悪役令嬢ものアニメの世界にTS転生したと思ったら『原作』の乙女ゲームの方だった件について
みなさん神を信じますか。
私は信じます。いや存在は信じてるけど信仰はしていない。なぜなら手違いで殺されて転生させられたからだ。でも美人(男)に生まれたことに関して感謝はしています。
私の今世での名前はイライアス・ガーフィールド。ガーフィールド伯爵家の三男だ。家族にはライと呼ばれている。
兄弟構成は兄が二人と妹が一人。妹は一歳年下で、初めての女の子ということで両親にも兄にもものすごく可愛がられている。伯爵家は男家系一族なので女の子がレアらしい。
一方で三男の私は放置気味なのだけど、幸か不幸か中身は成熟した人間なのでグレずに済んだ。一応私も小さい頃は天使のごとく愛らしい少年だったし、今も顔面偏差値爆高の超絶美青年なのだが。
まあ、三男が放置されるというのもこの世界の事情的には分からなくもない。剣と魔法の封建制度のあるこのファンタジーワールドにおいては、貴族の爵位を継ぐのは長男だ。次男はスペア。三男以降に爵位が回ってくることはまずない。なので貴族といえど自分で身を立てなくてはならない。
放置プレイをいいことに私は好きなように勉学と鍛錬に励んだ。前世は怠け者気質だったが、なんせ今世はイケメンだ。しかもスペックも高い。やればやるだけできちゃうもんだから努力も苦にならなかった。
この家族と田舎暮らしを続ける気にもならないので、目指すは王都の騎士団入りだ。この世界の貴族はみんな王都の学園に通うのだという。そこでいい成績を修めればキャリア官僚にもなれるとか。
私は頑張った。脱いだらすごい美青年騎士、最高じゃん。上の兄は私に興味なさそうだったが、下の兄は私の面倒を見てくれた。剣の稽古もこの兄、ウォーレン兄さんが相手してくれた。
「ライなら首席も狙えるよ。でも目立ちすぎないように最初はそこそこにね」
「目立ったらまずいかな」
「うーん、ライと同じ学年には王子殿下がいらっしゃるから、気に入ってもらえれば側近になれるかもね。でもそうじゃなければ領地に縛り付けられると思うよ。父上や兄上にこき使われるのは嫌だろう?」
それは勘弁してほしい。そりゃまあ、養育費は払ってくれてるけど、私の教育はレン兄さんと妹の片手間でされてた感満載だ。恩義とかは感じられません。結婚相手を勝手に決められるのも嫌だし。期待も金もかけてない三男なんだから自由恋愛させてください。
「わかった。その辺はこれまで通り上手いこと調整する」
「僕も兄さんに子供が生まれたらお役御免だからね。さっさと王都に行って就職するよ」
「レン兄さんなら大丈夫だろ」
「ありがとう、ライ」
上の兄、エルヴィス兄上は既婚だ。最近奥さん、つまり私の義姉が妊娠したらしいので、子供が男の子ならレン兄さんはスペアとして必要なくなる。レン兄さん的には領地に残るよりは私のように王都で就活して身を立てたいらしい。
そんなこんなでついに学園に入学する年になり、やってきました王都!学園!そびえ立つデカい建物!……デジャヴ!
なんだったかなーと考えたところで脳裏に浮かんだのはテレビだった。映る背景画像は目の前の白亜の建物のそっくりである。転生してから十五年も経ってるのによく覚えているものだ。そう思いながら私は手を打った。
この世界、アニメの世界か!
前世の私はオタクだった。就職する前は結構熱心に推しを追いかけたり沼ジャンルに頭のてっぺんまで浸かってたりしたものだが、社会人になって以降は悲しいかな、仕事に忙殺されていた。オタクと言ってもなんとなーくそのクール話題のアニメを眺めたり惰性で買い続けている少年漫画を積んだりしてるタイプのライトなオタクと化していた。
そして死ぬ前に見ていたのが……タイトル忘れた……やたら長いタイトルの、悪役令嬢ものアニメだった。悪役令嬢ものというのはその時の流行りのジャンルで、乙女ゲームのヒロインのでヒロインいじめたり結果として死んだり悲惨な目に遭うライバルポジションの悪役令嬢に転生してしまった主人公が、その運命に立ち向かうものである。
確か私が見たアニメでは主人公は王子の婚約者で、ヒロインをいじめたと王子に婚約破棄を突きつけられるけどうまいこと立ち回って断罪回避をするやつだ。それから主人公は他の男に見初められてハッピーエンド、逆にひどい言いがかりをつけた王子とヒロインはバッドエンドみたいな感じだった。ざまぁされていた。
ということは、この世界の主人公はハーバート王子殿下の婚約者であるアークライト侯爵令嬢ということか。ハーバート王子殿下がロクな末路を辿らないなら関わらないでおこう。 伯爵家とはいえ政治に関わる立場でもないし、目立たなければ目をつけられることもないだろう。
救済みたいなのは……よくわからないし下手に手を出して巻き添えにはなりたくないのでやめておきます。勘弁してください。
◇
一年目は平穏に過ごした。王子もこっちに興味を持つことはなく、友人を作ったり鍛錬したり勉強したりちょっとそこらのダンジョンに足を伸ばしたり楽しかった。
問題は二年目だった。アークライト侯爵令嬢とヒロインが入学してきて一ヶ月足らずで王子とヒロインことハットン男爵令嬢の関係が噂になったのである。
「ヒロイン手ェ早っ」
思わずそう言ってしまったのも仕方ないだろう。友人のノルベルトが目を瞬かせる。
「ヒロイン?」
「いや、こっちの話。殿下もなんというか……」
「まあ、わかるぜ。アークライト侯爵令嬢の王妃教育って相当厳しいらしいぜ。そん中で殿下が浮気なんてあんまりだよ」
「なかなか厄介な令嬢が入学してきたな」
とはいえノルベルトのアークライト侯爵令嬢への好感度は悪くなさそうだ。主人公として上手く立ち回ってきたんだろう。ハーバート殿下とハットン男爵令嬢には近寄らないでおこう。
そう思ったのにできなかったのは、アークライト侯爵令嬢がハットン男爵令嬢に言いがかりとしか思えない難癖をつけているのを目撃したからだ。
「あなたのような平民上がりが殿下に近づくなんておこがましくてよ。大体なんなのかしらその服装は?みすぼらしいと思わないのかしら」
「……」
ハットン男爵令嬢は俯いて唇を噛み締めている。それを見て勝ち誇った表情のアークライト侯爵令嬢とその取り巻きのみなさん。いやいやいや、どういうこと!?
