花一輪
ヨーデル医師が、執務室を出ると代わりに沢山の人員が出入りを始めた。
キノコを隠し、匂いを消すと、通常業務が始まったようだ。
マイケル達も出ていき、文官達が書類を持って動き回る。
レイゼラを見て、訝しげな顔をする者もいるが、
「私の婚約者だ。今後、車椅子を押す事になるので顔を覚えておくように。」
エイドリアンの言葉に納得する。
その度に、レイゼラもカデナの指導を受けながら挨拶をする。数をこなせば、緊張もとれ、綺麗な挨拶が出来るようになってきた。
「レイゼラ、飲み込みが早いわね。」
カデナは素直なレイゼラに満足のようである。
元々貴族の教育は受けているレイゼラ。ワイン工場や畑で平民達と接するために、格式ばった事を飛ばす習性になっていたのだ。
「紅茶のカップを持つ手の小指があがっていてよ。
指は揃えた方が美しいわ。」
カデナの細かい注意も、ハイハイとレイゼラがやり直す。
「カデナ様、あの、洗面所に行ってきます。」
恥ずかしそうにレイゼラが言うと、カデナは付いていくと言う。
「場所もわかってますし、少し一人になって頭の中の整理をしたいです。」
断っても大丈夫かとビクビクしながらレイゼラが言うのを、楽しそうに見るカデナ。
「じゃ、行ってらっしゃい。」
その間に、王太子宮の厨房から、スイーツを運ばせようと手配する。
はりつめていた緊張がほぐれ、レイゼラは気を緩めてしまった。
トイレの帰り道を迷ってしまったのだ。
あれ、景色が違うと思った時は、かなり歩いていた。
歩いて来た道を逆戻りしようとして、人が居るのに気が付く。若い男性のようだ。
「も、申し訳ありません。迷い込んでしまって。」
あわてて礼をとるが、相手が誰かもわからない。
「へえ、見慣れない顔つきだな。僕が誰だかわかるか?」
偉そうな態度だが、レイゼラにとって、王宮なのだから子爵より上だろうと判断するしかない。
社交に出なかったレイゼラは、貴族の顔をほとんどしらないので、プルプルと首を横に振るしかない。
「僕はクレドール・ノーマンだ。」
ノーマン、ノーマン!
この国の名はノーマン王国、この男性は王子様だ。
「第2王子様?」
違ってほしいと思う時ほど、当たるものだ。
「いかにも。」
ヒー、とレイゼラは飛び上がらんばかりである。
「トイレの後で良かった。前だったら、驚きすぎてチビッちゃうよ。」
こっそり呟いたはずなのに、クレドールに聞かれて大笑いされる。
昨夜、あれほどエイドリアンに、思った事を口にしないように教育されたが効果はなかった。
「お前、綺麗な顔なのに、残念な中身だな。」
クレドールの口調は面白がっている。
結婚相手と思っていたセルディからは嫌われたのに、ここにきて興味を持たれている。
なんだかなぁ・・・・
げっそりとしたレイゼラにクレドールが、どうしたと聞いてくる。
「殿下、私ってそんなに残念なんですか?」
「お前は変な奴だな。」
クスッと笑う顔は王子様だ。本物の王子様なのだが・・・
王族らしい整った顔で理想そのものだ。兄に毒をもるような恐い人に見えない。
「どうして・・」
エイドリアン様に毒をもったの?言葉は続かない。
「女性に変な奴、とは失礼したな。」
クレドールがレイゼラに近づこうとした時に、レイゼラを探しに来た者の声がした。
「レイゼラ様。」
離れた場所から名を呼ぶ声がする。
「お前はレイゼラというのか。
頼まれてくれないか?」
クレドールは、レイゼラの前に一輪の花を差し出した。
「目の不自由な兄上に、花を届けて欲しい。王太子執務室にいるはずだから。
香りのいい花が咲いたのだ。」
レイゼラに花を握らすと、クレドールは背を向け戻って行った。
「どうして?」
レイゼラの呟きを聞く者はいない。
「レイゼラ様、遅いと皆さまが心配されてます。」
探しに来たのは、執務室にいた文官の一人だった。
さっき見た顔に、レイゼラは安心するが、クレドールが消えた方向から目が離せない。
「クレドールに会ったのか。」
ヘンリクは、そう言うと、レイゼラから花を受け取って香りをかいでいる。
「どうして・・」
毒をもったり、殺そうとしたりするの?
仲のよさそうな兄弟に見える。
「王になる椅子は一つ。
私もクレドールも、背中にいろいろなものを背負っている。」
ヘンリクは、執務机の上のグラスに花を挿すと、それ以上は答えなかった。
だから、お互いの存在が許されないの?
泣きそうなレイゼラをエイドリアンが呼ぶ。
「レイゼラ、おいで。」
なんだか、エイドリアンが優しく見えるとレイゼラは思った。