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ドラゴンシーフ  作者: 管澤捻
第二章 砂漠の世界
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第二章 砂漠の世界_1/5


 空気が変わった。瞼を閉じながらもそれを肌で感じる。視界を塗りつぶしていた眩い光があっさりと消失。ハンナはゆっくりと息を吐き出すと――


 閉ざしていた瞼を見開いた。


「お帰りなさいですぅ」


 目を開けてすぐに、少し間延びした女の子の声が聞こえた。ハンナは赤い瞳をぱちくりと瞬かせると、目の前に立っている小さな女の子を見つめた。


 見た目が十歳前半の少女だ。碧い髪をサイドで結んだフワフワのツインテールに、滑らかな白い肌。クリクリとした碧い瞳に、ツンと上向いた小鼻。服装はいわゆるメイド服だが、各所にフリルを付けたりと可愛らしくアレンジされていた。


「ただいま、ドーラ」


 すぐ隣に立っていたノエルが、小さな女の子に微笑みかける。小さな女の子がニッコリと笑って、だがすぐに「あれ?」と小首をちょこんと傾げた。


「エヴァンさん。何だか調子悪そうですねぇ。どうかしましたかぁ?」


 床に座り込んで青い顔をしているエヴァンに、ドーラが疑問符を浮かべる。ノエルがエヴァンをちらりと一瞥して肩をすくめた。


「また暴走したんだよ。ちょっとボクが頬に怪我をしちゃってね」


「エヴァンさん大丈夫なんですかぁ?」


「……大丈夫だ。ただ少しだけ休ませてくれ」


 女の子が「了解ですぅ」と無駄に明るく返事をする。そしてふと女の子の碧い瞳がこちらに向けられた。ぽかんとしているハンナに、女の子が元気よく片手を上げる。


「ハンナ・アーモンドさんですねぇ。初めまして。ドーラの名前はドーラですぅ」


「は、初めまして……ドーラちゃん?」


 回りくどい自己紹介をする女の子――ドーラにやや戸惑う。「宜しくですぅ」とぺこりと頭を下げるドーラ。ハンナは赤い瞳を一度瞬かせて、ふと周囲を見回した。


 二十平方メートルほどの小部屋で、その狭い空間に奇妙な機械が無数に並んでいた。床には細いコードが張り巡らされており、足の踏み場さえない。そしてそれらコードは全て、こちらの足元にある丸型の装置のようなものに繋がれているようであった。


 足元に視線を向ける。自身が踏みつけている丸型の装置。その表面に複雑な模様がうっすらと浮かんでいた。それは先程飛び込んだ光の模様――転送装置の入口のものと似ている。ハンナは落としていた視線を上げ、ドーラに尋ねた。


「ここはえっと……ノエルたちの船の中?」


「はいぃ。ここは『灰色の海豚』号にある転送施設ですよぉ。そしてドーラはその船での生活をサポートする、平たく言えば家政婦さんなんですよぉ。つまりみんなのお母さん的な立ち位置なんですぅ」


 訊いてもないことまで答えるドーラに、ハンナは「そうなんだ」と苦笑する。一瞬の出来事でまだ実感に乏しいが、どうやら本当に街から船まで移動してきたらしい。


 ここでふとハンナは、ドーラのフワフワの碧い髪から覗いている耳に気付く。先端をツンと尖らせた耳。人間にはないその特徴にハンナは目を丸くした。


「その耳って……え? もしかしてドーラちゃんって――魔工人形?」


「そうですよぉ。ドーラは魔工機器の一種、魔工人形なんですぅ」


「だってその……雰囲気が」


 基本的に魔工人形には感情がない。主の命令に機械的に従うだけの存在であるはずだ。だがこのドーラには豊かな感情があるように思えた。ドーラがきょとんと目を瞬かせて、すぐ何かに気付いたようにポンと手を打つ。


「ああ、ハンナさんの言っているのはレプリカの魔工人形ですねぇ。あれは粗悪な複製品なので感情が欠落していますぅ。でもでもドーラはオリジナルですから、感情も盛りだくさんでお届けしていますよぉ」


「オリジナルの魔工人形?」


 転送装置ほどではないが、オリジナルの魔工人形もまた貴重な魔工機器であったはずだ。


(これだけたくさんの、オリジナルの魔工機器を扱っているなんて……)