これじゃ普通にいじめだ。あと平民のことを悪くいう貴族ってフラグだ。これじゃあまるでアークライト侯爵令嬢が悪役……。
……まじで?
いや、確かに「主人公」は「悪役令嬢」だったけど。転生したのが劇中劇――「原作」の乙女ゲームのほうの世界なんてありかよと頭を抱えたくなる。
もしかして私が知らなかっただけで「原作」は存在したのかもしれないが。いや知らんし。そこまでハマってないし、なんにせよプレイしたことないわそのゲーム。
私は固まってしまったが、不意に顔を上げたハットン男爵令嬢と目があってしまった。やばい。ここで見捨てるという選択肢は流石に取れない。良心が痛むので。さっさと逃げておけばよかったと思いつつ、私は物陰からスッと一歩進み出た。
「ご機嫌麗しく、ご令嬢がた」
「あなた……」
アークライト侯爵令嬢が私を見て目を瞬かせる。ええい、ままよ。
「あなたに名乗る栄誉を与えていただけますか?アークライト侯爵令嬢」
「……、許しますわ」
「ありがとうございます、麗しき姫。ガーフィールド伯爵が三男、イライアスと申します」
アークライト侯爵令嬢にこうべを垂れたことでハットン男爵令嬢をいじめていた場面を目撃されても問題ない人間と判断されたらしい。
一方で場違いに自己紹介をした私にハットン男爵令嬢は驚いた顔をしていた。……どういう感情だろう、コレ。
「アークライト侯爵令嬢、あなたのお耳に入れたいことがございます。私に時間をいただけますか?」
「よくってよ。付いてきなさい」
平身低頭モードが効いたのか、アークライト侯爵令嬢は機嫌よく頷いてくれた。去り際にハットン男爵令嬢にさりげなくウィンクしておく。私は敵ではないのでさっさと逃げてください。ついでに王子と関わらないでくれると平穏です。
さて、アークライト侯爵令嬢に連れてこられたのはサロンである。私は目立たないように過ごしているし、サロンはどちらかというと女生徒がよく使っている社交場なので入るのことはほぼない。男生徒は人によるけど、騎士を目指しているなら鍛錬場で語ってる場合が多い。私もそうである。
「それで、なにかしら?」
アークライト侯爵令嬢は優雅な仕草でパチンと扇を畳んだ。厳しい王妃教育を受けているというだけあり、アークライト侯爵令嬢の佇まいはそこらのお嬢様とは比べ物にならないくらい洗練されている。ちょっと緊張してくるくらいだ。
「先程は何をされていたのですか?」
「見ての通りよ。あの身の程知らずの小娘に優しく注意して差し上げたのよ?」
優しくはなかろう。私は顔には出さずに頷いた。
「それは王子殿下の振る舞いに関係することですね」
「あなたも知っているのね?嘆かわしいこと」
「ええ、全くです。あなたのような麗しい婚約者を差し置いて他の令嬢と親しくするなど、まともな男のすることとは思えません」
バッサリと切り捨てるとアークライト侯爵令嬢は片眉を上げた。私がこんなに王子に不敬発言するとは思ってなかったのだろう。
「なによりあなたと殿下の婚約は家同士の契約です。それを裏切るとは、アークライト侯爵家をどのように思っていらっしゃるのか……」
「何をおっしゃりたいの」
「此度のこと、軽く受け止めずに侯爵閣下にご相談すべきかと」
婚約者を蔑ろにするのは言語道断であるが、なにより王子が忠臣を無下にするのはいけない。ハットン男爵令嬢をいじめるより建設的に行こうではないか。
「婚約者間のことですのよ」
「相手は王子殿下です。そしてあなたは将来の王妃として多大な時間を費やしていらっしゃる。すでにあなたと殿下の間だけの話ではないでしょう」
アークライト侯爵令嬢の瞳が揺れる。なんかいけそうだ。私は精一杯切なげな表情を作ってアークライト侯爵令嬢を見つめた。
「あなたをないがしろにする男など、仕える価値はありますでしょうか?麗しき姫、どうかよくお考えください。あなたはあなたのままで素晴らしい女性です。王子殿下のためにご自身を貶める必要などないのです」
そう訴えかけると、アークライト侯爵令嬢はにわかに頬を赤く染めた。顔面の良さでゴリ押し作戦が少しは効いたようだ。
あんまり長居すると、今度はこちらの仲を勘繰られてしまう。冗談でも笑えないので私はさっさと撤退することにした。
アークライト侯爵令嬢への説得が功を奏したのか、それ以上ハットン男爵令嬢がいじめられているところは見ずに済んだ。逆に何度か、侯爵令嬢が王子殿下に直接文句を言っているのは見かけたが、あれは侯爵家のスタンスとして「いちおう王子に注意はしましたよ、言うこと聞かなかった方が悪いんですよ」という実績作りのためだろう。
あとアークライト侯爵令嬢がたまーに修練場に表れるようになったのだが、誰かお目当ての男子生徒ができたのだろうか。ちゃんと婚約が破棄されるまでは大人しくしてほしいところだ。
「なあライ、お前アークライト侯爵令嬢になんかしたのか……?」
なぜかノルベルトに訊かれたが、知りません。私は何もしておりません。
そんなわけアークライト侯爵令嬢が「悪役令嬢」になることはもうないと思う。一方で王子は相変わらずハットン男爵令嬢とよろしくやっているし、王子の取り巻きもハットン男爵令嬢と仲良しそうだ。
しかし油断はできない。実はあれからハットン男爵令嬢からもの言いたげな視線を送られることがあるのだ。ロックオンされた?いや、まさか。
「あの、イライアス様」
できるだけ友人と集団行動したりしてハットン男爵令嬢を避けてはいたのだが、いつまでも続かない。ついに意を決してやってきました!と言わんばかりのハットン男爵令嬢につかまってしまい、私はピンチに陥っていた。
しかも何が悪いかというと、王子殿下もセットでついてきた。やめてくれ、そんなセットは全然お得じゃない。
「私に何か御用でしょうか、殿下」
あえてハットン男爵令嬢をスルーして王子殿下に話しかけてみると、殿下はふんと鼻を鳴らした。
「エリィがどうしてもというから許可するが、手短に済ませろよ」
いや何を?私がハットン男爵令嬢に話しかけたがっているように解釈するのはやめてほしい。切実に。
「こ、こ……っ、この間はっ、ありがとうございました」
