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ドラゴンシーフ  作者: 管澤捻
第五章 メリッサ・オードリー
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第五章 メリッサ・オードリー_2/6


 商業都市リーベタス。そこを拠点に流通業を始めてから八年が経過した。事業が軌道に乗るまでが五年。手探りのまま始めたこの仕事も、今では多くの顧客を抱えるまで成長した。恐ろしいほどに順調だと言えるだろう。


 これほどに会社が急成長できたのは、ドラゴンシーフ時代のコネクションが大きい。旅のプロフェッショナルである彼らの協力があってこそ、これまでにない流通網を確立することができ、多くの顧客を取り込むことができたのだ。


 彼らの協力なくしてここまでの成功はあり得なかっただろう。ゆえに彼らには感謝している。だがそんな彼らと同じだけ、或いはそれ以上に――


 彼女の存在は重要なものであった。


(などと言えば……彼女はどう反応するのだろうな)


 ローランド・オールドマン、改めアーノルド・アーモンドはそう胸中で苦笑すると、目の前にいる女性に視線を向けた。ソファに深く腰掛けている女性。腰まで伸びた赤い髪に燃えるような赤い瞳。狂気と美貌を共存させた中毒性のある危険な彼女。


 メリッサ・オードリー。それがこの美しい女性の名前だ。


 商業都市リーベタスにある自宅。まだ建ててから一年と経たないその屋敷で、アーノルドはメリッサとテーブルを挟んで向かい合わせにソファに腰掛けていた。


 仕事仲間であるメリッサとは頻繁に顔を合わせている。だがこの彼女が屋敷を訪ねてきたのは初めてのことだ。それだけにアーノルドは年甲斐もなく浮き足立っていた。


 今年で三十三歳を迎えるアーノルド。対してメリッサはまだ二十歳にもなっていない。二人の年齢差は十三。だがアーノルドは一回りも離れたその女性を――


 真剣に愛していた。


(このようなオッサンに好かれたところで、彼女は迷惑なだけだろうがな)


 ゆえにこの想いを彼女に伝える気はない。だがいつもこちらからの誘いを断っていた彼女が、こうして屋敷を訪ねてきた時ぐらいは有頂天になっても良いだろう。


 アーノルドはそう自分を納得させると、コホンと咳払いしてメリッサに話し掛けた。


「ああ……なんだ。よく来てくれたメリッサ。突然のことで驚いているが歓迎しよう」


「随分とお堅い挨拶をするじゃないか? もしかして緊張しているのかローランド?」


 見透かすように笑うメリッサに、アーノルドは慌てて首を振った。


「馬鹿な。どうしていつも仕事で顔を合わせている君に緊張しなければならない? それと何度も言うがローランドとは呼ばないでくれ。今の俺はアーノルドという商人なんだ」


「仕方ないだろ? 今のお前がどうだろうと、私が会ったのはドラゴンシーフのローランド・オールドマンだ。人前で呼ぶのを自粛しているだけありがたいと思えよ」


 勝手な理屈をこねるメリッサ。だがそれが彼女なのだ。彼女は何にも縛られない。己の強さだけで道を切り開く。そんな孤高の彼女だからこそどうしようもなく惹かれたのだ。


「とりあえずコーヒーでも飲むといい。丁度いい豆が手に入ってな」


 メリッサがテーブルに置かれたコーヒーカップをちらりと見やる。使用人には頼らずアーノルド自ら淹れた拘りのコーヒーだ。だがメリッサはコーヒーを一瞥するだけで、その視線をあっさりと元の位置に戻した。


「長い付き合いなのに忘れたのか? 私はコーヒーなんて飲まないんだよ」


 言われてみればそうだ。子供舌のメリッサはコーヒーなど苦いだけと嫌っていた。彼女が屋敷を訪ねてきたことを喜ぶあまり、こんな初歩的なミスをするとは痛恨だ。


「も、もちろん忘れるわけがないだろ? だが君ももう二十歳になる。出会った当初――八年前の子供とは味覚も変わっているだろう。そう考えて勧めてみたまでだ」


 動揺を押し隠して適当な理屈をこねる。メリッサが「ふーん」と訝しむように目を細めて、またちらりとコーヒーを一瞥した。だが結局コーヒーには手を付けず、メリッサが「八年……か」と唇をニヤリと曲げる。


