第二章 砂漠の世界_5/5
「ああ、ノエルさんにハンナさん。おはようございますぅ」
デッキにはすでに碧い髪をツインテールにしたドーラと、黒ずくめのエヴァン、そして堅苦しいスーツ姿の父がいた。ノエルの着替え――カーキ色のロングコート姿――でデッキに出るのが少し遅れたため、見学者(?)は自分たちで最後のようだ。
「ハンナさんも見学に来られるなんて勇気があるんですねぇ。立派ですぅ」
「へ……勇気? 立派?」
古代人種の遺跡など滅多に見られるものではない。ゆえに一目ぐらいはと思っただけだが、勇気があるとはどういう意味か。ツインテールを跳ねさせてドーラが機嫌よく笑う。
「まあでもでも、駄目なときは船の中にいても関係ないですしねぇ」
「ふふ、不吉なこと言うな、ドーラ!」
デッキの手すりにしがみついて、エヴァンがそう声を震わせた。へたりと屈み込んで震えているその彼にノエルが嘆息する。
「エヴァン……いつものことだが、そんなに怖いなら船の中に隠れていればいいだろ?」
「だだだ、駄目だ! おおお、俺がいなかったら誰がノノノ、ノエルを守るんだ!」
「そういうならせめて立ってくれ」
ノエルが半眼で呟く。ここでデッキの先頭に立っていた父がこちらに手招きをした。
「ハンナ。私の隣に来なさい。パパと一緒に特等席で遺跡を見ようじゃないか」
その呼びかけに、ハンナは素直に父のもとまで駆けていった。父の隣に並んでデッキから砂漠を眺める。だが砂漠には小さな岩の影がポツポツとあるぐらいで、古代人種の遺跡らしきものはどこにも見当たらなかった。
「ハンナ。手すりにしっかりと掴まっていなさい。振り落とされたらことだからな」
「振り落とされるって……それよりもドラゴンとかいう遺跡は? 何も見えないけど」
視線を巡らせながら呟く。ハンナのこの疑問に、ドーラが虚空を見上げつつ答えた。
「うーんと……だいぶ近づいてきてますし、そろそろ顔出すんじゃないんですかねぇ」
「近づいて? 顔を出す?」
一体何の話をしているのか。そう再度疑問を投げようとしたところで――
正面にある砂漠の景色に異変が起こる。
砂漠を前進する船。『灰色の海豚』号。そのはるか前方。数百メートルは離れているだろうその位置の地面がボコリと膨らみ、瞬間砂の中から巨大な山が浮上してきた。
目を大きく見開く。突如として砂漠に現れた巨大な山。否。それは山のように巨大な別の何かだ。その巨大な何かを包み込んでいた砂が、サラサラと地面に落下していく。砂のベールが落ちた後、そこにいたものは――
巨大なトカゲだった。
「何……あれ?」
遠目に見える巨大なトカゲ。その大きさは船の十倍以上ありそうだ。全身が灰色で瞳だけが紅く輝いている。通常のトカゲとは異なる二股に分かれた尻尾に、頭部から生えた三本の角。砂漠の地面に四本の足裏と腹をつけて、こちらを鋭く睨みつけている。
「あれがリザード・ドラゴン=リバース。古代人種が現代に残した遺跡だよ」
「遺跡って……え? だってあれ動いている……生きているんじゃないの?」
ノエルの淡々とした説明に、ハンナはゆらゆらと揺れるトカゲの尻尾を指差した。こちらの疑問に「そうだよ」と首肯して――
ノエルが耳を疑う一言を告げてくる。
「ドラゴンは魔工人形と同じで知能がある。ドラゴンは――生きた遺跡なんだ」
驚愕のその言葉に、ハンナは砂漠にいる巨大なトカゲを改めて見やる。その常識外れの体格を除いては、生物としてそこまで違和感があるわけではない。だが遺跡という人工的な建造物とするには違和感しかなかった。