声を震わせながらなんとか絞り出したといったふうのハットン男爵令嬢がぺこりと頭を下げる。これが演技だったら怖いな。天然だったらもっと怖い。
「すみませんがお嬢さん、私が何かしましたでしょうか?」
「オリアーナ様から助けてくれましたよね?」
「さて、記憶にございません」
しらを切ろうとすると王子殿下が不満そうに睨んできた。「エリィと話をしたら忘れるわけがないだろう」とか言うけど――実際忘れたわけではないのだが――ちょっと横暴ではないだろうか。俺様系キャラだったかあ。
「お礼に、受け取ってくれませんか?」
ハットン男爵令嬢も私の発言をスルーしてバスケットを差し出してくる。中に入っているのは手作りっぽいクッキー。手作りのお菓子をほぼ面識のない相手にプレゼントするんじゃない。
「申し訳ありません、身に覚えがありません。それと女性からの贈り物は受け取れないのです。死んだ祖母の遺言で」
めんどくさくなって雑な言い訳を繰り出すとハットン男爵令嬢はしょぼんと肩を落とした。
「そ、そうなんですか……。おばあさんの遺言なら……」
通じた。
「うむ……祖母の遺言では仕方ないな……」
王子も納得した。ありがとう死んだおばあちゃん。会ったことすらないけど。
「では私はこれで」
そそくさと立ち去る。クッキーは王子が処理してくれるだろう。よかったね、好きな子からクッキーもらえて。私は切実に要りません。
ハットン男爵令嬢からの接触がこれで済めばよかったのだが、これを機に向こうから何かにつけて声をかけてくるようになった。私は逃げ回った。くそう、こうなるなら見捨てて逃げておけばよかった。一抜けして隣国に留学に行くというアークライト侯爵令嬢が羨ましくて泣ける。
「ライ、ハットン男爵令嬢に何したんだよ……」
「私は何もしてない!信じてくれノルベルト!」
「はあ、信じるよ。でもあの娘が追いかけてんの他は高位貴族の方々なのにお前だけちょっと外れてるのは気になる」
「甥が生まれたから私が伯爵家を継ぐ可能性はゼロだぞ。成績も良くないし」
「良くないように見せかけてる、だろうが」
ノルベルトにはもう私の成績のことはバレているし、家の事情のこともばらしている。ノルベルトも私と同じような立場なので付き合うにしても気が楽な相手だ。
「あとお前、なんか一年の間で悪い噂立ってたぞ」
「悪い噂?どんなだ」
「女をとっかえひっかえしてるとか」
「……どこかで恨みを買っただろうか」
できるだけ目立たないが信条の私なので、一年生と関わりなんてない。話したことがあるのもアークライト侯爵令嬢、ハットン男爵令嬢、あと頭数に入れていいのか分からないが妹くらいなものだ。つい首を傾げてしまった。
「お前綺麗な顔してるからなあ。どっかで知らないうちにトラブルひっかけてる可能性はある」
「そうか。じゃあどうしようもない」
「諦め早っ」
だって顔がいいのは生まれつきだし、顔がよくないとやる気でないから対処しようがないし……。顔のいい男は健康にもいいからサイコー。おかげで私は今世で体調を崩したことがほぼない。「外見だけだよライが儚いのは」とレン兄さんにも言われた。
「とにかく鍛錬の時間もずらしてなるべく出歩かないようにする。部屋で楽器か刺繍でもしてるか」
「そういやお前裁縫できたけど、刺繍もできるんだ」
「暇つぶしに覚えた」
剣の鍛錬をしていると服が破けたりボタンが飛んだりすることだってある。貴族の男子は案外そういうのに対応できないものだが、私には前世の経験値がある。ノルベルトの服の繕いだって何度もやってやった。
ちなみに刺繍も覚えたのは前世でだ。推しのぬい服を自作する際にエンブレムを刺繍したくて、四苦八苦しながら縫い上げたのはいい思い出だ。
「えーじゃあ俺のハンカチに刺繍してくれよ。ライの刺繍ってなんか縁起よさそうじゃん」
「いいけど、恋人にもらったとか見せびらかすつもりか?むなしくなるぞ」
「ちげえよ!」
そういやノルベルトも婚約者とかいないんだっけ。刺繍一つとってもこの世界ではおまじない以上の効果を込められるらしいからこれを機に極めてもいいかもしれない。
◇
とかなんとかしばらく大人しくしていたのだったが、そうもいかなくなる事件が起きたのは校外実習の時間だった。
この学園では一年生と二年生がグループになって実習を行う。学園の近くの森で魔獣と戦うというのが実習内容で、メインは一年生、二年生がそのサポートという形だ。グループ員は学園の方で決めるのだが、くじびきとかそんなのではない。いろいろと貴族の間の関係性を鑑みて無難な組み合わせにされるのだ。
私のグループは郊外に領地を持つ伯爵~男爵の子女が集まっていた。なぜか一年にはちょっと遠巻きにされたが、ノルベルトから聞いた噂を思い出したので無理に距離を詰めないことにする。残念ながらノルベルトは別グループだ。
「足を引っ張らないでくださいね、お兄さま?」
そして妹が同じグループだった。妹とは家でも学園でもほぼ関わりがなかったのだが、なんか雰囲気がとげとげしい。まあ年頃の女の子が兄のふしだらな噂を聞いたら嫌悪感くらい抱くか。
実習は森の奥の指定された場所に行く往路、そこから学園に戻る復路がある。往路は問題なく進み、復路の中盤に差し掛かった頃――森の奥から悲鳴が上がった。
「別グループか?」
あたりを見渡す。漂ってくるのは血の臭いだった。嫌な予感がする。
その予感に応えるように、がさりと茂みが揺れた。令嬢がただけではなく一年の男子生徒の口からも悲鳴が漏れる。私はそれに構わず茂みに駆け寄った。
「君!大丈夫か!」
「う……」
体躯は小柄で、おそらく一年生と思しき少年が倒れていた。切り傷を負っている。出血がひどい。動かさないほうがよさそうだ。
「リリアン!手当を!」
「なによ……」
妹の名前を呼ぶ。妹は嫌々と近づいてきたが、傷を負った男子生徒を見るとちいさく悲鳴を上げた。
「早く!お前は回復魔法を使えるだろう。お前が助けるんだ」
「こ、こんなの……わたし……」
いつもは自信満々に振舞っている妹ががたがたと震えているのを見て、私は気づいた。そうか、妹は箱入り娘なんだった。傷つく人を目の当たりにすれば怖ろしく思うのも当然だ。
