第十一回 『モンパルナスの灯』 ー 芸術家・モディリアーニ ー
『モンパルナスの灯』
1958年 フランス モノクロ
ジャック・ベッケル監督作品
お待たせしました。
え、待ってない……?
今日は、ダメ人間好きというなろうユーザの方に向けて、この映画をご紹介します。
ええと、初めに断っておきますと、ね。
この映画は、アメデオ・モディリアーニという実在の画家を扱った作品なのですが、フィクションであります。
ちなみに、彼を扱った映画には、『モディリアーニ 真実の愛』というものもありますが、これもフィクション。まあ、彼が36歳で若くして亡くなったこと、内縁の妻が後追い心中をしたこと、彼の絵が死後になって高く評価されたことを思えば、ドラマチックに脚色された創作物が生まれるのは必定かもしれません。
さてと、この映画に描かれるモディリアーニは、非常に孤独な芸術家です。スーティンやピカソなど、同時代の著名な仲間が登場しないこともあって、彼の周りの人間、献身的な理解者といえば、画商ズボロフスキー、そして、内縁の妻ジャンヌくらいなのでした。
売れない画家は、酒浸りの日々を送っていた。ところがある日、画学生のジャンヌ・エビュテルヌと熱い恋に落ちてしまう。
芸術家という名のダメ男としてしか生きることのできない彼。それでも彼女を愛してしまった。
不幸にすることはわかっている。それでも彼女はついてくる。
何を言っても……。
ところが、もう一人、彼の理解者が現れる。正確には、彼の画才の理解者だ。
しかし彼は、モディリアーニの絵画を買おうとしない。画商であるにもかかわらず……。
モンパルナスの夜、街灯の照らす道を行くモディリアーニ。
ヘトヘトになった彼の後ろをついて歩く、例の画商……。
そして、物語は悲惨な結末を迎える。
まあ、筋としてはこんなものでしょう。いつもより芝居がかった紹介になってしまいましたが。
ええ、好きなシーンを挙げるとしたら、やっぱりセーヌ川沿いでのモディリアーニとジャンヌの愛のシーンでしょう。
こういう愛って、本当に素敵です。苦難があると愛は情熱的になるといいますが(ロミオとジュリエット効果)、彼らの場合はまさしくそれ。ロミオたちの幼い恋愛ともまた違った、大人の情熱です。
大人だからこその気遣い、葛藤。わかったうえでの覚悟。
ダメ男だからこその愛の形です。
以下、映画から離れますが……
芸術家というと華々しさを想像する人もいると思いますが、私は、芸術家とは本来こういった、世間に理解されにくいような、孤独な存在なのではないかな、と思います。
純粋な芸術家というのは俗世間の一般人とは一線を画していて、芸術作品を通してしか関わらないような……、というと大げさかもしれませんが、何かこう、孤独な存在なんだと思うのです。ボブ・ディランの曲『見張塔からずっと』の詞に出てくる二人なんかは、まさにそれ。
太宰治の『人間失格』に、ある少年がモディリアーニの描いた裸婦の絵を「地獄の馬みたい」「お化けの絵」と言う場面があります。
たしかに、人間の内面をそのまま表した絵という意味では、「見えたままの表現」であることに間違いはないのですが、それは決して、人間のマイナス面のみを写したものではないと私は思います。
なぜそう思うのか。それは、私が実際にモディリアーニの描いた肖像画を観たときに(私が実物を観たのは、デトロイト美術館所蔵『男の肖像』)、優しい、落ち着いた気持ちになれたからです。哀愁というのは、裏を返せば人間味があるということでもあります。寂しい、哀しい、それも一つの温かい感情です(拙作『スミレといえどもムシトリスミレ』でも書いたかな、これ)。
画家の気持ちはわからないけれど、彼もそういうことを思っていたんじゃないかな……。
そうして、やっぱり彼ら芸術家というのは、我々を魅了する憧れの的で、決してダメな存在なのではなく、むしろ崇高な、偉大なる人たちなんじゃないかなと……。
はい。
次回もお楽しみに。
そうそう、なろうでの個人企画、
「アートの借景」企画(2017年10月20日〜)もよろしく。
詳しくは私の活動報告欄まで。