第三章 古代人種の遺跡_1/4
古代人種の遺跡。ドラゴン。その捕獲に成功して、いよいよ遺跡内部へと侵入することとなった。遺跡の入口をドーラが調査している間に、遺跡内部に侵入する四人、ノエルにエヴァン、そしてハンナとアーノルドは、それぞれでその準備を進めていく。
「……って、やっぱりあたしも遺跡の中に入ることになってるのね、パパ」
自身に宛がわれた客室で、ハンナはそう諦め口調に嘆息した。特にやるべき準備も思いつかずただベッドに腰掛けているこちらに、父が首を傾げる。
「何だ? ここまで来ておいてハンナは遺跡の中に興味がないのか?」
クローゼットの中から、何やら布にくるまれた棒状の物を取り出しながら、父がそう尋ねてきた。ハンナは「それは……ちょっとあるけど」と呟き、また嘆息する。
「それで……今度はどんな理由を用意しているの?」
「取引相手は犯罪者であるドラゴンシーフだ。ここまでは友好的な態度を見せている彼らだが、最後の最後に手のひらを返されないとも限らん。私の探し当てた魔工機器を奪い返そうとお前を人質にする可能性もあるゆえ、私のそばにいるのが安全だ」
「よくもまあ……そんな言葉がさらさらと出てくるよね」
しかも絶対に在り得ないと言い切れないところが素晴らしい。だがこの父が娘を遺跡に連れて行こうとする理由がそれとは別にあることはほぼ間違いないだろう。
父は何かを隠している。それも娘である自分に関係することだ。だが古代人種の遺跡と平凡な自分との関連性など、どう首を捻ろうとも思い至らなかった。
「ハンナ。これを持っていきなさい」
父が布にくるまれた棒状のものを手渡してくる。眉をひそめながらそれを受け取り、ハンナは中身をくるんでいた布を手早く外した。
「何これ……もしかして刀?」
布にくるまれていたのは、黒塗りの鞘に収められた異国の武器――刀であった。この国ではあまり見かけないその片刃の武器に、ハンナは目を丸くする。
「お前のことは私が守る。だが自衛手段も用意しておいた方が良いだろう。ゆえに手頃な武器を屋敷から持ってきていたんだ。必要なときはこれで自分の身を守りなさい」
「身を守れって……刀なんてあたしが扱えるわけないじゃん!」
ぎょっと声を上げるハンナに、父がカラカラと気楽な調子で笑う。
「あくまで万が一の時だ。お前のことは私が守るから安心していろ」
楽観的ともとれる父の言葉に、むうっと表情を渋くする。赤い瞳を半眼にして睨んでいると、父がブラウンの瞳に僅かな憂いを浮かべて、こちらの頭にポンと手を置いた。
「その刀はな……お前の母親――メリッサ・オードリーから預かったものなんだ」
「……あたしのお母さんから?」
「お前のお母さんはとても強い人でな、あらゆる武器に精通していたが、その中でも特に刀の扱いに長けていた。その人の血を継いでいるお前なら、それを正しく扱えるだろう」
それは屁理屈ですらない妄想だろう。だが父はそれを本気で信じているのか、優しい笑顔を浮かべてこちらを見つめていた。そしてそんな父を見ていると、不思議とその理屈にすらならない言葉が真実であるかのように思えてくる。
頭に乗せられた父の大きな手。これまでも父はその手で、血のつながりがない娘の自分を守ってくれたのだ。父は嘘も吐くし隠しごともする。だがしかし――
娘へのその想いだけは本物であるはずだ。
(そうだよ……パパがあたしを裏切るようなことなんてしないんだから)
脳裏に浮かんでくる映像。
銃口を突きつけた父の姿。
父は拳銃の引き金を絞り――
メリッサ・オードリーの頭に銃弾を撃ち込んだ。
(そんなのは――ただの夢なんだから)
自身に強くそう言い聞かせて、ハンナは目の前にいる父をしばらく見つめた。
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「イヤだぁあああああああああ! やはりワシは許容できませぬぅうううううう!」
ハンナとアーノルドがデッキに戻ると、床にうずくまりながら絶叫する、大柄の老人の姿があった。立派な口ひげを蓄えた白髪の男性。魔工技師のイーモン・ロジャーだ。
イーモンの前には、支度を終えたノエルとエヴァンの姿がある。殊更に苦い顔でイーモンを見下ろしているノエル。イーモンがダンダンと床を拳で叩いて言葉を続けた。
「どうか考え直してくだい! 麗しい姫様が男になるなど世界における損害ですぞ!」
「何を訳の分からないことを……」
ハラハラと涙を流しているイーモンに、ノエルが大きく溜息を吐く。
「さんざん話したことだろ。ボクが王位を継承するには男になるしかないんだよ」
「王位などより、姫様はいつまでもジイだけの姫様であってほしいのですぅうう!」
「ジイだけの姫になった覚えはない」
「フワフワでプニプニの姫様が、ゴツゴツでギコギコの男になるなど我慢なりませぬぅううう! そのようなことになっては、毎晩と枕を抱きながら姫様の感触を夢想することができないではありませんかぁあああ!」
「そんな気色悪い真似は二度とするな」