……回復魔法を使える生徒は教会での治癒業務に従事しているはずなのだが、今は追及すまい。
「できる。お前は優秀な治癒術士だ。父上も母上も言っていた」
落ち着かせるためにゆっくりと話しかけた。震えている手をそっと包み込む。
「リリアン。できるだろう?やってみなさい」
「……わかったわ」
妹は決意したように頷き、男子生徒の傷に手をかざした。淡く光ったと思うと、みるみるうちに傷がふさがっていく。再生が終わった瞬間、妹は息を吐いて倒れ込んできた。魔力を使いすぎたか。
「リリアン、よくやった」
「……当然よ」
声色に力はないのに、態度は相変わらずで笑ってしまった。他のグループ員も駆け寄ってくる。妹が他人に褒められているのを見て安堵したが、倒れたままの男子生徒が呻いて瞼を上げたのでそっちに視線をやった。
「……天使様……?」
「君は生きている。傷はふさいだから安心しなさい」
「生きて……っ、大変なんです!エリィを、助けてください!」
かっと目を見開いた男子生徒に縋りつかれて私は眉をひそめた。おそらく彼は魔獣に襲われたのだろう。当然行動を共にしていたグループ員もだ。
「わかった」
一つ頷いて、彼は同じグループの二年生に預ける。ついでに教師への状況の報告も頼み、私は森の奥へ駆けていった。
血の臭いと瘴気が濃くなる。この森は貴族の子女の実習に使われるくらいなのだから普段行っているダンジョンよりもずっと整備されているはずだ。魔獣だって間引かれているはず。これは学園側としても想定外の事態ではないか。
辿り着いた先にいたのは三メートルもあろうかという巨大な熊の魔獣だった。爪を振り下ろした先にいるのは――
「殿下!」
鞘ごと抜いて爪を受け止める。私は盾役じゃないんだが。文句を言いたくなりながら魔力を込めて魔獣を吹っ飛ばした。
「ご無事ですか、殿下、お嬢さん」
男子生徒が言っていたのはハットン男爵令嬢のことだったと思ったが、まさか王子が一緒にいるとは。他の生徒ならともかく、王子がこの実習中護衛もなしにふらふらしているなんてありえない。まさか撒いてきたのか。
「が、ガーフィールド……」
「イライアス様!」
「お逃げください。あの魔獣の相手は私が」
剣を抜く。あのデカさはおそらく変異種だ。一人で相手するには厄介な敵だし、お坊ちゃまを庇う余裕もない。
「俺も戦うに決まっているだろう!」
しかしお坊ちゃまの聞き分けは悪かった。「私も一緒に戦います!」……お嬢さんの聞き分けも悪かった。勘弁してくれ。
「そんなこと言……っ!?」
どうにか下がらせようと口を開いた瞬間、飛んでくる殺気を察知して剣を振りぬいた。かすった気配がして舌打ちする。仕留めきれなかったか。
「お、狼?!」
「一頭だけではないか、厄介な」
熊の魔獣だけならともかく、群れの狼型魔獣も集まってきてしまうとは。血の臭いにつられたか。さっさと移動すべきだった。
「いいから早く逃げてください」
「お前を置いていけというのか!」
「そうです。足手まといは要りません」
今だって狼に反応すらできていなかったくせに偉そうなことを言わないでほしい。本気で邪魔だ。
「王族の役割は前線で戦うことではありません。私を思うなら早く教師を呼んできてください。以上」
逃がすにしてもこっちに引きつけなければならない。私はそう言い捨てて狼の群れの中に身を投じた。「ガーフィールド!」王子が叫ぶ。
「く……っ、死ぬなよ!」
本気で命の危険を感じてくれたのか、王子はハットン男爵令嬢の手を引いて走り出した。彼らに追撃しそうな狼たちに数発簡易術式をくれてやりながら攻撃魔術を展開する。一体一体は強くないけれど、連携されると厄介な魔獣だ。変異体に集中するためにも一掃するのが吉か。
不思議と体が軽く、魔力の巡りもいい。これならいけるか。
「くらえ――!」
風の刃で切り裂いてゆく。討ち漏らしがあるのは気にしない。もう一つの気配が近づいているのに気がついていたから。
「ライ!無事か」
「ああ。来てくれて助かった、ノル」
狼に一太刀くれてやりながら着地したノルベルトがぱちくりと瞬く。
「案外平気そうだな。お前の妹が取り乱してたから何事かと思ったが」
「血を見慣れていないからパニックになってただけだろう。殿下は?」
「見てないな。いたのか?」
「さっきまでな。うちのグループと違う方向に逃げたか」
大丈夫かなあの人たち。絶対森歩きになんかなれてないから迷ったりしてないか心配だ。
「さっさと倒してお迎えにあがるか」
「ライってなんだかんだ面倒見いいよな」
二人で剣を構える。ノルベルトがいれば負けることはないだろう。
授業ではペアで戦う訓練はしない。しかし私とノルベルトはダンジョンに何度も潜ったことがある。二人でなら大抵の魔獣は倒せる自信があった。
「損な性分なんだ。――来るぞ!」
さっくり魔獣を倒して、魔石を回収したところでようやく教師が駆けつけてきた。驚かれたが、私はちゃんと言い訳を用意してあった。
そう、ハットン男爵令嬢の「加護」――つまりバフである。調子がいいと思ったら彼女は退却前にバフってくれていたようだ。そのおかげで勝てました、と話しておく。
「イライアス!よくぞ無事で戻った!」
ちゃんと自力で教師のところまで避難できていた殿下にはそう労られた。いつの間にか家名呼びから名前呼びに変わっている。わかりやすくフラグが立ってないかこれ。
「顔だけでパッとしないと思っていたが、やるではないか。何よりその忠臣ぶり、気に入った!」
「……はあ」
私がいつ忠臣になったのだろう。あとさりげなくディスるな。逃げたくてもハットン男爵令嬢と妹に両脇を固められている。ちなみに妹には「心配なんかしてないわよ!」と言われたのだが、その割にくっついて離れないのはツンデレか何かか。
「よい、これからは――」
「ライ!」
何かを命じられそうになった間一髪でノルベルトが助け出してくれた。「立ってるのもやっとなんだから無理するな」と肩を支えられて離脱する。まあ全然ピンピンしてるのだけど。それにしても待つべきは空気の読める頼れる友人だな。
「災難だったな、ライ」
