第二章 砂漠の世界_3/5
無意識に唾を呑み込む。ノエルの口から出た二つの単語。ドラゴン。そして古代人種。どちらも聞き覚えのある単語だ。だが一般に馴染みのない言葉でもある。ハンナの困惑に気付いたのか、ノエルが解説をする。
「古代人種の存在は聞いたことがあるよね? 百年以上前に絶滅したと言われている、高度な文明を築いていた人間――正確には人間の亜種とされている種族なんだけど」
「……学校で習ったことがある。古代人種は魔工機器の原物を造った人だって」
やや自信なく話すも、ノエルが「その通りだよ」と微笑んだ。
「彼らだけが感知できたとされる未知のエネルギー。魔力。それを用いた工学装置が、ボクたちが魔工機器と呼んでいるものだ。現在ではその魔工機器の複製が数多く出回っているけど、未だに複雑な魔工機器はレプリカの製造が困難だとされている。それだけ古代人種の科学技術が優れていたということだね」
「ドラゴンは……その、空想上の動物だよね? でも古代人種の遺跡って?」
首を捻りながら尋ねる。ノエルが一度頷いてすぐに頭を振った。
「確かに空想上の動物としてドラゴンはいるけど、ここで話しているドラゴンはそれと別物だよ。古代人種の遺跡。その中でもある特徴を有したものがそう呼ばれているんだ」
「その特徴がえっと……常世界法則……」
「常世界法則変換装置。ドラゴンの遺跡はそれ自体がひとつの大きな魔工機器で、常世界法則を書き換える機能を有した装置なんだ。その機能を正しく使えば、あらゆる願いを叶えることができる。古代人種はその強力なドラゴンの機能を――」
ノエルが一拍の間を空けて言葉を続ける。
「『魔法』と呼んでいたそうだ」
市場に出回っている魔工機器のレプリカ――調理器具や照明器具など――は、その優れた性能から今では生活に欠かせない必需品となっている。それら魔工機器は幾つもの人類の願いを実現してきたわけだが、当然ながら全ての願いを叶えられるわけではない。
あらゆる願いを叶える魔工機器。ドラゴンの魔法。本当にそんなものが存在するのか。
懐疑的に眉をひそめるハンナに、ノエルが「もっとも」と手をハラリと振る。
「これはあくまで極論だ。実際のドラゴンの魔法には一定の規則がある」
「規則?」
「その規則に適合する願いであれば、それがどれほど非現実的だろうと実現できる。だけどその規則に適合しない願いは、どれほど些細な願いだろうと叶えることはできない」
「えっと……ちょっと難しいかも」
「例えば何かを『破壊する』魔法なら、小さな飴玉からこの世界そのものまで何でも破壊することができる。だけどその魔法では飴玉ひとつ創造することができないんだ」
ノエルのさらりと口にした言葉に、ハンナはぎょっと目を丸くした。
「世界って……もしそれが本当なら、それって恐いことなんじゃないの?」
「とても恐ろしいことだよ。だから魔法の取扱いには十分に注意しないとね」
ノエルがいまいち緊迫感なく言う。ハンナはやや躊躇いながらも恐々と尋ねる。
「あの……この船はその遺跡――ドラゴンのところに向かっているって言っていたけど、そのドラゴンにも魔法があって、規則みたいなものがあるの?」
「もちろんあるよ。この船が向かっているドラゴンの名前はリザード・ドラゴン=リバース。その名前にもあるように、ドラゴンが有している魔法の規則は『反転』と呼ばれるもので、事象や概念を反転させるものだ」
「反転する……何だかすごいような大したことないような……」
直前に破壊などという物騒な例を聞いていただけにやや拍子抜けする。だがそんな気を抜いていたハンナに、ノエルが「強力な魔法だよ」と表情を引き締める。
「単純に重力を反転させるだけでも、ボクたちは空の上に落下していくことになるんだからね。他のどの魔法にも言えるけど、使い方を誤れば人間なんて簡単に絶滅する」
ゾクリと背筋が凍える。そしてハンナは魔法の恐ろしさを改めて認識した。事象や概念の反転。そんな単純な魔法でも、嫌いな相手をひっくり返すことから世界を滅ぼすことまで、際限なくできてしまうということか。
