを軍にバラしてどうするんだ?」
「ぐ……本当に申し訳ありません。つい頭に血が上りこのような……」
「まあまあ、無事だったわけですから良いじゃないですかぁ」
むすっと表情を渋くするノエルに、ドーラがカラカラと笑いかける。
「ノエルさんのことになると、エヴァンさんもイーモンさんも見境がなくなりますからねぇ。多くの男性を垂らし込んでしまうノエルさんにも原因がありますよぉ」
「……誰も垂らし込んでなんかない」
ノエルが諦めるように嘆息して、こちらに体ごと振り返る。
「ジイが――ボクの仲間が迷惑をかけたようだ。許してほしい、ハンナ」
「いや……えっと……」
つい言葉を濁してしまう。ノエルがまた嘆息して、老人を手で示す。
「……イーモン・ロジャー。この船にある魔工機器をメンテナンスしている魔工技師で、王宮に仕えるほど優秀な人間なんだけど……たまにこういう詰まらないミスをする」
「面目ない限りです。姫様が駆け落ちしたとなり前後不覚に陥りました」
「だから……駆け落ちなんかしてないって」
老人――イーモンの言葉を、ノエルが顔をしかめて否定する。
要約すると軍に追われて死ぬような思いをしたのは、イーモンの軽はずみな行動が原因だということか。だとすればそれは簡単に許せる話でもないのだが――
今はそれよりも重大な問題があった。
「あの……それでデッキでの話の続きなんだけど……」
そう話題を振る。躊躇いがちに尋ねるハンナに、ノエルが気まずそうに苦笑した。
「うーん……ちゃんと話そうとは思ってたんだけど、タイミングが難しくてね」
「それじゃあやっぱり……ノエルは正真正銘の女の子なんだ?」
ノエルが苦笑したまま首肯する。ハンナはうっと目尻に涙の粒を浮かべた。
「で、でも……服装が男の子っぽいし、胸だって膨らんでないし……」
「胸はサラシをきつく撒いて潰してるんだ。運動するときに邪魔になるからね。でも直接触れば分かると思うよ? 触ってみる?」
コートの正面を左右に開いて、ノエルが少しだけ胸を突き出す。ハンナはグスグスと涙を浮かべたまま、震える両手でノエルの胸にペタリと触れた。
「うううう……柔らかいよお。フワフワしているよお。サラシのせいで分かりにくいけど、多分あたしよりも大きいよお」
「……そんな泣かないでよハンナ」
目尻に浮かんだ涙をハラハラと流すハンナに、ノエルが困ったように眉尻を落とす。そのままノエルの胸をモミモミしていると、イーモンが悔しそうに歯ぎしりした。
「ぬううう、おのれ。平民の分際で姫様の胸をモミモミするとは。このワシでさえ姫様が七歳になられてより先、容易には体に触れさせてもくれぬというの――ごは!」
イーモンの顎にノエルの投げた椅子が命中する。転倒する老人を横目に、ハンナはノエルの胸から手を離した。グシグシと涙を拭い力なく息を吐く。
「……とりあえず、ノエルが女の子であることは分かったよ」
「言いそびれてごめん。もっと早くに伝えておけば良かったね」
「それでその……お姫様っていうのは?」
性別の次に気になっていた疑問をノエルに尋ねる。ノエルが金色の髪をポリポリと掻きながら、また苦笑を浮かべる。
「これでもボクは、バーラエナ王国の王族出身なんだ。ボクの正式な名前はノエル・マクローリン=バーラエナ。称号は第一王女で、柄じゃないけどお姫様というわけさ」
「バーラエナ王国……疑うわけじゃないけど、そういう国の名前は聞いたことないよ?」
「ハンナが知らなくても無理ないよ。バーラエナ王国は別名で『蜃気楼の都市』と呼ばれる、いわゆる幻の国なんだ。他の国と比較するとその規模も小さくてね、正式にその存在が確認されたことはないはずだよ」
幻の国のお姫様。さすがに容易には信じられない話だ。だがノエルがそんな突飛な嘘を吐く理由も思い浮かばない。ハンナはとりあえず思いついた疑問を口にする。
「お姫様の事情とかよく分からないけど、そんな偉い人が国を離れていいものなの?」
「仕方ないんだ。だってバーラエナ王国は十五年も前に――滅んでいるからね」
さらりと告げられた事実に言葉を失う。だが驚愕するハンナとは対照的に、至って気楽な調子でノエルがさらに言葉を続ける。