「もうそんなになるか。まさかこんな長い付き合いになるとは当時は思わなかったが」


「……そうだな。だが当時のことは鮮明に覚えている。衝撃的な出来事だったからな」


 話題が逸れたことにホッとして、アーノルドはメリッサに苦笑を向けた。


「何せ……俺たちドラゴンシーフの一団が、()()()()()()()()()()()()()()のだからな」


「おいおい、壊滅なんて人聞きが悪いな」


 メリッサがハラハラと手を払い、アーノルドと同様に苦笑する。


「仲間に入れろと言った私に、だったら実力を見せてみろと要求したのはお前たちのほうだろ? だからまあ、全員叩きのめして実力を示してやっただけだ」


「酒場で飲んだくれていたドラゴンシーフに、子供の女がいきなり仲間にしろと言うんだ。誰でも冗談だと思うだろ? だがまさかその子供に、数十人いた仲間が全員軽々と倒されてしまうとはな。しかも――」


 話しながらテーブルをちらりと見やる。テーブルに置かれている細長い物体。この国では珍しい刀と呼ばれる片刃の武器だ。黒い鞘に収められた刀をしばし見つめて、アーノルドは再びメリッサへと視線を戻した。


「使用した武器はこの刀一本だけ。こちらは銃も所持していたのにだ」


「子供相手に銃をぶっ放すなよな。あの時はさすがに肝が冷えたぞ?」


「俺の記憶ではメリッサのほうから挑発してきた気がするが……まあそれはいい。何にせよあの時は心底驚かされた。ドラゴンシーフとして訪れたどの遺跡よりもだ」


「ビックリ箱みたいな古代人種の遺跡と、人畜無害な私とを比較するな。ただまあ驚いたというならこちらもそうだ。ドラゴンシーフの仲間になるつもりが、まさか商人の仕事をこうして手伝うことになるとはな」


 赤い髪を指先でポリポリと掻き、メリッサがふと片眉を曲げた。


「しかし今更だが、どうして商人になろうと思ったんだ? 私のような子供にコテンパンにのされて意気消沈したか?」


「いや……確かにその出来事がきっかけに違いないが、俺はもとよりドラゴンシーフとしての限界を感じていた。いずれはこの人脈を生かして事業を始めるつもりでいたんだ」


 アーノルドはそう簡単に説明をして――


 メリッサに親愛の眼差しを向ける。


「こうして事業が軌道に乗れたのは、君の協力があってこそだと思っている。改めてお礼を言わせてくれ。ありがとう、メリッサ」


「……うわキモ」


 その言葉通りひどく気色悪そうに表情をしかめるメリッサ。こちらは真剣に礼を告げたのにこの反応だ。やや落胆しながらも挫けずに、アーノルドは彼女に感謝を伝える。


「この仕事は軌道に乗るまでが大変なんだ。砂漠は常に危険が潜んでいる。武装強盗だけでなく同業者の妨害もあるからな。だが資金が少ない時は自衛するにも限度がある。君という護衛がいなければ、大きな取引を何度も落としていたことだろう」


「私は受け取った金の分を働いただけだ。つまらない感謝なんていらないよ」


「それでも言わせてくれ。メリッサには本当に感謝しているんだからな」


 しつこく礼を述べるアーノルドに、メリッサがむすっと顔をしかめて沈黙する。この手の話題を嫌う彼女だ。もしかすると機嫌を損ねてしまったかも知れない。


 だがアーノルドはふと気付く。不機嫌に目尻を尖らせているメリッサ。その彼女の赤い瞳がまるで逡巡するように揺れていた。いつも直感だけで行動する彼女――それでいくらか迷惑も被ったが――には珍しいことだ。