「本当だよ。困ったな、自業自得とはいえ殿下に目をつけられるとは……」
「一応火事場の馬鹿力ってことでごまかしてあるんだし、気にかけすぎないほうがいいぜ」
「そうする」
ノルベルトに励まされながら宿舎に帰る。幸いなことに怪我人も全て助かったようだし、後始末はわたしの仕事じゃない。気疲れしたし寝よう。
しばらくは「ガーフィールドの三男が殿下のピンチを救った」という噂が駆け巡っていたものの、私が懇切丁寧に説明し続けたのでハットン男爵令嬢のバフがすごい!という話にシフトしていき収束した。あと副産物なのか、私の悪い噂とやらもなくなってそれは助かった。
しかし王子にやたら気に入られたのはそのままで、剣の授業で組まされたりやたら絡まれたりするようになってしまった。接待するのは性に合わないのだが。
ついでに実家からのコールもなんかうるさくなった。なんでバレたのかと思ったら妹が両親に伝えたらしい。今更そんなのやられても面倒なだけだから!親に褒められたいとかないんだ私は!
ウォーレン兄さんを呼び出して泣きつくと苦笑された。
「二年も大人しくできたんだから上出来じゃないか」
「卒業するまで無難にいきたかったんだ私は……」
もう二年も終わり、学園にいるのはあと一年だ。その一年が長い。
「私も留学とかできればな……」
アークライト侯爵令嬢が羨ましい。彼女が入学して一年足らずで留学してしまったことで王子との婚約がほぼほぼ破棄されたことになったのは周知の事実である。隣国で活躍されているようで何よりです。
「ライは騎士課に進むんだっけ」
「うん」
「殿下は政治課だろ?じゃあ関わりも減るよ。建物も別だしね」
学園では三年になると専攻分野に進むことになる。騎士課か政治課の二択だけど、要は戦闘職かそれ以外かだ。王族はほぼ政治課進学らしいので確かに安心かもしれない。一二年の建物とも別だし。
「父上からの呼び出しは無視でいいよ。しつこいなら王子殿下に気に入られてとか言っておけば?」
「そうする。嘘じゃないし」
「リリアンも今更なあ。お前のことになると妙に盲目なんだよね」
「そうなのか?」
「お前がそうやって歯牙にも掛けないから悪化するんだよなあ……」
いや妹は両親と兄たちに可愛がられてたんだから私は別によくない?顔に出ていたのかレン兄さんはため息をついた。
「お前が気にしないならリリアンのことは放っておけ。中途半端に手を出すのがリリアンにとって一番悪い」
「全然気にしてません。友人曰く私の悪い噂を流してたのリリアンらしいですけど」
そう、妹はもともと私のことが嫌いだったらしくて悪口をいいふらしていたようだ。ノルベルトから聞いた。本当かどうかは知らないし、意識しないでヘイトを買ってるならなおさら近寄らないほうがいいと思う。やばかったらレン兄さんがフォローしてくれると信じたい。
「お前が元気ならなんでもいいよ俺は」
諦めたように言われたけど、元気だよ!自分の顔がいいので常に健康でご機嫌だよ!
◇
三年に上がり、レン兄さんの言った通り王子とは別専攻になったので関わりはぐんと減った。騎士課にも王子の取り巻きがいるので、そいつらには絡まれたけど。面倒になってこの頃から最低限しか授業には出席しないようにした。
その間何をしていたかというと、ダンジョン攻略だ。ノルベルトもサボリ魔と化したので一緒に王都周辺のダンジョンをうろつきまくった。
二人パーティーはかなり少ないほうで、できれば三人以上いたほうがいい。誰か死んで一人なのと二人いるのとは話がかなり違うからだ。
しかしこっちは腐っても貴族なので、親の庇護下にあるうちは信用のない相手と関わるのはよろしくない。となると必然的に二人パーティーになってしまう。学園の生徒も迂闊に誘えないしね。
「学園の外は気楽でいいな。私は貴族向いてないのかもしれない」
「騎士になるったってもお前このままだと近衛行かされそうだしな。王子のお守りだぜ?」
「それは嫌だな」
この国の騎士は大きく分けて四種類ある。
一つ、近衛騎士。王族を警護するエリートで貴族しかなれない。
一つ、王都騎士。王都を守る騎士で、ほとんど貴族だ。
一つ、辺境騎士。まあ、辺境騎士っていうのは蔑称みたいなものだが、魔獣から民を守るために派遣される騎士たちだ。お偉いさんは貴族だけど下っ端には平民もそこそこいる。
最後に領地を持つ貴族に仕える騎士で、これは貴族に代々仕える騎士一家がなるやつだ。
近衛騎士の中でも王子のお守りをする近衛騎士はエリートオブエリートなわけだけど、あの俺様ボンボンと四六時中一緒にいるのはシンプルにキツい。気に入られちゃってるのでうっかり騎士団に入ろうとしたら近衛騎士に取り立てられるのはあり得そうだ。
「でもノルベルトも騎士志望だろう?」
「んー、俺も別になれって親から言われてるわけじゃないしな。こだわりはないよ」
名門騎士一家でもない限り、次男三男が親から絶対騎士になれと言われることなんてないだろう。まあ、貴族の生活水準を保ちたい場合、騎士になるか官僚になるかの二択みたいなところはあるけど。
「そんなもんだよな。よし、できた!」
「この間から何作ってたんだ?」
「日焼け止め」
「は?」
布を刺繍枠から外して眺める。うん、満足のいく出来だ。
「それが日焼け止め?……もしかして『加護』か?」
「ほら、私は日に焼けたら赤くなるだろ。毎回日焼け止め塗るのも面倒だし、エンチャントできたら楽だなって思って」
ノルベルトは呆れたように肩を竦めた。
「最近材料集めてたのってそれか」
「私の美肌維持に貢献してくれて感謝する」
ダンジョンに潜るといろんな戦利品を手に入れられるし、ギルドに行けば情報も手に入る。いろいろとかき集めた集大成なんだぞ、これは。
「貴族の女性がたが知ったらこぞって欲しがりそうなもんをまあさらっと作るなお前は」
「ちゃんと苦労したが!?」
「何でもそつなくこなすように見えるんだよな」
そうかなあ。顔のせいかな。何せ儚い系美人顔なので。人間には通じるんだけど魔獣には通じないのが唯一の難点と言える。
「貴族やめたらこれ量産して一財産稼ぐか」
「そうしろ」
冗談だけど。
◇
