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放送委員会のススメ  作者: 飯田橋 ネコ
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彼方に彷徨う記憶

「これ……なんですか?」


 体育祭が終わって、世間さまが期末テストに向けてのっそりと再スタートを切る、そんな6月第三週。校庭に引き回したXLR3pin50mケーブル×2を雑巾で綺麗にして棚に戻している時、隅っこから妙な形のコネクタがついたパッチケーブルの束を見つけたあたし。

「あぁ、それね110(ひゃくとう)号だよ。へぇー珍しいなぁ……」

だっち先輩が教えてくれる。

「標準に似てるけど、先っぽの形がぜんぜん違うでしょ」

「なんか丸っこくて可愛いですね。でもサビサビ……」

「真鍮だからね〜、でもなんだってこんなとこにあるんだろ、旧校舎ん時のかな?」

「え?きゅうこうしゃ?」

「そう、今から30年くらい前に取り壊しになった前の校舎。ちょうど今の校庭のあたりに建ってたらしいよ」

「随分昔のケーブルなんですねぇ。わ、ここなんかボロボロ、ちょっと焦げてます」

「危ねえなぁ、まぁもう使うこともないから、燃えないゴミに捨てといて」

「分かりました」

そういいながらあたしはそのケーブルの束をゴミ箱に入れる。ふと手を見ると得体のしれない黒い粉がいっぱいついちゃってる。“うげぇええ”と思いながら、バルコニーに出てスロップシンクで洗う。洗いながら思う。そういえばなんでここだけバルコニーがあるのかしら?


 飯田橋高校放送室は教室棟の2Fの北の端にある。渡り廊下を挟んで北側は体育館棟、南側はライトコートになってて、四方を六階建ての校舎に囲まれている。夏のよほど太陽が高い時期でなければ直射日光なんて差し込まない。どの方向を見ても外壁と窓ガラスしかないのに、なぜかこの放送室だけが上の階からちょっと引っ込んでて、バルコニーがついてる。手を洗ったり、歯を磨いたり、食器を洗ったりするのにトイレまで行かなくていいのは便利だけど、ちょっと謎。


「うーん、なんでだろうな」

だっち先輩も知らないみたい。

「今度林田先生に聞いてみるよ」

「え? だれですかその先生?」

「中島知らないの? ここの顧問だよ。数学科の」

この治外法権の固まりみたいな部活にも顧問っているんだ……知らなかった。


 その日、家に帰ってからも手についた汚れはなかなか落ちてくれなかった。洗面所でも、台所でも、お風呂に入ったあとだって何か残ってる。残り湯で洗った洗濯物を部屋干ししながら、“うーん気持ち悪いっ”てつぶやいてみる。誰も返事してくれる人はいない。もう慣れちゃったけど。やっぱりちょっと寂しいな……。





……遠くから響き渡る拡声器で歪んだ声。吹き鳴らされるホイッスル。瓶が割れ燃え上がる炎。放物線を描いて交差する放水。それらがない混ぜになり、夏の耳元の蚊のようにまとわりついて離れない音。ふと頭を巡らせると狭苦しい部屋の向かい側の小汚い机に背を丸めてかじりついていた男たちがうなだれる。

「放送が止まった。搬送波も切れた……」

「安田が落ちるなんて……っ」

「こうなったら取り決め通り、ウチからやりましょう!」

「よし、中執に連絡!  放送の準備だ」

部屋をあたふたと出入りする者、結線を急ぐ者、送信機の出力を上げる者。

「DFされたら……」

「問題ない。皇居の隣だから基点が作りにくい、のだそうだ……、無線研の奴らが云ってた」

「……あんな惰弱な連中の云うことを本当に信じるのか?」

「……仕方ないだろう。他に手は無い」

部屋に入ってくる大柄な男。東京都立飯田橋高等学校中央執行委員会委員長はつぶやく。

「本当に落ちたのか、安田が……」

「はい、五分前に放送途絶しました」

「……えぇい南無三」

明らかに大きさの足りない学習椅子に、背を丸めてすわり、マイクを口元に寄せる委員長。と、廊下から駆け込んでくる伝令。

「屋上監視所より報告! 九段下交差点方面より機動隊進攻中! 中隊規模! 前衛、圧倒されつつあり!」

「来たか……靖国側の哨所を引っ込めろ! 正門側のバリケードで迎撃するぞ!」

「了解っ!」

「……しかし、なぜこの時期(タイミング)に」

「ここが予備の放送拠点と知ってのことか……」

「ちっ、内通かっ!」

「わずかな間だけでもいい! 放送、始めましょう! 委員長!!」

「……よし」

委員長がマイクに向かって喋り出す。背後では刻一刻と絶望的な状況が伝えられる。

「正門バリケード突破されました!」

「裏門からも侵入! 別動隊と思われる!」

「現在正面階段で抵抗中! もってあと五分!」

「屋上にとりつかれた! 監視所の伝令、帰って来ない!」

「中執本部! 制圧された模様!」

「……くっ! これまでか」

「本部が…!」

「……まて。ならばなぜこの部屋に突入して来ない?」

「……奴ら、ここから放送してることを知らないのか?」

「なら、まだやりようはある!」


 放送室の防音扉は重量50kgの鋼鉄製。ベニヤで目張りした二重窓と合わせ、籠城には申し分のない環境だ。四階建ての校舎の掃討をすすめる機動隊員は、校舎北側のこの小さな要塞の存在に未だ気づいていない様子。


