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ドラゴンシーフ  作者: 管澤捻
第四章 王女の悪霊
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第四章 王女の悪霊_4/5


「……どうやら逃げ切ったようだな」


 物陰に隠れていたエヴァンは、周囲に魔工兵器の姿がないことを確認してそう呟いた。


 ヌイグルミから現れた悍ましい魔工兵器。それから逃げ回ること約三十分。かなりしつこい連中であったが、どうやら振り切ることに成功したらしい。エヴァンはそう判断すると、あくまで物陰には隠れたまま安堵の息を吐いた。そしてふと気付く。


「……やばい。ハンナを置いてきてしまった」


 安堵から一転、不安が広がる。ノエルからハンナを守るよう指示されていたというのに、魔工兵器の恐怖に我を忘れてしまい、ハンナを残して一人で逃走してしまったのだ。


「これはさすがに……洒落じゃすまないな」


 エヴァンの失敗にこれまで寛容だったノエルも、自身のお嫁さん――の予定――が魔工兵器に八つ裂きにされたとなれば、さすがに笑って許してはくれまい。


「しかし今から助けに戻ったところで手遅れだろう。どうしたものか……」


 というか怖くて助けに戻れないわけだが。腕を組んで思案するエヴァン。十秒ほど考えたところで、彼は決意を胸に瞳を尖らせた。


「あ……これは駄目だ。諦めよう」


 後ろ向きだが決意だけはしている。


 これがノエルであれば這ってでも助けに行く――そもそもノエルを置いて逃げたりしない――のだが、数日前に出会ったばかりの少女のために命までは懸けられない。我ながら薄情であるが、自分はノエルの護衛者であり正義の味方ではないのだ。


「まあそれに魔工兵器の多くが俺を追っていたってことは、ハンナのほうは魔工兵器が手薄だってことだよな。だとすれば上手く逃げ切っているんじゃないか?」


 そうポジティブに考えることにして、エヴァンはキョロキョロと視線を巡らせた。


「ところで闇雲に逃げてきたが、ここは遺跡のどの辺りだ?」


 というか、まずここはどこだ? 


 魔工兵器に追われる恐怖から周りすら見えず、とりあえず隠れられそうな場所に身を潜めたのだ。エヴァンは注意しながら物陰から顔を出すと、改めて周囲を見回した。


 連結されたトロッコのような車両に、二人掛けの座席が並べられている。どうやら自分が身を潜めていたのは、その座席が設置されている車両の中らしい。


 座席に圧迫されているその空間で身をよじり、さらに周囲を観察する。何やら車両の足元から白いレールが伸びており、空中で前衛的な曲線を描いていた。


 全身から血の気が引いていく。この車両の正体が何となく分かったのだ。慌てて車両から降りようとするエヴァン。だがここで女性型の魔工人形が彼の前にさっと現れた。


「本日はリザードランドにお越しいただき誠にありがとうございます! それではこれより、本パークのアトラクションにおきましても恐怖度No.1との呼び声が高い『事故らないのが奇跡! 安全管理クソくらえジェットコースター』をスタートさせます!」


「おおおお、おい! ちょっと待て! 俺は降りる――」


「皆様、シートベルトはきちんとお締めになったでしょうか!? 特に確認は致しませんのでご注意ください! それでは出発進行! あ、逆方向指差しちゃった。テヘペロ」


 女性型の魔工人形が可愛らしく舌を出したところで無情にも車両が急発進した。


「ぎゃあああああああああああああ!」


 エヴァンは咄嗟に前の座席にしがみつくと、喉が破れるほどの絶叫を上げた。瞬く間にトップスピードまで加速して、車両が空中に描かれたレール上を高速に駆け抜ける。


 グルグルと切り替わる視界に上下左右と反転する重力。急カーブを繰り返すたびにその遠心力で座席から投げ出されそうになるも、エヴァンは人並み外れた腕力で座席にしがみついてその凶暴な力に必死に抵抗した。


「ひぃいいいやああああ! ひぃやあ! いやぁあああああああ!」


 空中に設置されたレール。その眼下にルース城が見えた。魔工兵器に追われてルース城からここまで逃げてきたというのに、また戻ってきてしまったようだ。絶叫を上げながらそんなことを考えていたその時、前方に伸びているレール上に何かが飛び乗る。


