エリス哀歌
皆さまのおかげで、700万PV突破!
うわぁ、うわぁ、と嬉しい悲鳴をあげているvioletです。
お礼に番外編を追加しました。
長くなりましたが、お読みくださると嬉しいです。
「このお転婆!」
エリスは木に登る時に引っ掛けたドレスの裂け目を隠そうと、こっそり歩いていたのをマイケルに見つかってしまった。
「また、怒られるぞ。どうして木に登るんだ?」
マイケルは呆れたように言うのを、エリスは慣れたように聞いている。
「だって、毎日お勉強ばかり。マナーの先生が1番口うるさくって、ちょっと息抜きよ」
マイケルはエリスの笑顔が大好きだ。
だから、すぐにごまかされてしまう。
「今日はどうしたの?」
マイケルは頻繁に婚約者であるエリスのイスニデア伯爵家に遊びに来るが、様子がおかしいとエリスは気が付いた。
「父上の領地の視察に同行することになった」
マイケルも14歳、嫡男として当然のことであるが、マイケルは不服のようだ。
「士官学校じゃなかなか来れないのに、せっかくの長期休みに領地に行ったら、もう当分来れないじゃないか」
「マイケル」
エリスがマイケルの頬にキスすると、マイケルの機嫌も良くなる。
「ストラトフォードのベリーのジャムが好きよ。
お土産を待っているから、ね」
「仕方ないな。ベリーだけでいいの?アプリコットのジャムは?」
エリスの部屋に着くまで、二人は手を繋いで歩く。
それから時は経ち、結婚が出来る年になっても、エリスはマイケルとの結婚を引き延ばしていた。
シャンデリアの下ではワルツが奏でられ、色とりどりのドレスが舞っていた。
シャンパンを片手に美しい令嬢の肩を抱き寄せているのは、マイケル・ストラトフォールド侯爵子息。
マイケルの視界に入らないようにしながら、エリスは壁際を移動した。
こんなところに、堂々と彼女を連れて来るとは思わなかった。
隠れる事もなく、次々と新しい女性を連れ歩くマイケル。
婚約者であるのが惨めすぎる。
早く婚約を解消したい。
マイケルが女性にだらしなくなって、もう数年になる。
最初は、何かの間違いと思い、次は一時の気まぐれと思った。
それも諦めた。
婚約解消を言えば、マイケルもやめるかと思った時もあった。
父を通して何度も婚約解消を申し込んではいるが、解消するつもりはないと拒否されている。
仲の良かった時代を思い出しては涙を流し、贈られてくるプレゼントは中も見ずに返すようになった。
マイケルがエリスと結婚するつもりなのは、間違いないのだろう。
けれど、最初から愛人のいる男性に嫁ぎたいなど思わない。
結婚したら大事にする、と何度も手紙が来るが、何番目に大事にするつもりなのだろう。
マイケルを信じようという気持ちは、とうに捨てた。
もうマイケルから離れたい、新しい人生が欲しい。
「エリス」
マイケルの声に見つかってしまった、とエリスは足を早める。
「舞踏会に来るならエスコートしたのに、どうしたの?
一人で来たのか?」
まるで何もないかのように声をかけるマイケルに、エリスは返事をしない。
そのまま、マイケルを振り返らず馬車に向かった。
マイケルも分かってはいるのだ。
結婚したらエリス一人を大事にしよう、それまでの遊びぐらいは許されると思っていたが、先ほどのエリスの自分を見る視線はまるで汚物を見るようではないか。
伯爵家からは何度も婚約解消の願いが届けられ、父や弟からも苦言を言われるようになった。
エリスが、クレドール殿下や、独身の子息達とダンスをしていたという話も聞く。
まるで、次の婚約者を探しているようだ。
エリスが一番なのに、最近は避けられている。
あのお転婆な様子は無くなり、すっかり令嬢らしく美しいエリスの後ろ姿を見ながら、そろそろ女達も手を切っていこうか、とマイケルは思うのだ。
ヘンリクとエイドリアンに証人になってもらって、エリスに許しを乞おう。
イスニデア伯爵領のチーズは有名でヘンリクの好物だから、持ってくるように言えばエリスは執務室に来るだろう。
『愛しいエリス。
後悔している、エリスの後ろ姿を見て遠く感じた。
エリス一人と誓う、証人として殿下とエイドリアンに話をしてある。
イスニデア領のチーズがあれば殿下も喜ぶだろう、持って殿下の執務室に来て欲しい。
マイケル・ストラトフォールド』
届けられた手紙を握りつぶして、エリスは震えた。
「どこまで縛り付けるの」
嫌い、嫌い、大嫌い。
私以外の女性を触る手が嫌い。他の女性に向ける笑顔が嫌い。我が物顔でマイケルの隣にいる女性が憎い。
こんな私が嫌い。
枯れ果てたと思っていた涙が頬をつたう。
まだ希望を見たいと思っている自分に気が付いて、泣き笑いしてしまう。
「嘘ばかりの手紙に騙されたい私」
自由をあげるよ
いつだったか、クレドール殿下が言っていた言葉。
マイケル、貴方に私を絶対にあげない。それだけが私の矜持。
エリスの到着が告げられると、マイケルは急いで執務室の扉を開ける。
チーズとワインの入った篭を持って、エリスはそこに立っていた。
部屋に入ると、エリスはまず王太子ヘンリクに挨拶の礼を取る。
「お呼びにより、エリス・イスニデア参上いたしました。
お久しぶりでございます。
ご要望のチーズを持って参りました。お好きというワインも用意しております」
男達は上機嫌でワインをグラスに注ぐと、乾杯と言って杯をかかげた。
ガッチャーンッ!!