「この船で暮らしている人間は、全員がそのバーラエナ王国の生き残りなんだ。イーモンは王宮勤務の魔工技師、エヴァンは騎士団長を務めていた男の一人息子――」
「ドーラは王宮での家事全般を統括する一番偉い家政婦だったんですよぉ」
話に割り込んできたドーラを一瞥して、ノエルが「まあそういうこと」と肩をすくめた。
「いま例に上げた彼らの他にも、この船には王国の人間が何人か暮らしている。だけど王族の生き残りはボク一人だけなんだ。だからまあ――」
ノエルが言葉を区切り――
溜息まじりに言葉を吐き出す。
「ボクには王族としての責任が色々とあるわけだ。面倒なことにね」
ノエルの表情に影が過る。だが瞬きする間に、その影はあっさりと消失していた。ノエルがまた柔らかな微笑みを浮かべて、クスクスと肩を揺らす。
「まあこんなこと急に言われても、すぐには信じられないよね。でもとりあえずそういう理由から、元お姫様であるボクはこの船でキャラバン生活をしているわけだ」
ノエルの言葉が真実か否か。それを判断することは現状できそうにない。ならば無闇に疑うことも無意味といえる。今はそれを前提として話を進めるしかないだろう。
「ハンナが女の子でお姫様なのは分かったけど、それじゃあ結局、あのお見合いは何だったの? あたしをからかっていただけ?」
「まさか、そんなことするわけない。ボクは真剣にハンナとお見合いしたかったんだ」
「真剣にって……だって女の子同士なんだよ? 付き合うなんてできないじゃん」
「そこら辺の事情については、もう一人の当事者も踏まえて話していこうか」
ノエルの言葉にきょとんと首を傾げる。するとこの直後に――
「どがぁあああああああああああああん!」
目の前のテーブルが跳ね上がり、その下から一人の男性が姿を現した。
「きゃああああああああああああ!?」
悲鳴を上げて椅子から転げ落ちる。床に尻を強打させたハンナに、テーブルの下から現れた人物が豪快に笑う。床に尻をつけたまま高笑いするその男をポカンと見つめて――
「……パパ?」
ハンナは信じられない思いでそう呟いた。
「そうパパだ。相変わらずリアクションが素晴らしくパパは嬉しいぞ、ハンナ」
テーブルから現れた男性――ハンナの父親であるアーノルド・アーモンドがそうニヤリと笑う。平然としたその父に、ハンナは困惑しながら立ち上がった。
「え……なんで!? どうしてよ!? どうしてパパがこの船に乗っているのよ!? しかもどうしてテーブルの下から現れるわけ!? わけ分かんないんだけど!」
「落ち着けハンナ。パパがテーブルの下から現れたのは、テーブルの下に開いていた異次元空間から今しがた帰還したためだ」
「露骨な嘘やめてくれる!?」
「ハンナを驚かそうと思ってな、ノエル君にも協力してもらいテーブルの下に隠れていたんだ。だがテーブルの下は狭くてな、おかげで腰がすっかりと痛くなってしまった」
「アーノルドさんがどうしてもって言うから……ビックリさせてゴメンね、ハンナ」
自分の腰をトントンと叩く父と、申し訳なさそうに苦笑するノエル。会話にならない父はもはや無視して、ハンナは話の通じそうなノエルに疑問をぶつける。
「どうしてあたしのパパがこの船に? ちゃんと説明してよ、ノエル」
「ボクたちがこの船に転送されるよりも前に、アーノルドさんを予めこの船に転送していたんだ。ボクたちが屋敷を出た後、屋敷の庭園に転送装置の入口を開いてね」
「転送って……何のためにそんなことを?」
「アーノルドさんとそういう約束をしていたから。ボクとハンナとのお見合いが決まった時から、実はアーノルドさんとハンナをこの船に招待することになってたんだよ」
唖然とする。あんぐりと口を開けて硬直するハンナに、ノエルが「まあ軍に追われたのは想定外だったけど」と気不味そうに笑い、さらに説明を続ける。
「この船は今、とある目的地に向かって進んでいる。そこにアーノルドさんとハンナの二人を連れて行くまでが、アーノルドさんとボクが交わした約束になるんだ」
「……とある目的地?」
声を絞り出して尋ねる。ノエルがこくりと頷いて――
碧い瞳に鋭い眼光を輝かせた。
「常世界法則変換装置――通称『ドラゴン』。古代人種が残した遺跡だよ」