 ノエルたちは一体何者なのか。軍から逃げている時は、船で詳細を話すと約束してくれていたが、これからその話が聞けるのか。そんなことを考えて、ハンナはふと気付く。


「ここが船の中ってことは街の――リーベタスの港に停泊しているってことよね? だとしたらここも安全じゃないんじゃない? 軍の人たちがすぐ来ちゃうかも知れないし」


「それは大丈夫だと思いますよぉ」


 ドーラがこちらの不安をあっさりと否定する。「どうして?」と首を傾げるハンナ。ドーラが何とも無邪気な笑顔を浮かべて――


「だってこの船はもう――出港してますから」


 そう軽い口調で答えた。



======================



 船のデッキに出たハンナは、そこから見える景色に呆然とした。


 街で暮らしていると地平線というものを見る機会が少ない。何かしらの障害物が必ずその遥か手前に存在するからだ。だがデッキから望めるその景色は、前後左右、360度にその地平線がくっきりと見えていた。周囲には人工的な建造物などなく――


 ハンナがこれまで暮らしてきた街、商業都市リーベタスの姿もどこにも見えない。


「ハンナさんたちが転送される前から、この船は出港していたんですぅ。今から軍がこの船を見つけて追いかけてくるのは難しいと思いますよぉ」


 気楽な調子で解説するドーラ。その少女の声を片耳に聞きながら、ハンナは周囲の景色を赤い瞳に映していた。記憶にはない景色。世界の姿。それは――


 無味乾燥な灰色であった。


「世界は砂漠に覆われている」


 声が聞こえて背後を振り返る。デッキの入口前に微笑んでいるノエルの姿があった。デッキに現れたノエルに、ドーラがちょこんと首を傾げる。


「エヴァンさんはどうしたんですぅ?」


「部屋で休んでるよ。ボクの肩を借りてヨタヨタ歩くなんて護衛者として失格だね」


 そう軽い皮肉を口にして、ノエルがこちらに近づいてくる。デッキの中央で佇んでいるハンナ。その隣に並んでノエルがぐるりと碧い瞳を巡らせた。ハンナも改めて周囲の景色を眺める。遮蔽物のない開けた世界。その一面に広がる――


 砂漠の景色。


「世界の姿がどういうものか。学校で教えてもらっているんだよね?」


 ノエルからの問い。ハンナは視線をノエルに移すと、その問いに一拍の間を空けてから頷いた。ノエルが碧い瞳をこちらに向け、それを柔らかく微笑ませる。


「だけど話に聞くだけと実際に目にするとでは、だいぶ印象も違うんじゃないかな? 砂が入り込まないように街は高い壁に囲まれているから、街の中からこの砂漠の景色を見ることはできない。だからこの景色を見られるのはごく一部の人間だけなんだ」


「……ノエルのような、世界を移動しているキャラバンとか?」


 ノエルが「そうだね」とこくりと頷いて、また視線を周囲の景色へと戻す。


「ボクたちのこの船は『灰色の海豚』号って名前でね、その名前の通りイルカの姿を模した巨大な魔工機器なんだ。ボクたちは十五年も前から、この船で()()()()()()()()


「十五年も? それじゃあノエルがまだ三歳とかそんな子供の時から?」


 驚きに目を丸くするハンナに、ノエルが景色を眺めながら「うん」と頷く。


「だからハンナの故郷が商業都市リーベタスであるように、ボクにとってこの砂漠は故郷の景色のようなものなんだ。味気ない景色にも見えるかも知れないけど、天候や季節によって多くの表情を見せてくれる。意外と感情表現が豊かな奴なんだよ」


 砂漠を掻きながら前進する船――『灰色の海豚』号。その上部に設けられたデッキから、砂漠の景色を見つめるノエル。そんな彼をハンナは見つめた。しばしの沈黙。ノエルが碧い瞳をゆっくりと瞬きさせてハンナに振り返る。


「ハンナと一緒にこの景色を見たかったんだ。その願いが叶えられて嬉しいよ」


 そう無邪気に微笑むノエルは――


 端的に言って眩しすぎた。


(うぐぐ……やっぱりカッコイイ)


 ドキドキと胸を高鳴らせる。軍に追われていたため呑気に顔を赤らめている余裕などなかったが、やはり改めて、ノエルのその顔は反則級に格好よくも可愛かった。


(勢いで船にまで乗っちゃったけど、そういえばお見合いデートの途中だったのよね?)