男達の手からグラスが落ち、割れて飛び散る。
喉を押さえながら口に入れたワインを吐いている姿が、エリスの瞳に映る。
嬉しくて、思わず頬が緩む。
倒れて行くマイケルと視線が合った。
さよなら、マイケル。
薄明りを感じ、マイケルは目を開けた。
身体を起こそうとするが、利き腕が動かない。
何を・・と頭に浮かぶは、最後に見たエリスの微笑み。
儚げで、この世の全ての美を集めたような美しさだった。
「エリス、エリス!」
声で気が付いたのだろう、隣の部屋から侍従が飛んで来た。
「マイケル様、目を覚まされたのですね。
すぐに侍医をお呼びします」
侍従とは入れ違いに、部屋に入って来たのは弟のオーツ。
「兄上、ご気分は?」
「良くない、エリスはどこだ?」
オーツは目を伏せ、息を飲みこむと口を開いた。
「兄上がエリス嬢を殺したのです」
「え?」
マイケルは、オーツの言葉を理解したくない。
「何度も婚約を解消したいと言っていたのに、兄上が追い詰めた。
腐臭が出始めた毒をエリス嬢は持ったままでした。早く捨てればよかったものを」
「どういうことだ!
どういうことだ、オーツ!」
マイケルはベッドから飛び降り、ふらつく身体でオーツに駆け寄り、オーツの肩を揺さぶる。
「王太子暗殺未遂犯として、すでに処刑されました」
すでに処刑されました。
処刑された、エリスが?
「違う!エリスじゃない、俺を殺してくれ!」
ガンガン!
床に頭を打ち付け、動く片手で床を叩くマイケル。
立ち上がろうとしたマイケルの身体は、支えようとした腕は動かず、床にもんどりうつ。
「エリス、エリス!
処刑だなんて、痛かったろう、怖かったろう!!」
額には傷ができ、流れる血が涙と混じり、床に滴り落ちる。
「エリスに罪はない!
俺だ! 俺が悪かったんだ!」
「そうだ!
兄上が悪い!
そんなの分かっている、兄上は分からなかったのですか?」
オーツは腕で涙を拭うと、状況を説明する。
「エリス嬢は検分も査問もされず、すぐに処刑された。
まるで、誰かが何もかもエリス嬢に被せたいかのようだった。
エリス嬢は最後まで、何も言わなかった。
美しい人だった、最後まで貴婦人であり続けた。
殿下やデーゲンハルト公爵子息を巻き込んだのは許せることではないが、僕たちは間に合わなかった、助けたかったんだ!」
「エリス! エリス!! エリス!!」
エリスの名を呼び叫んでも、返事はない。
「うわあああああああ!!」
絶叫が早朝の屋敷に響き続く。
朝の光が部屋中に射し込むと、マイケルはノロノロと動き出した。
オーツを見上げたマイケルの顔は、血と涙がグシャグシャだ。
「エリスはどこだ?」
声はかすれ、目が異様に光っている。
狂っている、オーツがそう思うほどマイケルは異様だった。
「罪人は王都の墓に入れない」
それがオーツの返答。
床を這うようにしてマイケルが扉に向かう。
毒が身体を巡ったのだ、目覚めても毒の影響が残っている。
即効性で無味無臭の強力な毒。
息をしていることが奇跡と医師は診断した。
目が覚めないかもしれない、覚悟をしてくださいと家族は言われていた。
利き腕は動かないし、体力もない。
立ち上がっては転び、よろめきながら扉に向かうマイケルを羽交い締めするようにオーツが止める。
「離せオーツ!
エリスが一人で寂しがっている」
「兄上、直ぐに医師が来ます。診察を受けてください」
「そんなのは後だ!!」
オーツを振り払いマイケルは部屋を出ようとするが、すぐにオーツに捕らえられる。
「エリス嬢の墓に案内しますから、診察を受けてください」
オーツは戻ってきた侍従に花とスープの用意をさせた。
「兄上、少しでも食べて体力をつけないと墓に行けません。
馬車で行ける所から、墓までは歩きですから。兄上は3日も意識がなかったのですよ」
僅か3日でエリスは、処刑されていたと?
