第八回 『戦場のピアニスト』 ー 作家さん集まれ、構成の話をするよ ー
今回は、映画を教材として、物語の構成の話をします。
そのため、ネタバレ要素満載となっており、ネタバレごとに、その直前にスペースを設けています。
ネタバレが嫌な方は、途中で引き返して、観終わってからお読みくださいね。
『戦場のピアニスト』
2002年 フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス カラー
ロマン・ポランスキー監督作品
さてと。
いよいよ来ました、有名どころ。
有名どころを紹介する必要が?
いやいや、それがあるのです。大アリですよ。オオアリアドネの糸ですよ。(←なんのこっちゃ)
すみません。
今回はこの素晴らしい映画に見られる構成の妙を解説していき、小説の構成がマンネリ化してくるという壁にぶつかってしまったなろう作家の方々へ、まさしくアリアドネの糸ともなるべきものを提供できれば、という野望に燃えているのです。
そう、ここに来て私は、「悩めるなろうユーザを『戦場のピアニスト』をもって救いださん」という大いなる野望を発見してしまったのです。
……ええと、こんなんで良いかな?
なにせ、第一回の頃の私の語り口を褒めてくださった方がいらっしゃるので、少し調子に乗ってみたほうが良いのかな、と。
え、こういうのいらない……?
さてと。
今回は構成の話なので、筋を書かなきゃダメですね。そして、ネタバレしなきゃダメですね。
まあ、結末がわかったうえで観ても充分楽しめますが、なんなら観終わってから読んでもらってもいいですよ^^
1939年、ポーランド。この年、ナチスドイツがポーランド領へと侵攻してきた。
ユダヤ人ピアニストのウワディスワフ・シュピルマン(実在した人物)は、他のユダヤ人同様、ゲットーと呼ばれる地域へ強制移住させられるが、やがてそこを脱出し、地下組織に匿われる。が、そこも危うくなり……。
あるとき、廃墟となった建物で食料を手に入れようとしていたシュピルマンは、ドイツ軍将校に見つかってしまう。将校は、シュピルマンがピアニストだと知ると演奏を命じる。彼の情熱的な演奏を聴いた将校は、食料を差し入れ、彼のために上着を残していくが、今度はドイツの敗戦により、彼の恩人となった将校が殺される立場となるのだった……。
ええと、筋としてはこんな感じです。
ここで、構成の話に入りましょう。
ええ、誤解を恐れずにわかりやすくいいますと、
この物語の主たるストーリーは、シュピルマンがドイツ軍将校に見つかった時点で動き出します。それまでは、起承転結でいうと「起」の部分なのです。実際、クレジットでは、シュピルマンの次に将校の名前が出てきます。彼はこの映画の第二の主役といっても差し支えないほど、重要な役なのです(少なくとも、私はそう思います)。
ところが、この将校が登場するのは、映画の終盤になってからなのです(いや、時間を計ってみたわけではないので、正確にどの辺りとは言えませんが、「終盤」といっておけば間違いはないでしょう)。
戦争が勃発して、迫害を受け、ゲットーに入れられ、そこを脱出して息を潜めて暮らして……、もちろん、そういった生活は、それだけでも充分ドラマたりうるものです。
しかし、『戦場のピアニスト』という一つの物語全体を見渡したとき、それは「起」の部分に収まるのです。
そして、シュピルマンが廃墟で将校に見つかった、というのが「承」。戦争の終結によって立場が変わった、これが「転」。将校の処刑と戦後のシュピルマン、これが「結」。
もうおわかりでしょう。この映画、肝心のストーリー展開を終盤に凝縮し、上映時間の大部分を起承転結の「起」、言い換えれば、世界と人物の提示に充てているのです。
では、そこまでして提示したかったものは何なのか。
ここでは、二つの要素を挙げようと思います。かなり切り込みますので、ご自分で発見したい方は先に観てくださいね。
まず一つは、「迫害の悲惨さ」です。
正直言って、嫌になっちゃいます。本当に酷いから。
ああ、戦争映画……、迫害……、ただただ悲惨な光景……。
しかし、嫌でもこういった情報を提示してもらわないと、シュピルマンと将校のストーリーの背景が、実感として理解できないのです。もちろん、これを見て戦争を経験したとは言えないので、「実感」という言葉のチョイスは正しくないかもしれません。しかし、言いたいことは伝わりますよね。ただ数分だけ悲惨な映像を流して、「こういうことがありました」では、ストーリーの背景を伝えるのには不充分なのです。
そして、ナチスドイツを散々悪く描くことで(描くというか、そもそも事実ではありますが)、心ある将校の置かれた立場といずれ逆転する運命をより効果的に見せることができるのではないかな、とも私は思います。
もう一つは、「シュピルマンの性格」です。
この物語は、シュピルマンと将校の交流を通した物語です。シュピルマンが主人公で、彼が将校と出会うことによって起こるドラマを描いたものなのです。
となれば、前提として、彼がどのような人物なのかを提示することは当然と言えましょう。
彼がどのような苦難を乗り越えてきたのか、それも大事ですが、「どのように」乗り越えてきたのかというのが、ここでいう彼の「性格」です。
全編を通して、彼は非常に穏やかです。酷い目にあっても、彼は穏やかなのです。
それは、彼の強さなのだと思います。憤慨することなく現実を受け入れ、そのうえで、必死に生き延びようとする。そんな彼の情熱なのだと思うのです。それこそ、彼の生き様なのです。
彼はピアニスト。でも、長い間、演奏を我慢していました。目の前にピアノがあっても、そんなことをすれば敵に見つかり、殺されてしまいます。だけど、弾きたい……。そんな情熱を胸に、ひたすら我慢を続け、穏やかさを失わなかったシュピルマン。
そんな彼の性格を知ってこそ、将校の前での演奏が活きてくる。
そして、将校の死を知った彼の表情が活きてくるのです。
さて、おわかりでしょうか?
シュピルマンとドイツ軍将校の物語を描くには、その前提部分を、長い時間を費やしてでも丹念に描き、見せる必要があったのです。
ええ、長々と書き連ねましたが、要は、
「物語を構成するうえで、主軸を描くためにはその前提となる世界・人物の提示が必要だよ」
ということと、
「起承転結は、それぞれのパーツが同じくらいの分量である必要はないんだよ」
ということです。
とかくストーリーに脳が行きがちな作家の皆さん、たまには「ストーリーを魅せるための部分」に分量を費やすという構成も、いかがですか?
最後に。
この映画でも使われているフレデリック・ショパンの『夜想曲第20番 嬰ハ短調』、私はこれが大好きなのです。
私は初め、テレビ放映でこの映画を観たのですが、
この映画の構成のことに気づいたのは、観終わって一週間くらい経ってからでした。
一週間経ってようやく、この映画の素晴らしさに気づいたのです。
しばらくして、映画館での上映情報を見つけて観に行ったのですが、
その後にようやく、シュピルマンの性格のことに気づいたのです。
映画っていうのは、後から気づくことというのが結構ある。それは、私が鈍いから?
でも、そういう人って、結構いるんじゃないかなあ……。