「捜索対象発見――捕獲行動に移る」


 その何かとは、ヌイグルミの中から現れた魔工兵器であった。


「嘘だろぉおおおおおおおおおお!?」


 目測で上空五十メートル弱。こんな高所にまで追いかけてくるとは何と執念深いのか。というかどう飛び乗った。当然ながら走り出した車両は止まらない。レール上を滑走した車両が魔工兵器に接近し――


 魔工兵器を乗り上げるように踏みつけて、レール上から空中に飛び出した。


「ノォオオオオオオオオオオオオオ!」


 本日一番の絶叫を上げる。不思議とゆっくりと流れる時間の中で――


 エヴァンは眼下に見えていたルース城が徐々に近づいてくるのを認識していた。



======================



「ど、どうして? お姫様」


 自身の首筋に当てられた刃。その冷たい気配に意識を焼かれつつ、ハンナは掠れた声でそう尋ねた。背後で剣を構えているフローラが、穏やかな口調で返答する。


「実は城から外の様子を見ていて把握していました。ハンナさんとこの者たちが仲間であることを。それを知ったうえで、ハンナさんを利用しようと考えたのです」


「あたしを利用?」


「先程も申しましたが取引です。妙な真似をすればハンナさんの命はありませんよ」


 最後の言葉は、こちらではなく部屋の中にいる二人に告げたのだろう。フローラのこの警告に表情を強張らせるノエルと父。特に父の形相はこれまでなく恐ろしいもので、もともと強面の顔を凶悪に歪めていた。


「貴様……その馬鹿げた真似をすぐに止めろ。ハンナを傷付けることは許さんぞ」


「結構。それほどにハンナさんが大切なのなら私の指示に従って頂きますよ」


 フローラからクスリとした笑いが漏れ、間を空けずに彼女が言葉を続ける。


「私の要求は単純です。貴方がたに悪霊退治――つまりこの私、フローラ・ルースの破壊を止めて頂きたいのです。それを約束して頂ければ、ハンナさんは解放しましょう」


 ノエルと父の目が僅かに見開かれる。フローラの発言が意外だったらしい。フローラを睨んだまま沈黙する父。その父を一瞥して、ノエルがゆっくりと立ちあがった。


「……どういうことだ? 貴女がフローラ・ルースだというのなら、悪霊として退治されることは貴女の役割であるはず。魔工人形が与えられた役割を放棄するつもりか?」


 瞳を尖らせて問うノエルに、フローラが「そうですね」と肯定を返した。


「確かにこの発言は、役割を与えられた魔工人形らしからぬものです。数十年前の私ならば考えられないもの。しかし今は違う。この百年という時間で私は変わりました」


「変わっただって?」


「私はこの百年、一度も退治されることなく稼働し続けていました。その間にろくなメンテナンスもされなかった私は、いつしかその人格に不備をきたしたのです。その結果、私は役割に反した()()()()を持つようになりました。それは――自由への欲求です」


 フローラの口調が僅かに強まる。彼女に剣を突きつけられたまま、首だけを回して背後を見やる。剣を構えたフローラ。その彼女の表情には憂いの気配が滲んでいた。


「私はフローラ・ルース。その役割を与えられた魔工人形です。悪霊である私はこのルース城から外に出ることができません。しかしそれが今の私には耐えられない。私はもっと色々な景色を見たいのです。もっと沢山の世界を見てみたいのです」


 一息にそう語り、フローラが自身を落ち着かせるように息を吐く。


「……百年という時間が、私にこのような感情をもたらしました。それは経年劣化による不良(バグ)でしかないのでしょう。ですがそれで構いません。そしてこの感情を得たように、いずれ私はフローラ・ルースの役割を乗り越えて、城の外に出られるようになるはずです」


「だから退治されたくない? しかしその役割の都合上、貴女は再生されるはずだ」


 怪訝に尋ねるノエルに、フローラが「お詳しいですね」と苦笑する。


「確かに私は退治されようとも、修復されて再起動されます。これまでも何度かそれは経験済みです。しかしその際に、この感情や記憶が正確に継承されるかは未知数なのです。再起動された私は、或いは()()()()()()()()()()()()かも知れない」


