想いの陰影
北部から戻ってきたマイケルは、王都に入る前に墓地に向かう。
胸ポケットから、大事そうに北の地で見つけた花を取り出した。
墓石の横にそっと置くと、また来るよ、と声をかけて墓地の門に向かった。
墓石に刻まれた名は、エリス・イスニデア。
王太子執務室では、会議が始まっていた。
マイケルのもたらした情報は、急を要するものだった。
ヘレン妃が、人を集めているのはわかっていたが、すでに武器も運び込まれ、蜂起の様相をみせていた。
実際に蜂起が起これば、軍は制圧に向かうだろう。
王都の警備は手薄になる、王宮もだ。
全盲の王太子と半身不随の王太子補佐なら、容易く暗殺できると思っているのかもしれない。
それとも、全盲の王太子には緊急な場面を指揮する事はできず、クレドールが沈静化し、ヘンリクを王太子の座から引き落とす事を狙っているのか。
「我が国は、長い間戦争もなく、穏やかであったが、安定していたわけではない。
私が王太子から落とされれば、母の国タンザールが進軍してくるであろう事は、クレドールもわかっているだろう。」
ヘンリクが、地図を広げ、蜂起予想地域サランダー男爵領と、タンザールとの国境地域を指す。
「それは、我が国が戦場になるという事だ。
なんとしても避けねばならない。」
杖をついたエイドリアンが、そこに書き込みを始める。
マイケルから報告のサランダー男爵領での暴徒数、タンザール王国の軍の規模。
「殿下、エイドリアン様。」
フレディが前に出てきた。
「言葉がわからない人物が、賭博場にいました。」
フレディが大勝して、皆に酒を振舞った時に、礼を言ってきた数人が、片言のノーマン語しか話せなかっかったと言うのだ。
それは、ベッシーニ伯爵は他国と通じている、と考えられるという事である。
王太子を討った後、攻めて来るタンザール王国に対抗すべき他国と手を結んでいる可能性がある。
「野心家のヘレン妃らしいことだ。
いや、クレドールの案か。ヘレン妃には考えつかないだろう。」
ヘンリクが納得したように言う。
ノーマン王国に攻め入って、手薄になったタンザール王国を攻める国があるという事だ。
本国を落とされたタンザールの軍隊は、クレドールにとって脅威ではなくなるだろう。
「俺は、北部制圧に行くよ。オーツを残していく。」
マイケルは、直ぐにでも北部に行って、サランダー領の警戒にあたり、蜂起が確認されれば制圧に入ると言う。マイケルの隊が制圧できれば、軍の大隊を投入させないですむ。
クレドールの思惑通りにさせる訳にはいかない。
マイケルが最前線で暴徒達に突入するのは、わかっている。
「マイケル、無茶するなよ、まだする事はある。」
ヘンリクが、マイケルに釘をさす。
マイケルは、危険な任務を優先してこなすようになった。まるで、死に急ぐかのように。
「わかっている。」
一言だけ言って、マイケルは口を閉じた。
この世にエリスがいない。
マイケルは生き残ったが、生きる意味が無くなった事を知った。
自分のしてきた事が、エリスを追い詰めたのだ。
誰よりも守りたい人を、苦しませ、悲しませた。
処刑される時は、どれ程怖かったろう、痛かったろう。
毒の入ったワインを口に含んだ時に見せた、エリスの儚く美しい微笑みが、頭から離れない。
バサバサとエイドリアンが広げたのは、賭博会の会員名簿の写し。
サランダー男爵領から、王都の間にある名簿に記された貴族の領地に印をつける。
「サランダー男爵もヘレン妃の取り巻きとして、寵妃としてあがる前から有名だった人物だ。
領地の位置から、賭博に意図をもって誘っていると考えられるな。サランダー領から王都まで直線だ。」
エイドリアンが、借用書の中で気にとめた人物の名があった。
ジェリオ・ポートダム伯爵。
セルディの新しい婚約者シフォンヌの父である。
ポートダム伯爵の領地からの営利では、とても返済できそうにない金額だ。遠からず資産の売却がなされるだろう、すでに始まっているかもしれない。
ベッシーニ伯爵の取り立ては厳しいだろう、ヘレン妃の方でも領地に価値はあっても、ポートダム伯爵家にはない。
婚約者のセルディ・ドランは、まだ爵位を継いでいない。
資金援助ができるほどの余裕はない。
第一、ドラン伯爵家も隣のエッデルブルグ子爵家の資産を頼っていたのだ。
2年前の事件後も、セルディの留学費は、エッデルブルグ家が裕福な時に収集した資産を売却して、援助していた。
娘の婚約者だからこそだ。
セルディも失くして、レイゼラの価値がわかったことだろう、とエイドリアンはほくそ笑む。
レイゼラを金品としてしか考えないことが間違いだよ。
あの小鳥は田舎だからこそ、楽しませてくれると置いておいたが、そうではないらしい。
レイゼラ、どこでもペット枠のスタートでした。
エイドリアン、小鳥。
カデナ、クレドール。仔犬。
パーミラは跳ねて可愛いと言っていたから、ウサギでしょうか・・・