たまには息抜きしたいの、あたしたち
文化祭の翌日。後片付けで授業は休講だ。普通の生徒は休むし、昨日まであんなにフル稼働してた体育館のステージも、今は卓球部に占領されている。文化祭期間中に体育館をとられてたせいか、バレーボール部やバスケットボール部も、なんだかものすごい勢いで練習してる。体育館の高い窓のむこうにはすっきりと晴れ渡った空が見えている。不思議な感じ。昨日までは戦場のような場所だったのに……。
そんな体育館を横目にあたしは教室棟2F北のはずれにある放送室の扉を開ける。もうみんな揃っていて、賑やかに機材のメンテナンスを始めていた。女の子らしい、といえば華やかだけど、やってることがケーブルの導通チェックとかコネクタのねじ増締めとか端子のクリーニングとかではなんだかすご〜く勿体ない気がするぞ……。
「おっはよ〜」
「おはようございま〜す」
「みんな早いねぇ〜」
「わたしは真希が遅いだけだと思う」
「そんなこというのはこの口か〜!!」
ベンコットに無水エタノールを浸している白山の首根っこを抑えつけ、朝のスキンシップをしながらふと気づく。
「あれ?」
「……先輩は昨日で引退、ですよ」
「あ、そうか……」
この部屋にいつも穏やかに流れていた珈琲の香りが今日はない。いつも先輩が淹れていたから。当たり前のように思っていたけど、もう淹れる人、いないんだ。
「珈琲ないんだ……」
「あっ、すいませんっ」
一年生が慌てる。
「あぁ、いいよ、いいよ。そんなことよりさ、レンタル機材の返却なんだけど……」
「あぁ、それならもう終わりましたよ」
と板橋が云う。
「ぇ?」
「会社の都合で、向こうのトランポが回収に来るって夜中に電話あって、学校早目に来て終わらせときました。先輩にLINEしましたけど……?」
「あ゛寝杉で見てなかった、しかも着歴ヤバす……」
加瀬先輩♡ って書いてある着歴が1:25とかいう非常識な時間に3回ってなってるのを見ながら思う。なんだ。加瀬さんに会えるチャンスだったのに。
「何か急ぎの仕事が入っちゃって、機材足んなくなっちゃったらしいのよ」
「ああ、そう……」
「……真希さん、もしかして加瀬さんに会いたかったのですか?」
だーっ、智子! 微妙なことを云うなっ。
「いやぁ、ないない……」
ごまかそうとしたけど、付き合い長い白山には通用しない。
「何その反応?」
「え? 真希先輩ほんとに?」
板橋、ちょっと黙れ。
「ちょっと智子、たいへん! この子、顔赤くなってる!」
「真希さん、意外すぎるんですけど……」
「せんぱーい。かわいい〜」
「こらぁ! 勝手に決めるなぁ!!」
加瀬さん。あたしが一年生の時の三年生で茶髪ピアスのチャラい系。高校卒業と同時に都内の照明会社に入社。いろんなライブやイベントの第一線で働いている。たまに放送室にふらりと現れては、委員の子たちを現場に拉致ってくれたりする。はっきり云ってちょっと迷惑だけど、それはそれ。プロの現場に出ることはいい勉強になるしバイト代も貰える。加瀬さんは、“オレより時給いいんだぜお前ら……”なんて云ってるけど、花の女子高生(……わりに死語よね)こき使ってるんだから当然よね。
「……じゃ、天気もいいしさ、久しぶりにいっちょ走りますか!」
放送委員会は運動部なんかじゃない。でも、その実態は元吹奏楽部の葛西智子嬢に“改革”されたの。
『美しい声の為に……肺活量倍増計画』
放送室の壁に貼り出された一枚の模造紙に書かれたそんなタイトルと緻密で遠大な計画。興味ある人はあとで見といて。ま、それはともかく、あたしたちはケーブルや機材のメンテナンスを切り上げて着替える。窓のカーテンを締めてからふと思う。そういえば女の子だけになっちゃったわね。前はだっちを追い出してから着替えてた。編集の途中だろうが何だろうが追い出してた。今思うとちょっと悪かったかなぁ……。
飯田橋高校は靖国神社の隣にある。少し歩けば武道館があって、足を伸ばせば皇居だ。着替えたあたしたちは神社の大鳥居の脇で念入りに準備体操をする。体育の時間じゃないので、みんな好き勝手な格好をしている。あたしは薄手のシャツにショートパンツ。シャツの背中にはWholeHogのブタさんが羽ばたいている。外人さんのグループがこっちをじろじろ見ている。運動する女の子がそんなに珍しいのか? 鳥居の反対側から男の子たちの集団が走り出すことに気づく。あれはたぶん男子サッカー部。年中ボール蹴りまくっている暴力集団。あたし的にはドッジボールの次に野蛮なスポーツだ。
「じゃ、いきますか」