学園最終学年の華と言えばトーナメント戦だ。主に騎士課の生徒が争う剣アリ魔法アリの無差別トーナメントである。貴族のトーナメントなので汚いことはできないが。
騎士課の生徒はこれでいかにいい成績を残すかで今後が決まると言っても過言ではない。トーナメントと銘打ってはいるものの、ほとんどリーグ戦でトーナメントなのはベスト16決めるところくらいだが。そんなわけで日数もかかるし一週間くらいは学園全体がお祭り騒ぎになる。
ちなみに政治課の生徒も参加はできる。過去に政治課から出て優勝した猛者もいるらしいが、そんなのは例外中の例外だ。幸い王子殿下は大人しくしてくれているっぽい。
――と思っていた時期が私にもありました。
「こんなんアリか……」
目の前には召喚された魔物。魔物とは魔獣の上位の存在で、その辺の召喚士がホイホイ呼び出せるもんじゃない。
「悪く思うなよ、ガーフィールド」
やたらと敵意を込めてそんなことを言う対戦相手は王子の取り巻きの一人か。ちらりと観客席を見ると案の定王子殿下が身を乗り出していた。
「お前の本気を見せてみろ、イライアス!」
「はあ……」
ついため息をついてしまう。王子殿下の企みらしいが、巻き込まれた召喚士もかわいそうだ。今後が関わってくるトーナメント戦でルール違反をしたらどうなるかくらい考えなくたってわかるだろうに。まあ、その辺も王子がどうにかするという条件なのだろう。
もうこれ棄権しようかな――そう思った瞬間、魔物が動いた。ヤギのような顔に、草食動物に似つかわしくない笑みが浮かぶ。腕が振り上げられる。向かう先は召喚士だ。
「へ、あっ、なんで俺っ!?」
私は咄嗟に術式を展開していた。横から魔物を吹っ飛ばす。頭を抱えている召喚士に怒鳴った。
「手に負えないものを召喚なんかするんじゃない!邪魔だ!」
「ひいっ」
召喚士は悲鳴を上げながら逃げ出した。
元の場所に戻すのは期待できなさそうである。つまり倒すしかない。闘技場を囲んでいる見物客たちもまさかの事態にざわついている。
一方で魔物は相変わらずにやつきながら立ち上がった。大したダメージにならなかったか。
「私が相手だ。来い」
魔防が高そうなので剣を抜く。こっちでひきつけておかないと、観客たちを襲い始めたら厄介すぎる。図らずも王子の企みに乗ってしまっているようでムカついた。
「お望み通り手加減はなしだ。恨むなよ」
無事に魔物を倒しきった私はその後の試合をすべて棄権した。強さでいうとダンジョンの中層ボスレベルだったからかなり手ごわかった。怪我だらけだし闘技場のフィールドもボロボロだ。今日の試合はもうできないんじゃないかと思う。
「うわああん!お兄さまあ!」
今いるのは医務室だ。泣いているのは妹である。魔物を倒した後速攻押しかけてきて怪我を治してくれたのは助かったけど、泣かれるとシンプルに対処に困る。
「さすがだったなイライアス!俺が見込んだだけの男だ!」
目をキラキラさせているのが王子。ふざけるな。
「かっこよかったです、イライアス様。でも無茶はなさらないでください。どうなってしまうかと心配で……」
小首をかしげて手を握ってこようとするのはハットン男爵令嬢。文句はそこの王子にどうぞ。
「失礼しますわ!」
地獄の医務室のドアがスパーンと開かれる。今度は何だと思いきや、入ってきたのはアークライト侯爵令嬢とノルベルト、それに教師陣だった。そういやアークライト侯爵令嬢は留学から戻ってきたんだっけ。
「ハーバート殿下。こちらにいらしたのね」
アークライト侯爵令嬢の声色は冷たい。絶対零度か?ってレベルだ。なんか留学してきたからか、一段と大人っぽくなったんじゃないかなあと呑気に考える。現実逃避です。
「ご自分が何をなさったかご自覚されておりませんの?」
「なんだ、オリアーナ。入ってきて早々」
「……話は先生方からよーく聞くことね」
「は?っおい、何をする!」
殿下はそのまま先生に首根っこ掴まれて出て行った。ありがたい。
そしてついでアークライト侯爵令嬢はハットン男爵令嬢を見る。
「あなたも出て行ってちょうだい」
「え?なんでですか」
「逆になぜここにいるのか聞きたいわね」
「だってイライアス様が心配で!」
「そんな理由で親しくもない殿方の医務室に居座るの?図々しいこと」
「それを言ったらオリアーナ様だって……!」
「私は大事な話があるの。出て行きなさい」
バチバチとやっていたが、結局圧に負けたらしいハットン男爵令嬢は出て行った。残された妹にアークライト侯爵令嬢が視線を向ける。
「そちらはガーフィールド様の妹君かしら」
「ええ、そうです。リリアナ、アークライト侯爵令嬢に挨拶をしなさい」
「……っ、ぐす、リリアナ・ガーフィールドです」
妹は令嬢としての体面を保とうとしていたっぽいが、泣きっ面じゃあ恰好がつかない。私は仕方なく妹にハンカチを持たせてやった。
「リリアナ、そろそろ宿舎にもどりなさい。お前もだいぶ魔力を使って疲れただろう」
「でも」
「お前のおかげで傷は塞がった。もう大丈夫だ」
言い聞かせるようにすると、妹は渋々立ち上がった。今回の傷は深くはなかったが、範囲が広かったから大変だっただろう。別に学園にはちゃんとした治癒術士もいるのに、律義というかなんというか。レン兄さんに言われたことを思い出して私は首を横に振った。
「さて……お久しぶりですね、アークライト侯爵令嬢。無作法をお許しください」
「いいのよ、あなたは殿下の無茶に巻き込まれただけなのだから」
そしてアークライト侯爵令嬢が説明してくれたところによると、やはり今回の騒動は王子主導のやらかしだったようだ。召喚士が召喚すること自体はトーナメント戦のルール違反ではないが、それは自分の魔力だけで召喚をした場合だ。今回は十人程の魔力を使ってズルをしたらしい。そりゃ制御もできなくなる。
「この件で殿下には厳しい処分が下されるでしょうね」
「はあ」
「具体的には継承権が剥奪されると思うわ」
謹慎とかかな?留年でもするのかなと呑気に思っていたらアークライト侯爵令嬢の台詞で固まった。そこまで!?というか、今この国に王子はあのハーバート殿下しかいない。殿下の姉に当たる王女はすでに外国に嫁いでおり、王妃はすでに亡くなっている。王族自体結構少ないのだ。