 このフローラの言葉に、父の眉がピクリと揺れた。怒りに満たされた父の表情。そこに僅かながら別の感情が浮かび、泡のようにすぐ消失する。首筋に剣を当てられたこの状況の中、ハンナはなぜか父の浮かべたその感情の正体が妙に気に掛かった。


 フローラが息を吐いて、間を置くようにその碧い瞳をゆっくりと瞬きさせる。


「このイベントの制限時間は一時間。あと三十分ほどでイベントは終了となります。貴方がたにはその時間までこのまま何もせずにいて欲しいのです。そうすればハンナさんを無事に解放すると約束します。しかし――」


 口調を僅かに変化させ、フローラが剣の刃をこちらの首筋にさらに押し当てる。


「あくまでも悪霊退治を続けようというのなら、私はこの場でハンナさんを殺し、貴方がたも始末するつもりです。どうか賢い選択をなさってください」


 首筋に小さな痛み。押し当てられた刃が皮膚を裂いたのだろう。ぶり返した恐怖に顔を青ざめさせるハンナ。この彼女の反応に、ノエルと父がまた表情を強張らせる。


「……アーノルドさん」


 こちらを注意深く見据えながら、ノエルが父に促すような声を掛けた。強面の顔に強い怒りと迷いを同居させた父が、拳を震わせながらぼそりと言う。


「……まさかノエル君。この魔工人形の言葉を信じるつもりではないだろうな。だから君は甘いというのだ。彼女が私たちを生かして返すとなぜ言い切れる?」


「……彼女の目的がこのイベントを乗り切ることなら、ボクたちを殺す理由がない」


「違うな。このイベントが定期的に開催されているのなら、彼女が最も恐れることは私たちが準備を整えて再度イベントに参加することだ。彼女にとってベストな行動は、この場で私たちを全員始末すること。これまでの話は私たちを油断させる方便にすぎん」


「約束は守ります」


 父の分析にフローラが口を挟む。


「このイベントの参加資格は一度きりです。そうでもなければ初参加の方と不公平になってしまいますからね。今回のイベントさえ乗り切れば私に危険はなくなります」


「アーノルドさん……どちらにせよハンナを助けるには言うことを聞くしかない」


「……私は……私は魔法を諦めるわけにはいかんのだ……」


 そう声を絞り出して、父がブラウンの瞳をギリギリと細めていく。


「そして当然……ハンナも守る。私は()()()()()救ってやらなければならないんだ」


 彼女とは誰のことなのか。僅かに困惑するハンナだが、首筋に当てられた恐怖にその感情はすぐに霧散した。判断を迷わせる父に、ノエルが苛立たしそうに口調を尖らせる。


「今はハンナの身の安全を優先して考えるんだ。その依頼主だという彼女が貴方とどういう関係なのかは知らないけど、娘の命に代えられるものじゃないだろ?」


「君に言われずとも分かっている! だがもう()()()()()! 諦めるわけには――」


 父が声を荒げた――


 その時――


 天井を突き破り巨大な何かが現れた。


 時間が引き伸ばされる。一瞬にも満たない時間の中、ハンナは天井から現れたその巨大な何かを瞬間的に理解した。それはほんの一時間前に父と乗車したばかりの――


 アトラクションの車両であった。


 天井を破壊した車両がそのまま床に激突する。振動する床にフローラの体がよろめいて、彼女の構えていた剣がこちらの首筋から離れた。考える間もなく、反射的に父のもとへ逃げようとするハンナ。だがその直後――


 彼女のこめかみを衝撃が叩く。


 ぐらりと揺れる視界。そこに拳大の石の破片が写り込んだ。どうやら破壊された天井の破片がこめかみを打ったらしい。床から天井へと視界が回転していく。視界の隅に青い髪の女性が見えた。こちらを睨みつけて剣を振り上げている。


(ああ……あたし……死んじゃうんだ)


 意識が闇に閉ざされていく中――


 冷静にハンナはそれを理解した。


 そして――


「――ハンナ!」


 彼女は父の声を聞いた。



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