たった一つの純情 フランセット
開いた扉には、マイケル本人が立っていた。
「お久しぶりです、宰相閣下」
まるで何もないかのように、マイケルはオスカーに挨拶する。
ギュンターは飛び出さないように掌に力を込めて、自分を抑える。
確定しているわけではない、フランを連れ去ったのは他の男かもしれないのだ。
自分が感情のままに話せば、探れる話も出来ない。
フランの安全が最優先だ。
その為なら、なんだって耐えれる。
「すでに宰相を退いて久しいのに、未だにそう呼ぶのは君ぐらいだよ。
少し尋ねていいかね?」
オスカーの後ろにいる若い男性に、マイケルが視線を向ける。
「もちろんです。ユリウス、どうしてここに?」
マイケルは、王宮に出仕している長男ユリウスと面識があるが、次男のギュンターはエッデルブルグの仕事をしているので知らない。
「ギュンター?」
マイケルが名前を呼ぶと、ギュンターの肩がピクンと揺れた。
一つ溜息をついて、マイケルは苦笑いを浮かべる。
「君の名を呼んでいる」
瞬間、ギュンターは飛び出し、その場の誰も見えないかのように突進した。
「フラン!!」
フランセットを呼ぶギュンターの声を聞いて、マイケルが目を閉じた。
「そうか、それがあの娘の名前か」
突然現れた男に馬に乗せられて、フランセットは恐怖で身体を強張らせていた。
馬に乗っていたのは僅かな時間で、直ぐに大きな屋敷に着いた。
貴族には間違いない。
何か粗相をしたのか?
殺される?
15歳になった時に聞いた母の話が思い出される。
母の死にたい程の苦しみ。
死ななかったからこそ、掴んだ幸せ。
だから、気を付けなさい、と何度も言われた。
この屋敷に入っちゃだめだ。
馬にしがみ付こうとも、無駄な抵抗に終わり、抱きかかえられてしまった。
「ギュンター!」
助けて、ギュンター!
ふいにフランを抱きかかえている男の腕に力が入る。
「エリス、その口から他の男の名前を聞きたくない」
ああ、とマイケルは立ち尽くした。
これか。
俺は何度、エリスの前で他の女の名前を言ったろう。
その心臓に、針を何度刺したのだろう。
「私はエリスじゃない! 人違いです!」
暴れるフランセットを、マイケルはそっとサロンのソファに降ろす。
使用人達は物陰から、主人のマイケルの様子を見ている。
主人が暴れる女性を連れて来た。見るからに同意の上ではない。
助けたいが、主人に逆らうことも出来ずにいる。
メイドの一人が、意を決してサロンに入って行く。
「ご主人様、お客様にお茶をお出ししていいでしょうか?」
主人の指示もなくでしゃばっている事は重々承知である。
だが、それで緊張していた空気が変わった。
「ああ、気が付かなかった。頼むよ、エリスは蜂蜜を入れてあげてくれ」
マイケルはフランセットの向かいに座ると、フランセットを見つめる。
「違う、エリスではない。誰だ?」
ツー、とマイケルの頬に涙が流れる。
マイケルが泣いたことで、フランセットは落ち着いてきた。
「泣きたいのはこっちです。私を帰してください」
マイケルを観察してみると、高位軍人であろうと思われる軍服。
歳は40歳ぐらい?
大きなお屋敷の主人みたい。
エリスって誰だろう?
「申し訳なかった。もちろんお帰しする」
そう言いながら、マイケルは申し訳なさそうにしていない。
「少し、お茶だけでも」
フランセットが立ち上がろうとするのを、マイケルが手を伸ばして止める。
「止めてください、すぐに帰りたいんです!」
マイケルの手を振り払うが、マイケルが捨てられてような顔をしたので躊躇してしまった。
「俺は、将軍職を賜っているマイケル・ストラトフォードだ」
偉い軍人とは思っていたけど、将軍!?
やめてよ! 国で上から何番目かに偉い人なんて。
フランセットがソファの端に縮こまったのを見て、マイケルが慌てる。
「違うんだ、権力を使おうなんて思ってない。身分を言った方が安心するかと思ったんだ」
「面白いですか?
平民の私が怯えるのを見るのが楽しいですか?」
泣いちゃ負けだ、と思うのに涙があふれてくる。
「君はエリスの生まれ変わりか?
あまりに似ている。
平民なら、俺の養女にならないか?」
「はあ!?」
驚きのあまり、フランセットから声があがる。
「お断りします」
養女という名の愛人なんて、まっぴらだ。
カチャン、と先ほどのメイドがお茶の入ったカップをテーブルに置いた。
視線を感じて、フランセットが顔をあげるとメイドと目が合う。
少し頷いたメイドが視線をずらしたのを目で追うと、そこに他の使用人がいるのが分かった。
この部屋に、この男と二人きりじゃない。
助けてくれようとしている。
それだけで、フランセットは心強くなった。
「私にはギュンターがいるので、愛人は他をお探しください」
将軍に反論なんて、普通じゃ出来ない。
「違う、そうじゃない。
君は亡くなった婚約者に似ているんだ。
子供がいたら、君みたいな子だったろう」
マイケルとエリスの事情を知らないフランセットには、同情という気持ちが芽生える。
マイケルがエリスを想い続けているのは間違いないが・・
ドンドン!
屋敷に響く扉を叩く大きな音。
マイケルが様子を見に行くと、フランセットは逃げようとメイドに案内を頼む。
だが、メイドも主人を裏切るようなことが出来ず躊躇していると、声が聞こえた。
「フラン!!」
間違いないギュンターの声だ。
「ギュンター!」
ギュンターが来てくれた!
涙で前がかすむ。
「ギュンター、ギュンター」
足音が聞こえる、ギュンターがすぐ近くにいる。
ギュンターが部屋に飛び込んで来るのが見えて、私に手を伸ばす。
私はここよ。