 これからどうするのか。まさかこのまま結婚式を跳び越えてハネムーンにでも出掛けるのか。今日からノエルとの新婚生活が始まってしまうのか。そんな浮かれた妄想が、ハンナの頭の中を埋め尽くしていく。


(おお、落ち着くのよ。ノエルは軍に追われている。簡単に気を許しちゃダメよ)


 思わず垂れた涎を袖で拭い、ハンナはそう気を引き締めた。だがすぐにまた気がだるんと緩む。軍に追われているのは不可解だが、ノエルが悪人だとはやはり思えない。きっと下らない誤解があるに違いない。ハンナはそう都合よく考えることにした。


(ああでも、ノエルと夫婦になることが正式に決まったなら、ちゃんとパパには報告しないとだよね。口ではああ言ってたけど、娘がいなくなるなんて寂しいだろうし。何だかんだ反対するかな? でも愛し合う二人を前にすれば、パパも応援してくれるよね?)


 何にせよノエルにその気があるなら、まずこちらもその想いに応えなければならない。ハンナは顔を赤くすると、こちらに微笑んでいるノエルに気持ちを伝えようとした。


 だがその言葉が声になるよりも早く、デッキに大きな声が鳴り響く。


()()ぁあああああああああ!」


 鼓膜を激しく揺らす絶叫に、ハンナは反射的に振り返った。デッキに上がるための出入口。その前に一人の男性が立っている。


 還暦を迎えたであろう老齢な男性だ。短く刈り込まれた白髪に、顔の半分を覆う立派な髭。年齢の割に体格が良く、シャツやズボンからは太い手足が覗いていた。


「イーモンさん?」


 ドーラがポツリと言う。ゼエゼエと大きく肩で息をしていた老人が――デッキまでの階段を駆け上がってきたらしい――、こちらに大股で近づいてくる。何やら眉間にしわを寄せて半眼になるノエル。老人がノエルの前に立ち止まり――


 ぶわっと大粒の涙を流した。


「姫様ぁああああ! よくぞ戻ってきてくださいました! 駆け落ちをするなど胸が引き裂かれる思いでしたが、しかしジイは信じておりましたぞ! 姫様ならば必ずその過ちに気付き、ジイのもとに戻ってきてくれると!」


 顔をくしゃりとして声を荒げる老人に、ノエルが呆れたように嘆息する。


「駆け落ちするなんて一言も言ってない。お見合いに行っていただけだろ。何をどう勘違いして、ジイはそんな解釈をしているんだ」


「ジイは見合いには反対したはずです! あろうことか女性と見合いなど! しかし姫様はジイの制止を無視して街に! これはもう駆け落ちする以外に考えられません!」


「絶対に他に考えようがある」


「ジイは心配のあまり、姫様が船を出てすぐに街で聞き込みをしていたのですぞ! しかしいくら街中でビラを配ろうとも姫様の消息は露知れず! ついには出港の時間だからとドーラに連れ戻され、今まで監禁されておりました!」


「厳重に鍵をかけておいたはずなんですが、どうやって脱出したんですぅ?」


 首を捻るドーラ。老人が涙をピタリと止めて、何やら威厳たっぷりに頷く。


「ワシは魔工技師だぞ。魔工機器の鍵など簡単に分解して開けることができる」


「ああ……それはしくじりましたぁ」


「――て、ビラを配っただって? まさかボクの写真を街中にばら撒いていたのか!?」


 ぎょっと目を見開くノエルに、老人がこれまた威厳たっぷりに頷く。


「無論です。皆が姫様のあまりの美しさに息を呑んでいましたぞ」


「阿保か! やけに軍の動きが素早いと思えば、ジイがボクたちの存在を広めて――」


「わぁああああああああ! ちょちょ、ちょっと待って! ストップ!」


 手を戦慄かせて叫んだノエルを、ハンナは咄嗟に両手をかざして制止した。ノエルとドーラ、そして老人の視線が一斉にこちらに向けられる。ハンナは混乱する頭を必死に整理しながら、かざしていた両手を下した。


「えっと……つかぬことをお聞きしますが……お姫様って誰のこと?」


 ノエルの視線がさっと逸れる。老人が怪訝に眉を曲げ、太い腕を窮屈そうに組んだ。


「誰だと? それは無論、このバーラエナ王国の第一王女であられる、ノエル・マクローリン=バーラエナ様に決まっているだろ」


 至極当然のように答える老人に、ハンナは表情を固めたまま再度尋ねる。


「ノエルがお姫様ってことは……ノエルはその……()()()?」


「当たり前だ。姫様のような美しいお方が女性でないはずがないだろ」


 首をギギギと軋ませながらノエルに振り返る。視線を逸らして沈黙するノエル。その彼を無言のまま見つめること五秒。ノエルが逸らしていた視線を戻して――


 ニッコリと可愛らしく微笑んだ。



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