ノエルが碧い瞳を凍えさせる。だが彼女の睨みなどどこ吹く風と、イーモンは怯むことなく懐から数冊のノートを取り出した。
「この十五年間、盗撮を含めて休むことなく記録し続けてきた愛らしい姫様の成長記録が、これを境に男の記録になるなど残酷です! 後生ゆえどうか――ああ姫様なにを!?」
「ドーラ。この悍ましいノートを焼き払っておいてくれ」
「了解しましたぁ!」
「ノォオオオオオオオオオ! ワシと姫様のメモリアルがぁああああ!」
奪われたノートを奪い返そうとするイーモンを、ドーラがさらりと回避する。だがイーモンも諦めまいと、逃げるドーラをえらい形相で追いかけた。そのままデッキでグルグルと追いかけっこする二人。疲労した表情のノエルが、ふとこちらに視線を向ける。
「ん……ああハンナ。支度が済んだんだね。見苦しいところを見せてゴメンね」
「……そうだね」
特に否定する材料もなくハンナは頷いた。ノエルの性転換についてイーモンが駄々をこねていると以前に聞いていたが、予想以上にそのこねかたが過激なようだ。
「……俺も正直、ノエルが男になることは歓迎できないんだけどな」
ポツリとエヴァンが呟く。だがそれには応えず、ノエルが「さて」と肩をすくめた。
「これで遺跡に侵入する全員が揃ったわけだ。これからこのデッキを下りて、少し離れたところにある遺跡に徒歩で向かう。遺跡の入口は事前にドーラが調べておいてくれた」
「はいぃ! ドラゴンの脇腹あたりに入口があったのでそこに向かってくださいぃ!」
「姫様の九歳から十歳までの記録がぁああ! 最後のオネショ記念日がぁああ!」
デッキを駆け回るドーラとイーモンがそれぞれ声を上げる。ノエルのこめかみにビキリと青筋が浮かぶ。だがどうにか怒りを堪えたのか、ノエルが話を再開した。
「……まあそういうわけだ。砂漠を歩くときはボクとエヴァンが先行するから、二人は十メートルほど離れてついて来て欲しい。ボクたちの進んだ道以外は歩かないこと。天然の落とし穴がないとも限らないからね」
「こんな砂漠に落とし穴?」
首を傾げるハンナに、ノエルがこくりと頷いて簡単に説明する。
「砂漠の地下には水が溜まっていることがあるんだ。不用意にその上を歩いてしまうと、地面が陥没して下手したら砂の中に閉じ込められてしまう。ドーラが事前に音響調査をしてその危険がないことを確認しているけど、用心に越したことはないからね」
「ただ歩くだけでも砂漠って大変なんだね」
思ったことをそのまま口にする。ノエルが微笑んで「そうだね」と頷いた。
「舗装された街の通りとは違うから。ただそういう意味では、古代人種の遺跡――ドラゴンの中だって安全とは言えない。むしろ危険性が予測できないだけ質が悪いよ」
「だけど遺跡って、昔の人が住んでいた場所なんでしょ? 危険なんてあるの?」
父から渡された刀を両手に握りつつ、ハンナはそう懐疑的に尋ねる。ノエルがおもむろに懐から小ぶりのナイフを取り出して、それをさっと一振りした。
「ボクたちはこのナイフの用途を知っているし、刃に触れてはいけないことも理解している。だけどナイフを知らない人がいたら、不用意に刃に触れるかも知れないだろ?」
「古代人種には日常的な道具でも、その用途を知らない俺たちには危険だってことさ」
エヴァンの補足に、ノエルがナイフを懐に戻しながら、「そういうこと」と頷く。
「それに経年劣化により、その道具が正しく動作する保証もない。古代人種の魔工機器はまだ解明が不十分なだけに、その不具合がどう表れるのか予測できないんだ。ボクとしては遺跡に――ましてやドラゴンに素人を連れて行くのは気が進まないけど――」
ノエルが父をちらりと一瞥して、やや不安そうに眉間にしわを寄せる。
「二人を連れて行くまでがアーノルドさんとの条件だからね。ただし遺跡の中では、二人ともボクかエヴァンの指示に従ってほしい。何か問題が発生した時には自分たちで解決しようとはせず、こちらの判断を仰ぐこと。もしボクたちが近くにいない時は、どこか安全な場所に隠れること。それを約束してくれ」
「そう心配せずとも大丈夫だ、ノエル君。私も昔は世界中を旅していたからな」
「……そういう中途半端な自信が一番危険なんですよ、アーノルドさん」
ノエルが困ったように苦笑する。表情を緊張させるハンナと気楽に笑うアーノルド。この二人を順番に見やり、ノエルが「何にせよ」と言葉を締めに掛かった。
「二人にはこれら注意事項をよく頭に入れておいて欲しい。繰り返すようだけど、古代人種の遺跡では何が起こるのか予測できない。絶対に危険というわけじゃないけど、油断だけはしないようにしてくれ。いいね」
そう念押しをしてくるノエルに、ハンナは緊張を高めていく。遺跡のプロフェッショナルがそう警告しているのだ。それを甘く見ることは命取りになるだろう。ハンナはそう自身に言い聞かせると、決して油断しないよう気を引き締めた。
だが結論から言えば、その心構えはまるで足らないものであった。どのような事態が起ころうと冷静でいること。そんなハンナの決意はあっけなく崩されたのだ。
しかもそれは――
遺跡の入口ですぐ起きた。