皇居一周約9.5km。緑が豊かで、眺めがいいけど、意外にアップダウンの多いコースだ。ここのとこ仕事に追われ、校舎中をかけずり回り、ろくに睡眠もとれなかった体が抗議の悲鳴をあげる。昨日は結構たくさん寝られたから平気だと思ってたけど、やっぱきついわ……。
少し苦しいけど、走るのは案外楽しい。白山や智子、一年生たちもちょっと苦しそうだけど楽しそうについてくる。仄暗い多目的ホールとかカーテン閉めきった体育館とか埃っぽい音楽室とかに缶詰になってたあたしたちに、久しぶりに色温度の高い光が降ってくる。やっぱり太陽は素敵な光源だ。タングステンとかハロゲンとか放電管とはモノが違う。
「なんなんだ、あいつら……」
「……思いっ切り抜かれてるんですけど」
「どこの高校かなぁ? なんか足速っ」
「……でも、なんか、レベル高いっすねぇ」
「うん。抜かれても、悔しくない」
「あれっ、あいつうちのクラスの……」
「何? 同じ高校?」
「そう確か、放送委員会の……」
「はぁっ? 放送だとっ??」
サッカー部の諸君をはるか後方へおいてけぼりにし、千鳥ヶ淵から英国大使館前を過ぎると、視界がお堀と青空でいっぱいの下り坂。TokyoFMから国立劇場前を降りて行き、三宅坂から桜田門へとまわりこんでいく。二重橋を過ぎれば右手に東京駅の駅舎がちらりと見える。毎日新聞社前から緩やかな坂を上って、国立公文書館の脇に入り、科学技術館の横を通り抜け、木立の間を走り抜ければ武道館。田安門をくぐれば目の間には靖国神社の大鳥居が聳える。
境内の木陰で暫く息を整える。頭の上でざわめく秋の気配。木の葉を揺らす九月の風が、シャツから汗を掠めとってゆく。
「……さすがに、しんどいわ」
「年には、勝てないわね……」
秋水がリストウォッチを見ながらつぶやく。
「先輩、タイムやっぱり落ちてますね」
「そう……」
そうやって火照った体を木陰でしばらく休ませる。だっちと走ったときはもうちょっとましなタイムだったんだけどなぁ……。いい加減休んだ所にサッカー部がやってくる。ったく運動部なんだからもうちょっと走れってんだ、と思ってると、奴らは二周目に突入する。先頭の男の子が何か騒いでいる、文化部に負けるなんててめえらたるんでるぞ、もう一周だっ! って。これだから体力バカは……。
久しぶりに運動したら、結構くたびれた。靖国通り沿いの喫茶“dutch”に入る。ここはあたしたちのたまり場。学校は定時制があるので18時までしかいられない。だから仕事が終わらないとよくここにお邪魔して続きをやったりしている。お世話になってます、マスター。
「こんちは〜」
「いらっしゃい、珍しいね、昼間に来るなんて」
「ちょっと、ね」
シャツにショートパンツなんてラフな格好のまま入ってきた女子高生の集団に、お店のお客さんたちは目を白黒させている。あら、刺激が強すぎたのかしら? とあたし。いや、ただ汗臭いだけなのだと思う、と白山。マスターが首をかしげる。
「あれ、早瀬君は?」
「あぁ、先輩は昨日で引退したんです」
「ほぉ、そうか。早瀬君も引退か……」
「そうなんですよ。まぁ年貢の納め時ってわけです」
「なんだか寂しくなるねぇ……で、何にしますかな」
とりあえず、アイスコーヒーだのココアだのをお願いする。この店はエクセ○オールとかス○バみたいな複雑な名前のメニューはないのだけれど、普通の何の変哲も無い飲み物が、とってもおいしい。そういえばここで挽いてる豆を放送室で淹れてたのが早瀬先輩で、豆の袋に“dutch”って書いてあったから“だっち”っていう安直なネーミングをしたのがあたしだったりするんだっけ……。
「マスターもお得意先が一つ減っちゃいましたね……」
考えてみたら、昼間のこんな時間に普通に喫茶店にいることがすごくめずらしい気がして、なんだか嬉しくなってしまう。お仕事してないときのあたしたちは普通の女子高生なんだから。で、普通の会話って奴をしてみたりするわけです。
「真希は加瀬さんとは何でも無いの?」
「あるわけないじゃんっ!」
「なんでそんなにムキになるかなぁ?」
「いや……ほら就職の話とかもあるしさ」
「……気が早くないですか? まだ高2ですよ。私たち」
「そういう智子だって、もうとっくに自分で稼いでるじゃん」
「……そんな、私なんかまだまだアマチュアですよ」
智子が吹奏楽部辞めて放送委員会に来たのがちょうど一年前くらい。あたしが夏休みの当番で放送室にいたときが最初だ。同じ学年にすごいサックスのうまい子がいるって話、噂では聞いてたけど、始めて智子を見たときは、まさかこの女の子がそうだとは思わなかった。なんつうか基本的に人生のスタート地点からしてお嬢様な感じで、素敵な旦那さんと結婚して、子供は二人くらいで、きっと可愛らしいおばあちゃんになるんだろうなぁ、なんて勝手なお嬢様人生妄想してたっけ……。それが、いまじゃ立派にCD出して稼いでるんだから、人の第一印象なんてアテにならないものよねぇ。
