人生のやりなおし
目を覚ましたレイゼラは、ベッドに身体を起こし、陽がさす窓を見る。
「雨はやんでいたのね。太陽が出ている。」
あんな男の事で後悔しても仕方ない。縁がなかったのだ。男を見る目がなかったのだ。私に魅力がなかったのだ。
「ふ、ふぅうう!」
ボタボタと涙がこぼれ落ちた、シーツを掴む手に力が入る。
それでも10年近く婚約者だったのだ。
子供の頃は、仲がよかった。どこですれ違い始めたのか。
好き放題言われて、反論もできなかった、情けない。
お金があった頃にはわからなかった事が、表に出て来たのだとわかる。
これから、やり直そう。セルディと結婚しても上手くいかなかっただろう、早くわかってよかった。
うちのワインの評判は落ちたけど、味が落ちたわけではない。もう一度、喜んで飲んでもらえるように頑張ろう。
婚約者はなくなったけど、仕事はある。
もし、どこかに縁があったら、いつか結婚できるだろう。
問題は、通行料を値上げすると言った言葉。
考える事は山とある、がんばろう。
レイゼラの瞳に光がさしてきた。
レイゼラが起きて服を着替えた頃、母親のニュンヘルが様子を見に来た。
「レイゼラ!起きたのね!」
良かった、とレイゼルの手を取る。
「貴女にお客様なの、サロンに来れるかしら?」
客の心当たりなどない、もしかしてドラン伯爵かと思ったが、あり得ないと少しがっかりする自分がいる。
婚約解消をなしにしよう、と言ってくるはずなどないのだ。
レイゼラがサロンに行くと、品のいい夫婦がいたが、見覚えもなく見当もつかなかった。
「オスカー・デーゲンハルトと妻のパーミラだ。」
デーゲンハルト公爵!
この国で王家に次ぐ実力者。
そして嫡男は、2年前の事件で王太子と共に毒を盛られた側近の一人だ。
王太子も側近達も亡くなってはいないが、その後の事は緘口令が敷かれ、世間ではどうなっているかわからない。
「レイゼラ・エッデルブルグです。
お会いにできて光栄です。」
レイゼラがカーテシーをするのを、公爵が目を細めて見ている。
雰囲気が優しいのを、レイゼラは感じ取っていた。
「レイゼラ嬢、貴女にお願いがある。
もちろん、断ってくれてかまわない。」
デーゲンハルト公爵は穏やかな微笑みで、レイゼラに話しかけた。
それは、レイゼラの運命を大きく動かし、時代の大きな渦の中へ放り込むものだった。
普段のレイゼラなら、もっと慎重になっていただろう。だが、その時のレイゼラはとても傷ついていた。優しい言葉に、自分を必要としてくれる言葉に助けられたい、思ってしまった。
その日のうちに、レイゼラは身の回りの少ない荷物だけを持って、デーゲンハルト公爵夫妻と馬車に乗って王都に向かった。
豪華な馬車とはいえ、王都から公爵夫妻はレイゼラを訪ねて来てくれたのだ。
王都に行くのは初めてではないが、新しい生活に不安を拭うことはできなかった。
セルディのように嫌われたら、どうしよう。今度は帰るところはもうないんだ、と覚悟を決める。
私をいいと言ってくれる人。たとえ、どんな人でも大事にしていきたい。
ここから、新しい人生が始まるんだ。
今のレイゼラには何もないけど、新しく始めるには時間はたくさんある。
馬車の窓から外を見ながら、レイゼラはエッデルブルグ子爵家のサロンで聞いた言葉を思い出していた。
デーゲンハルト公爵はレイゼラに言ったのだ。
「息子、エイドリアンの元に嫁いできて欲しい。
エイドリアンは2年前の事件で後遺症が残っている。それを了承のうえで決めて欲しい。
持参金はいらない、反対に支度金を用意している。自由に使ってくれてかまわない。」
エッデルブルグのワイン工場や農地で働く人々にいくばくかでも、分け与えられる。
だが・・・自分を売るような行為だとも思う。
顔をあげたレイゼラに公爵夫人は、手を取り優しく言葉をかける。
「貴女を金品でどうにかしようというわけではないの。
そうまでしても、公爵家に嫁いできて欲しいということなの。」
自分の何が、気に入ったのかはわからないが、賭けてみようと思った。
レイゼラの答えに迷いはなかった。
「公爵様は全ての現状をご存知で、言っておられるとわかりました。
レイゼラ・エッデルブルグは、御子息エイドリアン様とデーゲンハルト公爵家に、この身を捧げようと思います。」
貴族の娘の結婚は家同士の結婚だ。
公爵家から、要求されれば子爵家で断れるはずもないのをわかっていて、要求しなかった。
公爵夫妻は、レイゼラの意志を尊重したのだ、信じたいと思う。
子爵家から公爵家に嫁ぐなどありえない、身分が違いすぎる。それを希望するとは、どういうことなのか。
わからない事だらけだが、これ以上失くすものなどない。
馬車は次の日には、王都に入った。
城のような公爵邸の前で馬車は止まる。レイゼラの人生が動き出した。