するとここで数百メートル先にいる巨大トカゲがおもむろに口を開く。
「――ドーラ!」
「了解ですぅうう!」
ノエルの慌てた声にドーラが応えた直後、船の進路が急激に曲がった。遠心力に振られる体を咄嗟に手すりを掴んでつなぎ止める。「ひぃあ!」とエヴァンの情けない悲鳴がデッキに響いたその直後――
巨大なトカゲから吐き出された光の矢が船を掠めて後方へと抜けた。
「なななななな――何なの!?」
エヴァンに負けない声で絶叫するハンナに、手すりを掴んだノエルが口早に答える。
「魔工人形であるドーラは事前に登録された魔工機器を遠隔で操ることができるんだ! ドラゴンの攻撃はまだ終わらない! 回避するから振り落とされないで!」
「ドラゴンの攻撃!? ちょっと待ってよ! 何でドラゴンが攻撃してくるの!?」
「侵入者対策として設けられたドラゴンの防衛システム――平たく言えば、なにガンつけてんだって絡んできてるのさ! また攻撃が来るよ! 身を屈めて!」
またも船が急激に進路を変えた。トカゲから伸びた光の矢が船の尻を掠める。ガタガタと不安定に揺れる船に、顔を青くして屈み込むハンナ。恐怖に肩を震わせていると、その肩を父が優しく抱きしめた。
「心配するなハンナ。私が付いている。お前のことは私が必ず守ってみせる」
父の言葉に、胸に膨れていた不安が嘘のように消えていく。僅かながら冷静さを取り戻すハンナ。その彼女の耳に、何とも緊張感のないドーラの間延びした声が聞こえてきた。
「これ以上接近してしまうと、攻撃を避けられなくなりそうですねぇ。でもこの距離からではこちらの主砲が当たりそうにありませんしぃ……ってことでノエルさん」
「分かった。準備はできているよ」
ノエルがギラリと目尻を尖らせる。この状況で彼女に何ができるのか。固唾を呑んでノエルとドラゴンを交互に見やる。ノエルの金色の髪がざわりと逆立ち――
彼女の気配が空間へと広がる。
「――へ!?」
ノエルとドラゴンを交互に見ていたハンナは、周囲に広がる景色の変化にすぐ気付いた。味気ない灰色の世界。伽藍洞としていたその砂漠の景色に無数の影が浮かんでいた。砂漠を泳ぐその影は魚に酷似した姿形をしており、端的に言うならそれは――
『灰色の海豚』号そのものであった。
この船――『灰色の海豚』号を取り囲むようにして砂漠を泳いでいる、無数の『灰色の海豚』号の影。奇怪な光景に唖然としていると、父のポツリとした呟きが聞こえてきた。
「ノエル君が保有する魔法だ。私も話に聞くだけでこの目で見るのは初めてだがね」
「魔法を保有?」
困惑しながら聞き返す。父がこくりと首肯して、さらに説明を補足する。
「ドラゴンの魔法には様々なタイプがあり、中には生物に組み込まれるものもある。ドラゴンの魔法を組み込まれた者は魔法保有者と呼ばれ特殊な能力を操るという」
「そしてボクの保有する魔法は『蜃気楼』。対象物の幻を生み出す能力だ」
父の説明を引き継いだノエルが、こちらに視線を向けてニヤリと笑った。
「まさかボクの魔法まで知られているなんて。ドラゴンシーフのボクたちに軽々と接触してきたことも含めて、アーノルドさんは軍よりもよほど優れた情報網を持っていますね」
「……仕事柄な。国の至るところにコネクションを持っているんだ」
父の回答に「仕事柄ね」と、ノエルが含みある呟きを漏らす。沈黙して視線を交差させる父とノエル。だがそれも一瞬のことで、ノエルがその視線をすぐドラゴンに移した。
「これで行けるか、ドーラ!?」
