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放送委員会のススメ  作者: 飯田橋 ネコ
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桜舞う千鳥ヶ淵

 4月4日。飯田橋高校3F体育館では入学式が挙行されていた。都立有数の進学校らしく、式典は粛々と進行してゆく。学校長の挨拶は型通りだったけど、柔らかな物腰の白髪まじりの壮年の、その穏やかな眼差しにはどことなく愛嬌が漂い、ふとした拍子にまろびでてきた眠気を、少しのあいだ隅へと追いやる。“それでは新入生のみなさん、残りの94305631秒を有意義に過ごしてください”だと。


 それにしても、なんて優しい日なんだろう。体育館の上の方の窓を見ると、抜けるような青空を背景に、桜が惜しげも無く舞っている。都心も都心なこの学校で、桜吹雪にお目にかかるとは……。と、隣の席で、そんな光景には目もくれずに妙にうつむき加減な女がなにやらこそこそし始める。手に持った原稿にスマホを挟んでそれで隠してるつもりなんだろうか? 小さな画面の中でCGのモンスターが音も無く右往左往してる……。


「……新入生代表。白山雪子」

ステージの下、右手の方で童顔の教頭が呼名する。……しかし、何も起きない。誰も立ち上がらないのだ。ざわめきが広がり、誰もが辺りを見回し始める。咳払いが一つ。そして再び同じ台詞。ガタッ! 突然パイプ椅子がひっくり返る音が体育館中に響き渡る。さっきのゲーム女がスマホを掴んだままあたふたと立ち上がる。舞い落ちる原稿用紙。


「あ、はい!」


 教諭たちの座る列から、つかつかと歩み寄るジャージ姿(一応式典なのよ! おかしくない?)の先生。体育科、生活指導系、体力バカ。あたしの中で瞬時に分類されたその先生は“新入生代表”の手から、そのもはや没個性的なデバイスをひったくると、二言三言つぶやき、首を傾げてもどっていく。“もうちょっとでランカーだったのに……”などと口ごもりながら、落ちた原稿用紙を拾い集め、壇上へ向う彼女。


 妙な空気が流れる中、演壇に立った彼女は、そのやたらに大きな眼鏡を直しながら、第59回東京都立飯田橋高等学校入学式プログラム4番「新入生総代挨拶」を実行した。実に型通りの挨拶。せっかく手にした原稿を一度も省みること無く、それは終了した。さらに妙な空気。彼女が席に戻る時、さっきの体育科の先生の方が動揺してたくらいだ。なんだかヘンな子だな……ウチの総代。


 式典はその後、滞り無く続いた。来賓挨拶では何か見たことのある人だと思ってた人が挨拶をしてて、文部科学大臣(!)だったり、新入生の呼名でキラキラネームが読めない先生がいたり(そういう時代なんだから、ふりがなくらい振っときなさいよ→先生)はしたけど、まぁ、滞り無く続いた。


「これを持ちまして、入学式を終了いたします。新入生のみなさんは指示に従い、順番に自分の教室へ戻るように。午後一時から新入生オリエンテーションを行います。筆記具を持ち、この体育館へ集合すること。なお、保護者の方はこの場で説明会を……」


 教頭がまとめて、入学式は終了した。列になってぞろぞろと教室に戻る。担任の先生がまだ来ない教室で、知らない者どうしの間に流れる、なんだか異様に緊張した空気の中、同じ中学出身らしいグループだけが話に花を咲かせている。次のオリエンテーションまでは時間があった。眠い上に空腹だ。どうしてくれようこの時間。と、唐突にチャイムが鳴り、しばしの静寂が訪れ、先生が現れる。口ひげが似合うちょっぴりダンディな中年男。


「え〜、ここは1年2組です。間違えている人。いませんね……。え〜、一応出席とります。呼ばれたら起立して“はい”とかなんとか、まぁ返事をしてください」

そこまで云ってから、先生はふと気付いたようにこう付け加える。

「私は数学科の佐野です。残念ながら君たちの担任ではありません。と、いいますか、担任はいません。皆さんはもう高校生なので、自分の面倒は自分で見ること。いいですね。何かわからないことがありましたら、職員室にはいかないように、行っても誰もいません。事務関係のことなら一階の事務局、教科のことはそれぞれの研究室にゆくこと。午後のオリエンテーションで詳しい説明があるので必ず出るように。では、一番、青葉武君……」


 妙に手慣れた感のある説明は、しかし、どうにも無茶苦茶な内容だった。高校って担任の先生いないもんだっけ? まぁなるの初めてだからなんともいえないけどさ……。


 出席をとり終わると佐野は続けた。

「え〜、今から一時までは休憩です。昼食を持参した人はここで食べること。持参していない人。本校は給食はありません。学生食堂はつぶれました。ので、その辺のファーストフードなり定食屋なり好きなところへ行きなさい。一時には体育館に集合すること。いいですね。では」

ますますもって適当な感じ……。クラスの皆もなんだか気の抜けたような感じで所在なげにお弁当を広げたり、教室からふらりと出ていったり。仕方が無いのであたしはこの間のdutchに行くことにした。


 裏門から出て神社を突っ切って、靖国通りを渡る。相変わらず桜が舞っている。一陣の風が吹き抜け、あたしにしては珍しくきちんとまとめてた髪をくしゃくしゃとかき乱す。めんどくさいわねぇと手をやった拍子にふと振り返ると、神社の木立の上、六階建ての校舎のさらに上に銀色のドームが見えた。ドームのスリットが開いていて、ドーム自体もゆっくり回転している。昼間から何をしているのかしら? あれって星を見る為のものだよねぇ。


 dutchは混んでいた。お花見の途中で寄ったらしいおばさま方。文庫を読んでいる若い男の人。テーブルを挟んで笑い合うカップル。あたしはカウンターに腰を掛け、本日のランチセットを頼む。350円とはお買い得。期待はしてなかったけど、やっぱりあのピアノ氏はいない。もしかして卒業しちゃったのかなぁ? 結構大人っぽかったしなぁ……。


 結構ボリュームのあるクラブハウスサンドとコーヒーをおいしく頂き、あたしは店を出る。まだあと30分くらい時間があるので、お濠の方へ歩いてみる。満開の桜の並木の下、穏やかな日ざしが柔らかなタッチで陰影をつける千鳥が淵。そこここに宴が繰り広げられ、濠にはボートも出ている。飯田橋高校の制服のカップルがその中に混じって浮かんでいる。一見普通のカップルに見えたその二人は、何やら濠の水をビニールのバケツで汲み上げ、ビーカーに移し替えている。……何してるんだろ。


 何だか見てはいけないものを見てしまったような気がしたけど、なるべく忘れることにして、もう暫く散策。揚げ物とビールとするめと日本酒の匂い。風が吹くたびに舞い散る桜の花びらと、子供の嬌声。大人たちのばか騒ぎと、寄り添う恋人たちの時間。それら全てが混ざり合って、日本の春を創り上げていた。あたしもいつかこの風景に馴染める日が来るのかしら……。ふと時計を見ると、あらあらもうこんな時間。あたしは人波を逆走しだした。


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