私は改めてアークライト侯爵令嬢を見た。アークライト侯爵閣下は現王の叔父だ。現王の父、つまり先代の弟にあたる人がアークライト侯爵家に婿入りしたんだっけ。先代とアークライト侯爵閣下は親子ほど年が離れていたはず。
そしてアークライト侯爵家には跡継ぎとして養子にとられた男児がいるが、直系はこの侯爵令嬢のみである。私はようやく彼女が王子と婚約していた意味を理解した。
「この後どうなるかはご想像にお任せするけれど……あなた、近衛になる気はないかしら」
それほぼ答えじゃないか?私は曖昧に微笑んだ。
「さて。お仕えする方によりますね」
「正直ね。わかったわ」
アークライト侯爵家は「では、お大事になさって」と言い残して医務室を出て行った。何か相変わらず圧のあるお嬢様だ。俺様王子よりもまあ向いてはいそうな気はする。
「大変なことになったな」
ずっと黙っていたノルベルトが口を開いた。私は深いため息をつく。
「まさかこんなことになるとはね」
「まあ、ハーバート殿下はあまり人望がなかったからな。アークライト侯爵家との婚約の目が薄くなった時点で見限ってた人も多い」
「へえ、そうだったのか」
シビアだなあ。元の乙女ゲームだと一体どうやってヒロインは王妃になったんだろう。いや、だからこそ王子が王族としての身分を捨てられてゴールインできたとか?そっちの方が可能性としてはありうる。
「ま、しばらくしたら周りが放っておかなくなるだろうから、今だけでも休んでろ」
「そうするよ。トーナメント戦自体は中止になってないんだろう?」
「明日から再開だ。さて、俺も頑張りますかね」
「祈っておくよ」
ノルベルトが本気出したら優勝できそうなもんだけど、どうだろう。普段はあまりやる気がなさそうなのに、今はなんだかぎらついた瞳をしていて私は首を傾げた。
そんな予想が当たったのか、今年のトーナメント戦の優勝者はノルベルトだった。私が魔物殺しを成し遂げたのもあったが、大穴のノルベルトが優勝したのでかなり盛り上がったらしい。ノルベルトも成績は落として見せてるしね。私は医務室から自室に戻ってごろごろしていた。
優勝のせいか、ノルベルトはそれから卒業までなんだか忙しそうにしていた。私も私で魔物殺しのせいでやたらと目立ってしまい、ダンジョンに遊びに行く暇はなくなってしまった。一応座学の卒業試験もあるからその準備も必要だったし。もうこんなに目立ってしまったんだから、最後の一回くらい本気を出したくなった。
ちなみに王子は謹慎中らしく、学園で姿を見ることはなかった。アークライト侯爵令嬢は王位継承権剥奪とか言ってたけど、そこまでいかなかったんだろうか?まあ私としてはどうでもいいといえばどうでもいいけど。
そうして卒業試験では上位に食い込む奮闘を見せ、ついに卒業式の日が訪れた。式典というか、パーティーだ。アニメではここでアークライト侯爵令嬢が婚約破棄を言い渡されていたんだっけ。
私は父上から送られてきた金で礼服を仕立ててパーティーに臨んでいた。ちなみに何度も帰ってこいと催促されたので、面倒になって妹に領地に帰る気は永遠にないと告げると金が送られてきたのだ。
妹がアドバイスしたんだか知らないが、まああって困るもんでもなし。ダンジョンで稼いでいたから服くらい仕立てられたけど、もらえるもんはもらっておいた。あと妹に頼まれたので今日は妹をエスコートしていた。
「しかしノルベルトのやつ、式典にも不参加か……?」
ここのところめっきり姿を見なくなったけれど、今日くらいはいると思ったんだが。
「ノルベルトさま……ご友人の?」
「あー、紹介したか?シアーズ伯爵家のところの三男だ」
「シアーズ伯爵家のご当主は陛下と学生時代からのご友人ですわ。ハーバート殿下が謹慎されていますし、その関係のトラブルに巻き込まれているのかもしれません」
「へえ」
家系図を見てわかることならまあ知っているのだが、こういう社交界のつながりに私は疎い。一方で母に連れられて入学前から社交界デビューを果たしている妹は詳しいらしかった。
「ちなみにハーバート殿下のその後について何か噂になっていたりするのか?」
「お兄さまもご存知の通り、殿下は素行がよろしくありませんでしたから。このまま廃嫡されるだろうと言われています」
「復活は望み薄か」
「してほしいんですの?」
「永遠に顔も見たくないな」
ハットン男爵令嬢と王子とはもう関わり合いになりたくない。そう言っていたのが立派なフラグだったのだろうか。
「イライアス!ここにいたか!」
謹慎中だったはずの王子が堂々と声をかけてきた。隣にはハットン男爵令嬢もいる。私はつい妹を庇うように立っていた。
「何かご用ですか?」
「うむ、周りの者が煩わしいのだ。お前の実力を見せつけるためにせっかく魔物を召喚させたというのに」
反省が全く見られない王子にげんなりしてしまう。王子の登場にギャラリーも集まってきて、余計げんなりした。
「とにかく、お前の実力は本物だ。私の近衛になれ、イライアス!」
「そこまでですわ、ハーバート殿下!」
いつぞやのように颯爽と現れたアークライト侯爵令嬢が王子を遮る。その後ろに付き従っていたのは意外なことにノルベルトだった。服装も高位貴族並みに豪華だ。もしかしてノルベルトはアークライト侯爵令嬢とつながりがあるのだろうか?医務室のときも一緒に登場していたし。
一方で王子は気分を害されたように眉を上げた。
「なんだ、オリアーナ。今更婚約を結び直せとでも言うつもりか?悪いがお前のような女と婚約などするつもりはない。俺にはエリィがいるからな」
「何をおっしゃっているのかしら?あなたとの婚約なんてこちらから願い下げですわ」
「ふん、そうやって強がっているがいい。なあ、イライアス」
こっちに振るな。
「イライアス様、まさか殿下の近衛になるなんておっしゃいませんわよね?」
アークライト侯爵令嬢も語気を強めて詰め寄ってくる。待って何この状況。ホールのド真ん中で王子と王家の血を引く令嬢に詰め寄られているのが私って、なんかおかしくないか?