「やってみますぅ!」
船の進路が変わりドラゴンへと一直線に進んでいく。ドラゴンが口を開いて光の矢を放つ。だがその光の矢はこちらから大きく逸れて、ノエルが生み出した影を呑み込んだ。ドラゴンが影に翻弄されている。その隙にドラゴンとの距離を詰めていく。
「そろそろ射程距離に入りますぅ! 主砲の準備をしますねぇ!」
船の前面がパカリと開き、そこから巨大な筒が突き出してくる。これが『灰色の海豚』号が有する主砲なのだろう。ドラゴンとの距離がさらに縮まり、残り百メートルほどとなる。ドーラの碧い瞳が、照準を定めるようにキリキリと細められていく。
「主砲の再使用には一時間の魔力チャージが必要ですぅ! この距離ではドラゴンの攻撃を回避できませんし、これを外したら全滅確実! 皆さん悔いのない人生でしたかぁ!?」
「だから不吉なこと言うなぁああ! だけどノエルだけは俺が守るからぁああ!」
「うるさいぞエヴァン! 魔法に集中できないだろ! ドーラ! 攻撃まであと何秒!?」
「あと三秒――二――一――」
ここで――
大きな振動とともに船が跳ね上がった。
緩やかに流れる時間の中、手すりを握りしめたまま状況把握に努める。体に掛かる重力。それが九十度と変化していた。足元から背中に移動した重力が、手すりからハンナの手を引き剥がそうと力を込めてくる。その脅威に抗いながらハンナは理解した。
まるでイルカが跳ねるように、この船は船首を上空に向けて宙に浮いているのだ。
先程の衝撃。恐らく砂漠にポツポツと浮いていた小さな岩に船が乗り上げたのだろう。それで船体が跳ねて船首を上空に向けた。そういうことだ。そしてその時――
船の主砲から光の弾が撃ち出され、何もない上空を虚しく貫いた。
船尾から地面に着地して、傾いていた船体が重力のままに元の角度に戻される。ズシンと揺れる大きな衝撃に手すりから手が離れそうになる。だがもはやそれに恐怖する余裕さえもハンナにはなかった。
眼前のドラゴンがこちらを睨んでいる。激しい物音を立てたため、標的を幻からこちらに移したのだろう。ドラゴンの殺意を湛えた紅い瞳に睨まれて体が硬直する。
「……もう駄目」
絶望的にそう呟く。ドラゴンの紅い瞳にある殺意がさらに大きく膨れたその時――
「――いや、予定通りだ」
ノエルの自信に満ちた声が聞こえてきた。
この直後、上空から落下してきた光がドラゴンの胴体に突き刺さる。咆哮を上げて身をよじらせるドラゴン。だが幾らドラゴンが暴れようと、ドラゴンの胴体に杭のように突き立てられた光は微動だにせず、ドラゴンをその場に固定していた。
呆然とデッキにへたり込む。歩いてきたノエルがハンナのすぐ隣で立ち止まり、光の杭を打ち込まれたドラゴンを眺めた。
「もともと上空から主砲の弾を突き立てて、ドラゴンを拘束するつもりだったんだよ。ただ船首にある砲台だと角度が悪いからね。岩にわざと乗り上げて船体を傾けたんだ」
「ドラゴンを……拘束?」
震える舌で尋ねる。ノエルがこちらに視線を向けて、こくりと頷いた。
「ドラゴンは古代人種の遺跡だからね。お宝を手にするには、ドラゴンを拘束してその中に侵入する必要がある。光を編み込んだ主砲の弾は自在にその形を変えられる。返しの付いた光の杭はそう簡単には外れないよ。ただ半日ほどで光は消失しちゃうから、なるべく早くドラゴンに入る準備をしようか」
さらさらと淀みなく説明をするノエル。だが極度の緊張状態にあったハンナは、その彼女の声が半分も聞こえていなかった。




