ベッシーニ伯爵領
昼間、エイドリアンへの気持ちを自覚したレイゼラは、一緒に寝るのが恥ずかしくなって、別室にしたいと申し出た。
レイゼラが、デーゲンハルト公爵家に来て一カ月近くになる。
エイドリアンは急激に回復しており、杖があれば立ち、歩けるようになっていた。
それに伴い、痩せた身体も肉付きがよくなり、貴公子然としてきた。
もちろん、公には車椅子で以前のままの様子を装っている。
あの顔を毎朝蹴っていたり、乗り上げているとレイゼラは恥ずかしさを通り越して、悲しくなった。今さらだが・・・
好きな人だと自覚すると、寝相の悪さを見られたくないと思う。今さらである。
「毎朝、迷惑をかけるのは忍びなく・・・」
縮こまってレイゼラが言い訳をする。
「もう、慣れた。」
エイドリアンは簡潔に却下する。
「だって、好きな人と一瞬だなんてドキドキしちゃうから。」
小さく漏れでた言葉は、エイドリアンに聞こえている。
「なんだ、聞こえないぞ。」
「エイドリアン様は100回言っても、聞こえない振りするくせに。」
「じゃ、100回言ってみろ。」
ニヤリと笑うエイドリアンの顔に、しまった、とレイゼラが後悔しても遅かった。
恥ずかしがるレイゼラは、エイドリアンの好物である。
赤くなって小さな声でレイゼラが言う。
「エイドリアン様が好き。」
ジリジリとベッドの上を後ずされば、エイドリアンにベッドヘッドに追い詰められた。
「聞こえないぞ、まだ12回目だ。」
ちゃんと聞こえている。
「悪魔がここにいるー。」
レイゼラが呟けば、
「ほぉ、光栄だな。」
レイゼラをベッドの角に追い詰めたエイドリアンが言う。
「後、88回だ、期待しているぞ。」
エイドリアンとレイゼラが甘い夜を過ごしている間にも、敵地に侵入して、危険な任務をこなしている者達はいるのだ。
ベッシーニ伯爵領では今夜も賭博会が催されていた。
領地は小さいが、王都に近いことから、貴族や裕福な商人達が顧客となっていた。
それは、舞踏会を装った会場の別室で行われる秘密の賭博場であった。
巨額の金額が動き、たくさんの人々が集まっていた。
その多くはヘレン妃の資金に流れ、債務を負った人々がヘレン妃の協力者となっていった。
ヘンリクの命を受けたマイケルの弟オーツが変装し、偽名を使い、アシモフ・モデーン子爵として潜入していた。
実際のモデーン子爵は、病気療養中で社交には長く出てきていない。
それとは別ルートで、侍従のフレディがエイドリアンの指示で、他国の商人に扮して潜入している。
ヘレン妃の取り巻きとして有名なベッシーニ伯爵の舞踏会は、招待状を手にするまでがやっかいだ。
参加者はベッシーニ伯爵に管理されているゆえに、賭博場の情報は漏れ出てこない。
「モデーン子爵、調子はいかがですか?」
ベッシーニ伯爵が声をかけてきた。
「病み上がりなので、あまり興奮しないように楽しんでます。」
オーツは髭と鬘で壮年の男性に化けている。背中を曲げて歩き、襟高の上着を着ていると若い男性とわかる者はいない。
賭博室に行くと、フレディが遊戯しているのが目に入ったが、知らぬふりで通り過ぎる。
二人はベッシーニ伯爵を含め、屋敷の者の目をひくのが役目だ。
手薄になった所に、手の者が忍び込み、賭博会員名簿を書き写している。
問題が起きなければ、警備もゆるくなる。
エッデルブルグ子爵領でヨーデル医師と別れた後、ヨーデルは王都に戻り、フレディはベッシーニ伯爵領に向かったのだ。
途中で、エイドリアンの部下達と落ちあい、手はずを整えた。
名簿のありかも、警備の情報も調べるのは難しいことではなかった。
ヘレン妃の加護があるということで油断があるのだろう、使用人として入る事はたやすかった。
フレディが帰国する前の最後にと、大金を賭けて勝負に出ると、テーブルは勝負を見る人でいっぱいになる。
警備が重点的にそのテーブルに配置され、人々はカードの結果に夢中になっている。
オーツはベッシーニ伯爵に声をかけ、会場を後にしたが、オーツの動きを気に留める者はいなかった。
オーツが開けた扉から、外に走り出る男達が馬車に乗り込む。
最後に乗り込んだオーツが馬車の扉を閉めると、馬車は王都に向かう。
フレディが大勝をすると、賭博場は歓声につつまれ、我もとカードのテーブルに着く人であふれた。
「伯爵、これで皆に美味い酒を振舞ってくれ。」
そう言って勝ち金の一部をベッシーニ伯爵にだした。
夜が更けても、賭博場では大騒ぎが続き、名簿が写され、賭博に負けた者達の借用書が盗みとられた事に気づく者はいなかった。