「イライアス、私は王になる男だぞ!私についてくるに決まっておろう」
「寝言は寝てからおっしゃってくださいな、殿下。あなたの継承権は剥奪ともう決まっておりますの!」
「ふん、お前が言うことではないわ、オリアーナ」
「それはどうかしら?」
アークライト侯爵令嬢はパチン、と扇を閉じた。それが合図だったように金管楽器が鳴らされる。王様のおなりってやつだ。
「静粛に!」
文官っぽい人が言って、登場した国王陛下にこの場の全員が首を垂れる。
「楽にせよ」
威厳のある声が響き渡って、私は顔を上げた。この期に及んで勝ち誇った表情の王子、厳しい顔のアークライト侯爵令嬢、妙に無表情のノルベルト。妹は不安そうに私の袖を握っていた。
「さて……ちょうどそこで騒いでいたようだからな。先におぬしらが気になっている話から済ませてやろう」
陛下はちらりとこちらに視線を向ける。再び会場中の視線が集中して気が滅入った。
「ハーバート」
「何でしょう、父上」
「謹慎を言い渡していたはずだが、なぜここにいる?」
「なぜ……といわれましても、卒業式ですので」
「仕方のないやつだ」
許しにも聞こえる台詞だったが、実際は真逆だった。
「これまでの行い、また学園トーナメントでの不正を鑑み、ハーバート王子を廃嫡とする」
「なっ!なぜですか、父上!」
「理由は述べた通りだ。それ以外にはない」
にべもなく言い捨てる陛下にハーバート王子はショックを受けたようだったが、すぐに持ち直した。メンタル強いな。
「ですが、私以外に王子はいません!いったい誰が……!」
「それは決まっておろう」
まるでスポットライトを浴びたように、アークライト侯爵令嬢に視線が集まる。そう、王位に一番近いのはオリアーナ・アークライト侯爵令嬢だ。ごくりと誰かの喉が鳴る。
「我が息子、ノルベルトが王太子の座に就く」
――は?
思わず口に出してしまっていたかもしれない。それくらい青天の霹靂だった。
「は?」
王子も間抜けにぽかんと口を開けている。いやいや、待って。どういうことだ!?
「拝命いたします、父上」
「うむ」
「まっ、待ってください、父上!その男が王子――だなんて――」
「ノルベルトはわけあってシアーズ伯爵に預けていた我が息子だ。すでに魔法紋の照合も済んでおる」
わけあって――ってつまりこの人、浮気したな。しかも王子とノルベルトは同じ年に生まれているので、王妃の妊娠と同時期に浮気してたことになる。エグい。亡くなった王妃殿下は嫉妬深くて有名だった――私が知っているくらい有名だ――ので、それを避けるためにノルベルトの母君を妾として抱えることもしなかったのだろう。
魔法紋はDNA検査みたいなものだから、血縁の確認を取ることができる。マジか、ノルベルト、国王の隠し子だったとは。
「オリアーナ。そなたには多大な迷惑をかけたな。これからはノルベルトを支えてやってくれ」
「もちろんですわ、陛下」
それでアークライト侯爵家がノルベルトの後見か。多分この後ノルベルトとアークライト侯爵令嬢の婚約が結ばれるのだろう。
「まっ、待ってくれ!おい、イライアス!」
納得していたところに何故か王子に名前を呼ばれてしまった。
「父上に言ってくれ!あれは、不正ではなく、お前のためを思って……!」
「はい?」
「イライアス!お前は俺の味方だろう!お前がいれば俺は王になるのだ!」
「そうです!イライアス様!」
ハットン男爵令嬢も便乗してくるが、どういう理論だそれ!?私が王子に迷惑かけられていませんよと言ったところで普通にトーナメントの件は不正だ。私の口添えが現状をひっくり返せるとは思えない。
「イライアス様」
無理ですよと答えようとしたところで、もう一方からも声がかかった。アークライト侯爵令嬢だ。
「あなたのおかげで目が覚めましたわ。今の道へ導いてくださったのはあなたです。どうかわたくしの手を取ってくださいませんか?」
えっ?アークライト侯爵令嬢、ノルベルトと婚約するんじゃないの?そんな、まるでプロポーズみたいな。
「イライアス」
今度はノルベルトだった。私は聖徳太子じゃないんだぞ。
「俺と共に来てくれ」
あの、医務室でも見た、ぎらついた瞳だった。ぐ、と呼吸が詰まる。
なんなんだ、この人たち私を一体何だと思っている。こちとら顔がいいだけの伯爵家の三男坊だぞ!?
「どうするのだ?イライアス・ガーフィールド」
陛下がそれはもう楽しそうに問いかけてくる。
私はついに叫んだ。
「私は勝利の女神じゃないのだが!?」
式典を逃げ出した私が冒険者になったり、商売に手を出して一財産築いたり、なんだかんだ最終的には旧友に口説き落とされて王都に戻り王国の「勝利の女神(注・男)」になるのはまた別の話である。ちゃんちゃん。