マイケルの表情を見て、オーツは首を横に振る。
「王太子殿下の生死もわからぬ昏睡状態のまま、翌日に刑は執行されました。
殿下は未だにお目覚めになりません。
イスニデア伯爵家は取り潰しになりました」
王都を出て北に向かった所に、その墓地はあった。
罪人たちが眠る地に、まだ新しい石碑が一つ。
マイケルは持っていた花束を力なく落とすと、石碑の前に崩れ落ち、跪いた。
「エリス、エリス、エリス」
マイケルは、まだ固まっていない土を掘り始めた。
動く左手だけで、素手のまま掘っていく。
様子を見ていたオーツも、マイケルの爪が割れ、血が流れだすと背中から抱きついて止めに入る。
「兄上、止めてください。眠らせてあげてください!」
「エリスを連れて帰る!」
ドン、とオーツを振り払い、病み上がりでどこからその力がわくのかと思う程の勢いで、マイケルは片手で土を掘る。
土や小石が飛び散り、マイケルの服も顔も土まみれだ。
「エリス嬢は美しい令嬢だった。淑女というのは彼女のことだ。
もう土の中では腐敗が始まっているだろう、どうか兄上、彼女を見ないでやって欲しい。
きっと、エリス嬢は兄上にその姿を見られたくない」
感情のないような声で、オーツがマイケルの左手を止める。
「うわああ!」
何度もマイケルの咆哮が、訪れる人の少ない墓地に響く。
「エリスの髪の毛1本まで俺のものだ!」
土の中の棺を抱きしめるように、マイケルが大地に腕を回そうとするが右手は動かない。
「エリス好きだ。エリスが好きだ、好きだ」
マイケルの嗚咽に応える人はいない。
「じゃ、なぜ・・・」
オーツの言葉は続かない。
時代は大きく動き、人は歴史に飲み込まれていく。
ヘンリク王の在位15年記念式典が行われている王宮の大広間には、着飾った令嬢が集まっている一群があった。
中心にいるのは、マイケル・ストラトフォード。
将軍であり、独身で婚約者もいないストラトフォード侯爵だ。
マイケル自身が鍛えられた身体と、整った顔をしている。
滅多に宴席には出ないマイケルが礼装で参列すると、令嬢達が群がるのは仕方ないことである。
王女、王子を産んでも損なわない美貌のカデナ王妃が、傍らのレイゼラに囁く。
「あら、無駄なことを」
レイゼラもカデナの視線の先をたどり、そうですね、と相槌を打つ。
「若いご令嬢達は、エリスが亡くなってからのお生まれでしょう。
御存知ないのでしょうね」
「将軍は、ご令嬢のどなたのお声にも返されないのでしょうね。いつものことですね。
私も田舎者でしたから、エリス様のことは存じません。
お美しかったと聞きましたが」
レイゼラはエイドリアンから聞いたことしか知らない。
誰もエリスには触れないからだ。
すぐにマイケルが令嬢達から離れて行くのが見えた。
追いかけようとする令嬢もいるようだが、マイケルに無視されている。
「妻にする女性は決めておりますので」
それが、マイケルが常に口にする言葉だ。
義務で式典に参加しているようなヘンリクの機嫌は悪い。
全身黒の装束で王の椅子に座っている王に、話しかけるのは王妃のカデナぐらいである。
ヘンリクは喪服なのだ。
今日は、ヘンリクの弟が亡くなった命日でもあるからだ。
今日を迎える為に、大事な者を失くした。
彼らの心を埋める事は、永遠に出来ない。
ひんやりした空気を踏みしめるように、足音が響く墓地。
訪れる人が少ない墓地に、花が途切れない墓が一つ。
マイケルは小さな花束を出すと、墓に供える。
「エリスの好きな花だ。今年も咲いたよ」
マイケルが植えた花が墓の周りには咲き誇っている。
花に埋もれた墓である。
「エリスの好きな焼き菓子なんだけど、マーサさんが年取って店を閉めたんだ。
持って来れなくってごめんね」
エリスが街に出ては買っていた菓子だ。嬉しそうに食べていた姿が目に浮かぶ。
マイケルの中でエリスの時は止まっている。若く美しいエリス。
何度も何度も、増えない記憶が繰り返される。
「また、来るよ。
早くエリスの横で眠りたい、待っていて欲しい」
まるで頬をなでるかのように、墓にそっと手を添えて別れを告げるマイケル。
「エリス、愛してる」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本編では、名前しか出てこないエリスはいかがでしたでしょうか?
エリスの復讐が成功したのか、失敗したのか・・・
たくさんの感謝を込めて。
violet