「白山は……何か考えてるの?」
「わたし? わたしは国立の大学行って、官僚になって、定年まで勤めあげて、死ぬ」
「なんか面白みに欠ける人生設計ね……」
「ナニよ! 宮仕えって、実は一番難しいんだからね!」
「そうかなぁ」
白山雪子は放送委員会のなかでは一番まとも、というよりは普通の女子高生に近い。もっとも、あくまで近いってだけで、その実態知ったら誰でも呆れると思う。だってこの優等生風味なメガネ女、もともとはただの廃人ゲーマーだったんだから。
“高校入ったら、バイトしまくって、課金ゲームでわたしTueeee三昧♡”なんて不埒な人生設計抱えて、奴はこの高校にきたらしい。実は結構な進学校だったりするウチに、なぜだか成績トップ(そういうあたしは4位〜)で入学してきた奴を待ち受けてたものは、思いもよらぬ校則だったんだって。
“第54条 校内へのゲーム機器類の持ち込みを禁ずる”
ウチの代ならみんな知ってる、入学式スマホ(パズ○ラ専用機仕様)没収事件。アレのあと白山は“こんな不当な校則は廃して、普通の学園には当然あるべきゲーム同好会を成立させるのよ!!”、って、まぁそれなりな頭をフル回転させたらしいの。で、“とりあえず、マスコミは押さえとかなきゃね”なんて云いながら放送室の扉を開けたのが運の尽きって流れ。
「でもさ、一年の頃はゲーム同好会とか騒いでたじゃない」
「あ、あれ。あれはもういいの」
事情を知らない一年生たちがきょとんとしているので、心優しいあたしが説明してあげる。
「へぇ、先輩そんな人だったんですか。なんか……」
「なんか、ってナニよっ! もー、いいの、昔のことはっ!」
「でも、白山がゲームやんなくなったのって、今の旦那に会ってからよね」
「へ? 先輩、彼氏いるんですか?」
「だぁーっ、それ云わない云わない!」
「こいつさ、生徒会室の会長とつきあってんの」
「えーっ! そうなんですかっ?」
板橋、お前疎過ぎ。
「……わたしはそうなんじゃないかと思ってました」
「わたしも……」
秋水と小坂がつぶやく。
「だって先輩って、放送室にいないこと多いじゃないですか……」
「委員長の集まりがあるとか云って生徒会室にあがったきり戻ってこなかったり……」
「白山、もしかして隠してるつもりとかだったの?」
うなずく白山を見て、あたしは少し呆れる。
「っていうか、朝同じ電車に乗ってくんのにどうして秘密なわけ?」
あたしは時々見かける。白山と会長氏が同じ電車に乗って飯田橋で降りるのを。
「……だから駅からは別れるの」
「……どして?」
「いや、わたしみたいなのと一緒に登校したら、絵的にまずいでしょ」
「……あんた、まだ自分に自信がないとか云うわけ?」
いやね、あたしが云うのもなんだけど、白山は自分のことまったくわかってないと思う。長年のゲーム人生のせいで極度の近眼からの瓶底眼鏡で美貌が台無しなパターン。この子、素材はいいのに勿体無さ過ぎるのよねいろいろと。
「白山さぁ、いっぺんコンタクトにしてみたら? 人生変わるかもよ」
「……まぁ、これにはいろいろと事情があって、ね」
「ナニよ、もったいぶって……」
それにしても穏やかな昼下がり。喫茶店で女子高生とお茶会だなんて、なんだか危険が危ない感じ。と、カウンターの公衆電話が鳴る。ヤな予感。マスターが電話に出て二言三言話すとこっちを向く。
「白山さん、に電話だよ」
この寂れた喫茶店の電話が鳴るとき、その発信元はおおかた飯田橋高校3F生徒会室——通称“うえ”なのだ。その理由は明快。放送室の内線電話に誰もでない時、奴らは、内線番号表の欄外に書かれたもう一つの電話番号にダイアル(わりに死語よね)するって仕組み。
話を終えた白山はテーブルに戻ると皆に云う。
「演劇部がこの間の都大会で審査員賞とって、特別枠で関東大会に出ることになったんだって。会場は三島の市民文化。来週土曜仕込み、日曜昼本番。とりあえず、照明は中島で。音響はだっち先輩だったけど……どうしようか?」
「そりゃ、だっちにやってもらうしかないでしょ」
あたしは云う。
「いまから引き継ぎなんてできないわよ、来週の話でしょ。」
「じゃ、真希、先輩に連絡とって」
「なんで?」
「なんで、って先輩と一番仲いいの真希じゃん」
「はぁ?」
なんでそうなるかなぁ。