泡沫の夢
完結後も読みに来てくださり、ありがとうございます。
400万PV突破!
お礼として、ささやかですが、番外編追加します。
楽しんでいただけましたなら、嬉しいです。
violet
ヘンリクが振り下ろした刃は、クレドールを斬り裂いた。
「クレドール!」
ヘンリクが手にもつ剣を投げ捨て、駆け寄ってくる。
兄上、泣かないで。
やっと終われる。
僕は、なんだったのだろう。
ああ、でも君に会えてよかった。
君に会いたい。
眩しい光に目を開けると、そこは一面の葡萄畑。
「ほら、こうしてもぎ取るのですよ。殿下。」
「もう、殿下ではないよ。」
あ、と言って舌を出すのは愛しい君。
葡萄の房を持つクレドールの手の上に、優しい手が重ねられる。
ポキ。
葡萄の房を樹からちぎる。
「初めてにしては上手ですね。」
「来年はもっと上手になるさ。」
葡萄棚の下で、季節の恵みの収穫をする。
汗が流れる。
剣の練習でつたう汗とは違う、労働の汗だ。
「これを発酵させるのです。
それから、潰して全部を樽詰します。
エッデルブルグでは、ビン詰めの時に不純物を全部取り除きます。」
「レイゼラ、ワイン醸造の知識はあるぞ。」
ハハハ、と僕が笑うと君も笑う。
「エッデルブルグのワインが、他と違うのは、不純物を取り除くのに、何度も濾過することです。」
葡萄の収穫時期で農夫達の繁忙期になると、子爵一家も手伝う。
エッデルブルグ領では、領民と領主一家がとても近い。
だから、些細な葡萄の異変も、領内の情報も入ってくる。
君が葡萄をもぎ取る手を止めて、僕を見上げる。
「すごく嬉しいんです。
王子の座を捨てて、こんな子爵家に来てくれるなんて。」
「もっと早くそうすれば良かった。」
遅いぐらいだよ、と君に告げる。
僕は、王子の座を捨てたかったのかもしれない。
僕の存在価値として、王になりたかった。
浅はかな母を捨てる事が、出来なかった。
でも、ここには僕の存在価値がある。
もっと早く、気づきたかった。
「レイゼラ、お腹が減ったな。」
「もう少し頑張ってください。
今夜は鳥のワイン煮を作りますから。
パンは殿下が切ってくださいね。」
僕は、昨日、鴨を狩ってきた。
その間に、レイゼラがパンを焼いたのだ。
獲物を持って帰ると、家からはパンの焼ける匂い。
「ああ。
それから殿下じゃないぞ。」
「ク、クレドール。」
真っ赤になって、君が僕の名前を呼ぶ。
「よくできました。」
幸せに形があるとしたら、これがそうなのだろう。
身体の中が温かくなる。
今度は、僕がレイゼラの手の上に手を重ねる。
ピクンと身体が跳ねる君は、可愛い。
耳まで真っ赤だ。
葡萄の収穫を終えたら、ワイン醸造に入る。
覚える事がいっぱいだ。
だが、ここには君がいる。
小さな二人の家で、夜には温かいご飯を囲んで、長い夜を過ごすんだ。
同じような朝が来て、毎日が穏やかに過ぎていく。
ポタリ、何かが顔に落ちてきて、クレドールは目を開けた。
一瞬だけど、長い夢を見ていたようだ。
ヘンリクが、クレドールを抱いて泣いている。
ああ、兄上と剣で打ち合ったんだ。
僕と兄上の争いは、国の機能を低下させ、混乱を生んだ。
「兄上、乱れてしまったこの国を頼みます。」
ゴボッとクレドールが血を吐いた。
「わかった。」
「兄上の腕は、温かい・・な。」
そう言って、クレドールは胸に手を当てると息を引き取った。