桜舞う千鳥ヶ淵Ver.2
結局、卒業するまでこの景色を見ることはできなかった。あれはあたしが入学した時のことだから、もう三年前。だいたいからして忙しすぎるのよね、この時期は。つい先週、板橋たちに“い゛ろい゛ろおぜばになびばじだぁー”って送り出されたばかりだけれど、境内の向こうの見慣れた校舎はなぜだかひどく他人行儀に見えた。
「おまたせ〜」
後からトンってしてくるいつものおっきな手。先輩は私大の芸術学部で、音響の勉強をしてる。“機材はスゴイんだけど、ちょっと物足りないんだよなぁ”が 口癖。学費は相変わらず自分で稼いでる。土日は普通に単発のイベントとかライブの現場に出て働いてるから、あたしとはほとんど休みが合わないのがちょっと不満。っていうか、そんなに稼げるんだったら大学行く意味、無くないですか?
「……いちおう公の劇場に勤めるつもりだから、四大くらいは出とかないとね〜」
ふーん、そんなものかしら。そういうあたしはといえば、実はすでに社会人。照明の道も捨てがたかったけど、葉子さんの一本釣りで、オクタに出入りするようになって、MacBookProを鉛筆代わりに子供向けの図面を描く毎日。朝、教育テレビをつけてくれればあたしの描いたステージ(低予算でできて見栄えがするヤツ)、見られるから。
「フフフ、アタシの英才教育の成果を、これから存分に開花させるのよ!」
ほんとオトコに走ってあたし見捨てたヒトの台詞とは思えないわよね。
「真希ねぇ、こういう子供できても続けられる仕事ってナカナカ無いのよ〜、ちょっとは考えなさい」
確かにおっきいお腹じゃイントレ登れない。フォローだって無理だ。
「まぁ、アタシは登ってるけどね……」
二人目妊娠中な葉子さんは、“こっからじゃ全体が見えないのよね〜”ってイントレ四段よじ登ろうとしては、鳶さんに羽交い締めにされてるらしい。昨日美術制作部の男の子が事務所で噂してた。
あたしたちは相変わらず若葉三丁目のビンテージ2DKに住んでる。先輩はもう真っ赤な顔して下着干さなくなったけど、その分あたしの顔が赤くなるようなことばかりしてくる。
「手、つなごうぜ」
うわー、公衆の面前ですよ……。
あたし的ボーダーラインと、先輩のボーダーラインは今でも違う。たぶん、先輩がオタクっぽく見えてたのだって、半分はあたしのせいなのだ。この間だって一悶着あったし。
「真希……、今度のアレ、ホントに一緒に行かなきゃダメか?」
「だって三十年ぶりですよ! 今度はいつ来るかわからないじゃないですか!」
来月上野でやる“古代エジプト 神秘のミイラ展”。マジもんの神官ミイラが来るってのに……アンタそれでも理系なの?
「いや、今は文系だし……」
まぁ、こういうシチュエーションだし、仕方がないから手をつなぐ。こーいうのってほんと苦手。あたしの顔はみるみるうちに赤くなる。それなのに先輩はさらに無理難題を吹っかけてくる。
「たまには、だっち、って呼んでくんないかな……前みたいに」
名付け親のあたしとしては、すごくすごく申し訳ないのだけれど、先輩、それはちょっとムリ。だって先輩だって、ナカジマ、って呼んでくれないじゃない!
「……もう、ナカジマじゃないだろ」
ほんとこの国の制度って腹立つわよね。あたしのアイデンティティーはどこいくのよ……。
まぁ、千鳥ヶ淵に桜が舞うこんなに優しい日なんだから、目くじら立てたってしょうがない。どうせなら、この風景の一部になってみましょ。ね、せーんぱい!
「……せんぱい、ってのも考えたら結構エグいよな」
久しぶりに真っ赤な顔になる早瀬洋平クン。フフ、これで引き分けよ。
あたしたちの人生はこれからです。