 沈黙を続けるメリッサを、アーノルドもまた沈黙して見つめる。一分、二分と時間が経過する。会話の間としてはあまりに長い。そして三分が経とうとしたその時――


 メリッサが赤い瞳を瞼の奥に隠した。


「……感謝しているか。その言葉に偽りはないか、ローランド?」


 メリッサの奇妙な問いを怪訝に思いつつ、アーノルドは間を空けずに頷いた。


「当然だ。しかしどうした? 改まって」


「……それなら私の頼みをひとつ聞いてくれ」


 彼女が人に頼るなど珍しい。そのことに驚いていると、メリッサが息を吐き――


 閉ざしていた赤い瞳を開いた。


「私をこの場で殺してくれないか?」


 ――――


 ――――


 思考が数秒停止した。メリッサの言葉がグルグルと脳内で反芻される。だがどれだけ言葉を繰り返そうと、彼女の意図がまるで理解できない。ブラウンの瞳を見開いて呆然とするアーノルド。呼吸まで止めたその彼に、メリッサが慌てて言う。


「ああっと悪い。いきなりこんなこと言われても混乱するよな。ちゃんと説明する」


 ここでようやくアーノルドは止めていた呼吸を再開させた。ゆっくりと深呼吸して気持ちを静めるアーノルドに、メリッサが難しそうな顔をして説明を始める。


「どっから話せばいいのか……私が魔法保有者だということは以前に話したな?」


「う……うむ。確か『転生』という――ってああ、まさかそういうことか?」


 ようやく言葉の意味を察する。このアーノルドの反応に、メリッサがふっと苦笑した。


「そういうことだ。私を殺してくれと言うのは、私を転生させてくれと言うことだ。これも話したことだが、私はこれまでにも何度か転生を経験している。正確な年数は覚えてないがもう五十年以上は生きているだろう」


 転生。生と死を繰り返す魔法。メリッサの常人離れした強さの秘密はそこにある。彼女は転生を繰り返すことで、その経験と能力を蓄積してきたのだ。


 八年前。メリッサと出会ったその当時、彼女は十二歳の少女であった。だがその幼い容姿に反して、彼女の中身は五十年以上もの鍛錬を積んだ達人であった。そんな彼女を相手に、気性が荒いだけのドラゴンシーフが何人束になろうと敵うはずもない。


「私は死ぬと、おおよそ十歳の子供に生まれ変わる。なぜ十歳なのかその理由は分からないが、人が心身ともに大きく成長する期間だからなのかも知れない。肉体は本来衰えていくものだが、私は転生を繰り返すことで常に成長を続けているわけだ」


「君の化物じみた身体能力はそのおかげということか? だがなぜいま転生を?」


「これは話してなかったな。私は二十歳を迎えたその時――必ず死ぬようになっている」


 またも驚愕で息が止まる。メリッサが虚空を見上げて、ふと考え込む素振りを見せた。


「恐らく……あと三ヶ月ぐらいだ。その時に私は死亡して――また転生する」


「……それも魔法が原因なのか?」


「多分な。若い体のままでいるために施された小細工じゃないかな?」


 気楽な調子でそう語るメリッサに、アーノルドは息を絞り出すように尋ねる。


「三ヶ月で死ぬことになるなら……それこそなぜこの場で転生する必要がある?」


「理想的な死に方があるのさ。ローランドには私の頭を――拳銃で破壊してほしい」


 メリッサがこめかみに指先を当て、バンッと拳銃を撃つフリをする。さらに困惑を深めるアーノルドに、メリッサがその理由を淡々と説明する。


「転生すると経験と記憶が継承される。だが転生前に脳を損傷していた場合、転生後の記憶の継承に時間が掛かることがある。つまり一時的な記憶喪失になるわけだ」


「記憶喪失……だと? 一時的だというが、それはどの程度のものなんだ?」


「さてね。一時間かも知れないし一年かも知れない。ケースバイケースだ。何にせよ期間は大して長くない。だがその僅かな期間だけでもいい。体験したいことがあるんだ」


「……体験したいこと?」


 メリッサがこくりと頷いて――


「普通の女の子として生きてみたい」


 その赤い瞳を寂しげに揺らした。



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