「ど、どうしてそんな危ない魔法があるドラゴンのところに行こうとしているの? そんな魔法なんて放っておけばいいじゃない」
「それは私がこのノエル君に、ドラゴンまでの送り迎えを依頼したからだ」
ここで父が会話に割り込んだ。思いがけない父の言葉にポカンと目を丸くする。父がひげの剃られた顎を撫でながら、淡々とした調子で言う。
「実は取引している顧客の一人が、どうしてもとある特別な魔工機器を仕入れて欲しいと依頼してきてな。色々調査したところ、その魔工機器はこれから向かう遺跡――ドラゴンの中にあることが分かった。ゆえにそれを調達しに行こうと思ったわけだ」
「古代人種の遺跡であるドラゴンの中には、魔法の他にも沢山の魔工機器が残されているんだ。その魔工機器の市場価値は、或いは魔法よりもよほど現実的な魅力になる」
ノエルの補足を聞きながら、ハンナはクルクルと思考を回転させて懐疑的に尋ねる。
「あたしの勘違いだと思うけど……古代人種の遺跡にある魔工機器ってことはオリジナルよね? オリジナルの魔工機器を個人で取引したら違法じゃなかったっけ?」
「うむ違法だ。オリジナルの魔工機器は発見未発見に拘わらず、政府が管理することになっているからな。もしバレれば即刻極刑が言い渡されるほどの重罪だ」
「それじゃあ駄目じゃないのよぉおおお!」
手を戦慄かせて絶叫する。だがこちらの非難など意に介さず、父が軽く肩をすくめる。
「バレればの話だ。流通業を営んでいる会社ならば、多かれ少なかれこのような不正な取引をせざるを得ないこともある。だが事情が事情だけに正規の流通網は使えない。蛇の道は蛇。ということでドラゴンシーフであるノエル君に依頼したわけだ」
ドラゴンシーフ。確か軍人もノエルのことをそう呼んでいた。ぐるりとノエルに視線を回転させる。瞳孔を見開いたハンナの視線に、ノエルがニコリと柔和に微笑む。
「ドラゴンシーフというのは、古代人種の遺跡であるドラゴンに侵入して、そこにある魔法やら魔工機器やらを持ち帰り、顧客に売買する人たちのことを言うんだよ」
「……それって合法?」
「もちろん違法」
「泥棒だもんねぇええええええええ!」
可愛らしく微笑んでいるノエルに、ハンナはハラハラと涙を流して地団太を踏む。
「ノエルの嘘つき! 仕事はキャラバンだって言ってた癖にぃいいいいいい!」
「商品を流通させて生計を立てている点では同じだろ? ボクたちと正規のキャラバンの違いと言えば、その扱っている商品が非合法か合法かってことだけだよ」
「果てしなく大きな違いよぉおおお!」
グスグスと鼻水まで垂らすこちらに、父がカラカラと呑気に笑う。
「まあそういうわけで、ドラゴンを調査するには彼らドラゴンシーフに協力してもらうのが最適だったわけだ。私は情報網をフル活用してドラゴンを調査、その位置情報と目的となる魔工機器を譲ってもらうことを交換条件にして、ノエル君に取引を持ち掛けた」
「ドラゴンシーフの仕事で一番苦労するのがその場所の特定だからね。たったひとつの魔工機器を譲る代わりにその情報を渡してくれるなら、悪くない取引だったんだ」
「そしてその話し合いの中で、ひょんなことでハンナの話になってな。ノエル君に写真を見せたところ甚く気に入ったようで、今回の見合いが決まったというわけだ」
父とノエルが一連の流れを交互に説明する。ハンナは自身の話題になったところで、何とか気を落ち着かせながら疑問を投げた。
「お見合いって……あたしもノエルも女の子なのに成立するわけないじゃん」
「そのことなら大丈夫だよ、ハンナ。話しただろ? いま向かっているドラゴンの魔法は事象や概念を『反転』させるものだって」
意味が分からず首を傾げる。疑問符を浮かべるハンナに――
ノエルがあっさりとこう告げてきた。
「ボクはその魔法で、自分の性別を反転するつもりだ。それさえ上手く行けば、ボクとハンナは晴れて異性になるわけだから、何の問題もなくなるわけだよ」