「中隊長! 指揮隊より連絡! 放送未ダ継続、速ヤカナ制圧ヲ求ム。以上!」

「……一体どこから放送しているというのだ?」

「ならば校舎の電源を落としましょう!」

「よし、中隊本部付きは至急電気室を捜索! 掃討中の各小隊に連絡! これより校舎の電源を落とす! 留意せよ!」

「了解!」


数刻後、突如部屋中の灯りが落ちる。

「電気室、やられたか!」

「……大丈夫。すぐに自家発に切り替わります」

それまで部屋の隅に座って沈黙を保っていた女学生が口を開く。暗闇の中、声が続く。

「でも、復帰するのはこの部屋と非常灯だけ。先輩がたは今のうちに退去して下さい」

「しかし……」

女学生の云ったとおり、遠くに轟然たるディーゼルの運転音が響き、足元に細かい振動が伝わってくる。関東大震災を機に建設された本校舎の、その規格外の設備の一つが目を覚ましたのだ。非常灯がつき放送室の中にぼんやりとした色調が満ちる。

「私のことでしたらおかまいなく。仕事ですから」

沈黙する一同をよそに、部屋の隅でくるりくるりと回っていたSONY TC-200(蓄電池駆動中)を止め、女生徒はごそごそと何かを始める。

「さきほどの演説、録音しておきました。エンドレスで流れるようにしておきます。自家発の重油は6時間程度でなくなりますから、長くてもそれまでですけれど、よろしいですか?」

もはやうなずくしかない男子達。

「それと、放送部部長として一言云わせて頂きますけれど……」

上林節子は大きく息を吸い込み、続ける。

「先輩たち明日っからどうする気ですか! こんなに逮捕者まで出して! 運動もいいですけど、普通の高校生活送りたい人だっているんです! 正直迷惑なんです! 今度から他所でやってもらえます!? それから、踏み込まれた場合のこの部屋の修理費、来年度の予算で頂きますから、ちゃんと会計委員会に話し通しておいてくださいよっ!!」

そう言い放つと上林は放送卓につき、手慣れた様子でスイッチを押し、音量ダイアルをぐいっと回す。


「19時30分になりました。下校の時刻です。校舎内に残っている学生ならびに機動隊員のみなさまはすみやかに下校してください。っていうかいい加減にしなさいよね、あんたたち!! ……これで本日の業務を終了致します。こちらは飯田橋高校放送部。I.B.C.」


 呆気にとられる一同。校内で争っていた機動隊員と学生も、天井のスピーカーにいきなり叱られてしばし動きを止める。上林に引っ立てられるように放送室を後にする中執の男子達。“おつかれさまでしたぁ〜”と笑顔を振りまきながら階段を歩いて行く美しい女学生に、誰一人声をかける者はいなかった。


 1969年1月19日17時46分、東大安田講堂制圧に際し、時計台放送がその“中止”宣言を行った後、3時間半にわたり地下放送が継続していた事案について、公式に記録した文書は残されていない。しかしながら、警視庁第四機動隊第三中隊の当時の活動記録、その飯田橋高校制圧の欄に関連すると思われる記述が残されている。


   負傷者3名(放送施設制圧時のラペリング降下失敗によるもの)






 あぁあああ、なんかすっごい変な夢見た。朝、目が覚めていきなりそう思った。しかも夢の内容を1mmも覚えていない。何か損した気分。とりあえず洗面所で顔を洗おうとすると、手がきれいになってる。あぁ、よかった〜、でも一体なんだったんだろ……。


 昼休み。いつものように放送室に行くと、だっち先輩が珈琲を淹れてる。

「おはようございます」

「おはよう。あぁ中島、バルコニーの件わかったよ」

「へ?」

「……バルコニーだよ。なんでこの部屋にだけあるかって気にしてたじゃないか」

呆れ顔で先輩が続ける。

「学生運動の時代にさ、機動隊員が窓蹴破れなくて困ったんだって。だから校舎建て替えるときにここだけバルコニー作ったらしいって、先生云ってた」

「……学生運動ってなんですか?」

「さぁ、よくは知らないけど、昔はいろいろあったみたいだよ。火炎瓶投げたり、棒振り回したりとか……」

「へぇ〜、なんか物騒ですね」


 とりあえずあたしは背伸びする。ちょっとすっきりしたかな。さ、今日もがんばろー!

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