第五章 メリッサ・オードリー_1/6
「皆さん、無事でいますかねぇ?」
碧いツインテールを風に揺らしながら、ドーラはそうポツリと呟いた。
砂漠を渡る船であり住居。『灰色の海豚』号。そのデッキの手すりからやや身を乗り出し、前方を碧い瞳でじっと見つめるドーラ。彼女の視線の先には、胴体に光の杭を打ち込まれた巨大なトカゲがいる。古代人種の遺跡たるリザード・ドラゴン=リバースだ。
「うー! うー!」
何やら背後から唸り声が聞こえた。だがドーラは特にそれを気にせず、ドラゴンを遠目に眺めながら淡々と独りごちる。
「まあノエルさんは何だかんだと頼りになりますからねぇ。だけどエヴァンさんは今度こそ死んじゃってるかもですねぇ。本気を出せば強いんですが気が弱いんですよねぇ」
「うううー! うううー! ううー!」
「まあ遺跡と言っても、いつも危険があるわけではないですからねぇ。この前は延々と穴を掘っては、掘った穴を埋めている魔工人形がいる遺跡なんかもありましたしぃ」
「ぶほぉうううう! ぶほぉうううう!」
「それにしてもいい天気ですねぇ。お昼寝にはうってつけの陽気ですぅ……ぐう」
「ぶぶぶぶぶぶぼぼおぼぼぼぼぼ!」
うつらうつらしていたドーラだが、さすがに背後から聞こえる唸り声に眉をひそめた。バタバタと鳴らされる物音に嘆息し、ドーラは背後を振り返る。背後には、芋虫のごとく全身を縄で拘束された老人――イーモン・ロジャーの姿があった。
「ぶぅうううう! ぼふぅううううう!」
ガムテープで口を塞がれたイーモンが、必死の形相でこちらに何やら叫んでいる。ドーラはツンと唇を尖らせると、トテトテとイーモンのもとまで駆けて行った。
「イーモンさん。もういい大人なんですから少しは落ち着いたらどうですぅ?」
「ぼぅうぅううううう!」
こちらの言葉に不服げに声を荒げる。まあ全身を縄でグルグル巻きにされ、口まで塞がれているこの状況で、変に落ち着かれてもそれはそれで怖い気もする。ドーラはそんなことを考えながら、こちらを睨みつけているイーモンに嘆息した。
「……大人しくするなら縄を解いてあげますぅ。約束してくれますかぁ?」
まるで子供に言い聞かせるように、還暦を迎えているイーモンに尋ねる。コクコクと高速で首を上下させるイーモン。目を血走らせている彼に、ドーラはまた嘆息した。
イーモンを拘束している縄を手早く解く。その間、言われた通りに大人しくしているイーモン。最後にイーモンの口を塞いでいたガムテープをはがしたその時――
「姫様ぁああああああああああああ!」
イーモンが華麗なスタートダッシュを決めた。
「だから駄目ですよぉおおお!」
ドラゴンに向けて駆け出したイーモンに、背後からタックルを決める。勢いよく顔面から転倒するイーモン。彼の腰に抱きついたまま、ドーラはむすっと眉尻を吊り上げた。
「約束が違うじゃないですかぁ。イーモンさんはここで大人しくしていてくださいぃ」
「大人しくできるかぁああああ!」
イーモンが鼻血を豪快に垂らしながら絶叫する。
「姫様が男になってしまうのだぞ! そのようなことワシの目が黒いうちは決してさせはせぬ! これでは何のために際どい水着を予約注文したのか分からんではないか!」
「本気で分かりませんよぉ?」
「ただでさえ姫様は最近、ワシの裁縫した乙女チック衣装を着ようともせず、男物の服ばかりを着ておる! 幼女時代は喜んでワシの服を着てくれたというのに!」
「無理やり着せていましたよねぇ? あとお年寄りが幼女とか言うのキモイですぅ」
「姫様は女の子だから姫様なのだぁああ! 男の姫様など姫様ではないのだぁああ!」
バタバタと手をバタつかせるイーモンに、ドーラは深々と溜息を吐いた。魔工人形の自分にとって性別などただの記号に過ぎない。ゆえになぜイーモンがそれほど性別に拘るのか、ドーラは理解できないでいた。
ハラハラと涙まで流しているイーモンに、ドーラは困惑しながらも告げる。
「まあイーモンさんの気持ちはまるで、欠片も、僅かな部分も分かりませんが――」
「少しは理解を示せ!」
「でもひとつだけ言えることは、ノエルさんはドーラやイーモンさん、この船にいる皆さんのことを信頼しているということですぅ」
ピタリとイーモンの涙が止まる。イーモンの腰から離れて、ドーラは言葉を続けた。
「ドーラたちがこの船に待機しているのは、もちろん遺跡が危険だからということもありますが、いざという時に遺跡探索をしているノエルさんの助けになるためですぅ。ノエルさんもそれを信頼しているからこそ、例の物を奥の手として持っているんですよぉ」
穏やかな口調でそう語り、ドーラはちょこんと首を傾けて苦笑した。
「でもいざそれを使った時、ドーラたちの準備ができてなかったらノエルさんを助けることができませんよねぇ? だとしたらいまイーモンさんがすべきことは、ノエルさんを追って遺跡に突入することなんでしょうかぁ?」
口を閉ざして沈黙するイーモン。すでに彼を拘束するものはない。彼がその気になればドラゴンのもとまで向かうことができるだろう。だがドーラはそれを心配していなかった。彼はもはや先程までの親バカの老人ではない。目の前にいるこの老人は――
天才的な技量を誇る魔工技師だ。
イーモンが無言に立ち上がる。デッキの出口へと歩いていくその彼に、ドーラは「どこに行くんですぅ?」と尋ねた。イーモンが一度立ち止まりポツリと言う。
「船の点検をする。万が一にも動作不良などあってはならないからな」
「はいぃ。よろしくお願いしますぅ」
ぺこりと頭を下げるドーラ。イーモンがこちらを一瞥し、また歩みを再開した。




