エッデルブルグ子爵領
セルディは伯爵領に戻ると、隣のエッデルブルグ子爵領に向かった。
それは、通い慣れた道で、レイゼラとの婚約期間が長かった事を思い出させる。
レイゼラと婚約解消して1ケ月余、シフォンヌとの結婚式は王都の学校を卒業する来年と決めてある。
ドラン伯爵には、ヘレン妃の誕生会の顛末で謹慎処分が通知されていた。
セルディは領地に呼び戻され、父親に問い詰められると、事の次第を話したのだ。
「どうして、レイゼラと婚約解消など勝手にしたのだ。
もう、言っても仕方ないと1ケ月前には思っていたが、それが全てだ。
あの娘は働き者で、我が家でも可愛がられていた。
それに比べ、シフォンヌはどうだ?
1ケ月前に来たきりで、手紙の一つもよこさない。
おまけに、巨額の借金持ちの娘だ。」
「借金の事は最近知ったんだから、仕方ないだろ!」
セルディだって、そんな家の娘なら結婚しようと思わなかった。
「しかも、王妃の誕生会でとんでもない事をしてくれた!
直ぐにエッデルブルグ子爵に謝って、取り成してもらってこい。」
シフォンヌが洗練されて美しく、家柄も伯爵令嬢で自分に似つかわしいと思っていた。
だが、どうだ。
王妃の誕生会で見たレイゼラは、最初わからなかった。それほど美しく変わっていた。
日に焼け、荒れた肌は、しっとりとした、きめの細かい白い肌になっていた。
クレドール殿下に庇護され、歩く姿に見とれた。
横にいるシフォンヌが色あせて見えた。レイゼラの方が格段に美しい。
自分が王都でシフォンヌに乗り換えたと思っていたが、浮気していたのはレイゼラではないのか。
王妃の誕生会に招待されるなど、貧乏子爵家には無理だ。
あのドレスだって、婚約者からの贈り物と言っていたが、1ケ月前に婚約解消されて、すぐに婚約できる程の家ではない。
金のある、どこかの商家の後妻にでもなるつもりか。
年の合う貴族の男性は、既に婚約者がいるか結婚しているだろう。
クレドール殿下は別格だ、婚約者がいないのは厳選されているからだ。
あいつは、殿下と通じていたのかもしれない。僕を笑っていたに違いない。
婚約者ではなく、愛人候補ではないか。
馬を走らせながら、思考をめぐらせていると、見慣れた景色に違和感を覚えた。
それは、葡萄畑を見たときにわかった。
広大な葡萄畑が鉄条網で囲まれていた。これだけの工事をするには、どれほどの資金がいるのだろう。
失敗した。
エッデルブルグ家は、資産が回復していたのではないか?
現に、自分の留学費用の送金が滞ったことなどない。婚約解消して、送金が無くなるまでは。
送金が無くなった自分は、以前のような生活はできない。シフォンヌにプレゼントも出来ないでいる。
レイゼラと結婚すれば、金のなる木であるワイン製造は自分の物になったのに。
エッデルブルグ子爵家の屋敷に着いて、ノッカーを叩くと、出て来たのは見慣れない家令だ。
「子爵にお会いしたい。」
「お名前をお聞きできますでしょうか?
本日、子爵はどなたとも面会のご予定はありません。」
「セルディ・ドランだ。」
貴族の僕を玄関先に立たせたままとは無礼な家令、と思いながらセルディが名を告げると、家令はその場で断りの言葉を口にしたのだ。
「申し訳ありません。
ドラン伯爵家の方は、主に通さないように言われております。」
「なんだって!」
目の前で玄関扉を閉められそうになったセルディは、扉を持って閉めさせまいとする。
「僕は伯爵家なんだぞ!
子爵家の家令が、偉そうに言うな!」
「私の主は子爵では、ありません。
デーゲンハルト公爵でございます。
御子息エイドリアン様の婚約者であられる、レイゼラ様のご実家を守るように、遣わされております。」
デーゲンハルト公爵といえば、我が国の宰相だ。権力も財力も王家に次ぐ家である。
「そんな・・・」
セルディの言葉は続かない。
力なく、玄関扉から手を放した。
『言っている意味がわかりませんわ。
このドレスも宝飾も婚約者からの贈り物ですもの。』
王妃の誕生会でのレイゼラの言葉が甦る。
婚約者は、デーゲンハルト公爵嫡男、王太子補佐だ。
「いつから・・」
「レイゼラ様の御名誉の為にお伝えいたします。
公爵はレイゼラ様がお幸せになるならと、何も知らせずに見守っておられたのです。
婚約解消されたのは、ドラン伯爵家です。」
セルディは今度こそ、打ちのめされた。
自分は多額の負債があるとは知らずにポートダム伯爵家のシフォンヌを選んで、デーゲンハルト公爵家、さらには王家とも親交のあるレイゼラを捨てたのだ。
セルディが婚約解消した時には、レイゼラはデーゲンハルト公爵家も王家も知らなかったが、セルディにはそんな事はわからない。以前から親交があり、レイゼラは自分に黙っていたとしか思えない。
エッデルブルグ家はワインの販売で、いろいろな家と取引があるからだ。
デーゲンハルト公爵家からの家令や警備は、ジャクランを守るためであるが、それは極秘である為、レイゼラの実家を守るという名目で派遣されている。
セルディに知らされる事はない。
セルディは自分が捨てた者の大きさを思い知った。
そして同時に、自分が遠ざけたくせに、あの女に騙されたとの思いが強まっていくのだった。
王都の生活が、セルディを変えてしまったのか。昔は、レイゼラと仲の良い婚約者だったはずです。
レイゼラが、変わってしまったセルディを知ったのは、婚約解消の時だったのでしょう。