表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドラゴンシーフ  作者: 管澤捻
プロローグ
1/29

プロローグ_1/1

 そこは薄暗い部屋であった。


 背後から差し込んでいる月明かり。その青みがかった光に照らされる調度品の数々。猫足の上等なテーブルに、繊細な意匠が施された金縁の椅子。複雑な文様が刺繍された厚い絨毯。一見して高価と知れるそれら調度品が、薄闇の中で静かに沈黙している。


 彼女はゆっくりと瞬きして、意識を全身に這わせていった。お尻と背中を支えている柔らかいクッション。どうやら自分は今、椅子に腰掛けているらしい。


 どうやらというのは、椅子に腰掛けた記憶が彼女になかったためだ。否。椅子に腰掛けた記憶だけでなく、それより以前の記憶の全てが欠落していた。まるでこの瞬間に――


 彼女の意識が生まれたように。


(この部屋を――あたしは知っている)


 彼女はぼんやりと思う。馴染みのある部屋。だがどういうわけか余所余所しくも思える。長いこと住み慣れた自身の家のような、訪れたばかりの他人の家のような、そんな矛盾した感覚が彼女の心をざわつかせる。


(あたしは――誰?)


 自分の名前が思い出せない。まるで霧に書かれた文字のように、記憶を探ろうとも伸ばした手が空を切るだけだ。嘆息しようとした彼女は、そこでふと気付く。


(……体が動かない)


 それは正確な表現ではない。意識が目覚めてよりこの短い間にも、彼女は幾度か瞬きをして、呼吸して肩を揺らしている。だがそれら挙動は彼女の意志によるものではなかった。彼女とは異なる何者かの意志が、彼女の体を動かしているのだ。


(アナタは誰なの?)


 同じ体の中にいるその何者かに胸中で呼びかける。だが返事はない。するとここで彼女の意志とは無関係に視線が動く。ちらりと横に向けられた視界に――


 一人の男性が映された。


 この部屋と同様に、上等なスーツに身を包んだ男性だ。身長は高い。それほど高齢には思えないが、若いかも分からない。なぜならその男性の顔は月明かりの陰になり、隠されていたからだ。男性を見つめることしばらく、暗闇の奥から男性が呟く。


「……正直に話そう」


 心安らぐ男性の声。彼女はその男性がとても大切な存在であることを悟る。だがそれが誰なのか思い出せない。男性の言葉に首肯する彼女の体。男性が一呼吸の間を空けて、暗闇の中で小さく頭を振る。


「俺は君のことを愛していた。君が俺をただの友人としか見ていないことは理解している。だがそれで構わなかった。君は自由だ。誰のものにもなってはならない」


 彼女の体が苦笑する。男性が僅かに呼吸を止めて、絞り出すように息を吐く。


「それだけに……本当は胸が痛むんだ」


 男性が右手をゆっくりと持ち上げる。彼のその右手には月明かりに照らされた――


 拳銃が握られていた。


「お前が気に病むことじゃない」


 彼女の体がそう話した。自分とは異なる口調だと、彼女はぼんやりと思う。男性の握る拳銃を恐がる様子もなく、彼女の体が穏やかに言葉を続ける。


「これは私の望んだ()()だ。ほんの僅かな時間だけでも夢を見たいのさ」


 暗闇に隠された男性の表情が、苦しそうに歪んだのが分かった。男性の右手に握られた拳銃。その闇の湛えられた銃口が、彼女の体へと向けられる。自身に向けられた銃口を見つめて、彼女の体が優しく笑った。


「――を頼んだよ」


 彼女の体が呟いた言葉。だがそれはよく聞こえなかった。まるで誰かに耳を塞がれたように。だが男性にはその言葉が聞こえていたのだろう。暗闇の中で頷いて、拳銃を構えたまま一歩こちらに近づいてきた。


 月明かりの中に男性が足を踏み入れる。暗闇に隠されていた男性の顔が、月明かりの中に顕わとなった。彼女は意識だけで息を呑む。うなじでまとめられたブラウンの長髪に、刃を思わせるブラウンの鋭い瞳。見慣れた顔。その男性は――


(パパ?)


 男性の右手に構えられた拳銃。その銃口が彼女の額にピタリと固定される。彼女は咄嗟に逃げようとする。だがやはり体が動かない。彼女の体を支配している何者かの意志が、この状況を受け入れていた。


 男性の指が拳銃の引き金に掛かる。キリキリと絞られていく引き金。怯えることもなく男性を見つめる彼女の体。引き金を絞る男性の指が僅かに震えて――


「また会おう。メリッサ・オードリー」


 引き金を絞り切る。


 銃口が弾けると同時に、彼女の体が背後へと仰け反った。頭蓋に侵入した熱を湛えた銃弾。その冷たい感触。それを悪寒とともに感じながら――


 彼女の意識は帰還した。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