ヘンリク・ノーマン
王は執務室で待っていた。
「クレドールは?」
最後まで、聞くのはクレドールのこと。
もう、慣れた、自分に父はいないとヘンリクは思う。
好きな女の子供というのは、こんなに違うのだ。
自分も、カデナと心を通わす前と後では違う。
王は、ヘンリクの表情で全てを悟ったのであろう。
ヘンリクやクレドールの様に、才覚に優れた人物ではないが、帝王教育を受け、王として長い時間を過ごしてきた人間なのである。
ヘレン妃を王妃にするまでは、周りからも信頼され、王の責務をこなしていたのだ。
「そうか。」
王は、覚悟をしていたようだ。
まっすぐにヘンリクに向かって、歩いてくる。
老いた、こんな顔だったろうか、とヘンリクが思う。
カツンカツン、王の足音が大理石の床に響く。
「ヘンリク!」
それは、エイドリアンの声だった。
無意識に手が剣に動いた。
ガツッ!
手に父の骨を斬る感触が伝わった。
ただ、倒れていく王の姿を見ていた。
クレドールの時は考える間もなく、身体を受け止めようと手が出たが、王の最後は、感慨もなく冷静に見ていた。
全てが終わって、全てが始まる。
カタン、少し左足をひきずってエイドリアンがヘンリクの横に歩いてきた。
「ヘンリク、お前の罪は、私達の罪だ。」
「私は、クレドールを殺してしまった。
クレドールが私を殺そうとした気持ちがわかる。
他の人間に、殺させたくなかった。」
ヘンリクはエイドリアンの方を見ずに答える。
そうか、と言いながら、エイドリアンがヘンリクの肩をたたく。
「お前が王だ。」
王位、それの為に失くしたものは大きい。
「私が、お前を支える。
ここに居る全ての者が、お前を王に望んだ。」
エイドリアンの言葉に、オーツを始め、同行している全ての人間が頷く。
王宮内に入り込んだ、第2部隊やヘレン妃の手の者を駆逐していた総司令官達も合流すると、本格的な国の再構築が始まった。
ヘレン妃に加担した貴族達の処分、それに伴う人事刷新。
やらねばならない事が、山積みである。
エイドリアンも父から宰相を引き継ぐことになる。
「私は、王が道を誤っていくのを、止める事が出来なかった。」
「いいえ、宰相や総司令官が抵抗してくれたおかげで、この国は、財政も軍も健全でいられた。」
宰相の言葉を受けて、ヘンリクが返す。
会議は長い時間が過ぎても、終わりは見えなかった。
「ヘンリク、どこに行く?」
ガタンと椅子から立ち上がったヘンリクを見咎めるように、エイドリアンが聞く。
「カデナのとこだ。
安全の為に、我々から遠ざけて精鋭兵の護衛を付けていたが、顔を見たい。
無事の報告は受けていても、心配だ。」
カデナの部屋には隠し扉があって、最悪の場合は、そこからカデナ、レイゼラ、侍女を連れて逃げる手はずになっていた。
それを使わずに済んだが、目の前で交戦が始まり、ショックを受けているだろう。
「少し、休憩を入れよう。30分後に集合だ。」
エイドリアンが、これでいいだろう、とヘンリクを見る。
ヘンリク、エイドリアンが並んで王宮の回廊を歩いている。
落ち着いたとはいえ、まだ兵の死体も転がったままだ。
「何故、お前がついてくる?」
ヘンリクがジャマなようにエイドリアンに言う。
「ついて行っているのではない、目的地が同じなだけだ。
レイゼラが怖がっているだろう。」
「そんなにあの娘がいいか?」
「ああ。」
エイドリアンの言葉に驚くヘンリクである。
「・・・」
感情がないのではとまで思っていた、この男も、人当たりが良くとも誰にも心許さない弟も、あの娘がいいと言う。
カデナの部屋の前に立つ護衛は、戦闘の後のままらしく、血まみれの軍服で立っている。
「よくやってくれた。ありがとう。」
ヘンリクは、護衛に労いの言葉をかけ、扉を開けさせた。
カデナの部屋で、レイゼラはカデナにしがみついて泣いていた。
既に報告がきているのだろう。
「終わったよ、カデナ。」
「ヘンリク、無事でよかった。」
ヘンリクがカデナを抱きしめ、お腹は大丈夫?と確認する。
「エイドリアン様、ご無事で・・・よかった!」
レイゼラは、しがみつく相手をエイドリアンに代えて泣いている。
「お前が無事でよかった。」
レイゼラが悲しげに微笑む。
「クレドール様が・・・
クレドール様が、助けてくださったのです。」
レイゼラの涙は止まらない。
「そうか。」
エイドリアンは、レイゼラの髪を一筋取り指にからめる。
もう消す事はできない。
レイゼラの気持ちを疑うことはないが、クレドールの欠片がレイゼラの中に入り込んでしまった。
クレドールを偲んで泣いているのがわかる。
髪の毛1本、やりたくない、だが手遅れだ。
ほんの少しでも、レイゼラの心の中にクレドールが入り込んだ事が腹立たしい。
自分の中の独占欲に気づき、エイドリアンは苦笑いを浮かべる。
これだけは、譲る事ができない、と再認識するのだった。