体育祭
6:30。
などという非常識な時間に登校する体育祭当日。委員総出――といっても加瀬先輩いないから四人だけどね――で、式実(式典実行委員会とかいう巨大利権組織の略)の先輩たちが立てた運営テントの中に機材を設営する。CDとかMDとかって便利な機械は砂埃がひどいから使えないんだ、って早瀬先輩は云う。何代か前の時代にエラい目にあったらしい。頼みのMacBookProさんがいまだに入院中なので、オープンリールを一生懸命担いで(まぁ担ぐのは早瀬先輩だけど……)きて、相変わらずの長机積載。音響卓とB帯のワイヤレス受信機と神崎先輩のアナウンス用マイク&カフボックス、それからBGMとBackUp用のiPodなんかを並べてひたすら結線。機材の重さでちょっと机の天板歪んでるけど気にしない気にしない。校舎外壁の外端盤から電源と回線を引き込み、ケーブルの上にイエロージャケットをのせて仕込み完了。電源投入!
7:45。回線チェック。
神崎先輩が放送室に戻って、外端盤から放送卓に割り込みパッチかけて、“外部入力1”って書いてあるフェーダー上げると、校庭のフェンスの柱に設置された年代物のスピーカーからスッカスカな音が出る。早瀬先輩が“気は心……”って云いながら、テントの脇にBOSE AWCS-Ⅱとかいう土管的アイテムを転がしてる。見た目はちっとアレだけど、結構使えるんだよとのこと。どう見てもマリオとか首相とかしか出てこなそう……。しかも私物らしい。先輩ってやっぱりおかしい。
8:00。音出し開始。
早瀬先輩がワンツーワンツー(いつも思うんだけどこれって何の意味があるの?)云ってる間に、あたしはワイヤレスマイク持って校庭中を歩き回らせられる。神崎先輩が受信機のとこで“受信状態の確認”とかいうのをしてる。
8:20。いろいろ終わって皆で段取り確認。
式実からシーバーで進行連絡が来るから、それを聞きながらアナウンスCueを出したり、変更点をアナウンス原稿に反映させるのが白山。競技の合間のBGMと競技中のBackUpのiPod操作があたし。アナウンスはもちろん神崎先輩。で、それ以外の全部がだっち先輩。
そうそう“早瀬”と“加瀬”って名前似てて、神崎先輩が“加瀬せんぱいっ!!”って怒鳴ると早瀬先輩までビクってするし、なんかオタクっぽくてどことなく自信なさげな先輩に“はやせ”なんてイケメン臭漂う名前は似合わないから、ひらがな上等!って感じであたしが名付けてあげた。本人まんざらでもない感じで“だっち、だっち……うふふ”って小声で反芻してたからもう採用でしょ。
8:30。校庭に人が溢れかえり始める。
ほんとにウチの学校の校庭は狭い。校舎側は運営と来賓と保護者の席。靖国側はレッド団、向こう正面にはブラック団、飯田橋側にはネイビーパープル団(なんて読みにくい名前つけんのよっ! by神崎)が陣取る。各団の後ろには巨大なゆるキャラさんたちがゆらゆらうごめき、手作りの応援旗がはためく。
急に背後からカメラ担いだ人達が声をかけてくる。“ラインくださーい”ってなんのことだろう?“報道分配、そっちのマルチです〜、1k送っときますから〜”ってだっち先輩が答えてる。地元のケーブルテレビが取材で入るらしい。
「って、そういうこと早く云いなさいよ! こんな適当なメイクじゃまずいじゃない!!」
神崎先輩が不条理なキレっぷり。映るわけでもなかろうに。
9:00。競技開始。
“これより第59回飯田橋高校体育祭を開催致します……。”
相変わらずの美声が校庭に広がる。
“あ、呼び出しのお姉さんだ”
“え、ちょっ! ヤバくない?”
“……ぐうかわなんスけど。”
“ありだな……”
一年男子がざわざわしてる。
“誰か行けよ女クラ! 行って玉砕してこいって!”
“あんな廊下で着替える集団、近づいただけで憤死余裕っしょ……”
“地雷原に咲く一輪の花、か……”
事情に通じた上級生が諦めにも似た感懐を述べている。
いずれも死ねばいいのに。でもちょっと鼻が高くなる。だってあたしたちの委員長だもん。
9:45。最初の負傷者。
男子巨大棒倒しで相手陣地に特攻かけたブラック団遊撃2年5組近藤和也が、勢い余って棒に激突して腕骨折。響き渡る“メディーック!!”の声。すかさず駆けつける衛生委員会の突撃医療班生徒。なぜ押し倒す、なぜ脱がす、なぜAEDチャージ?? “ちょっ、おま(泣)”という文字通り筆舌に尽くしがたい表情を浮かべながら、校舎裏門待機中の東京消防庁麹町救急麹町2(TRH221S型 通称ハイメディック)へ収容される近藤和也(16)。そのまま搬送かと思いきや、隊員ら余裕の表情。奴らまだ積む気だ……。
10:07。女子騎馬大戦で二人目の負傷者。
ネイビーパープル団3年3組吉田菜穂子。騎馬が出陣前に折からの南風(風力2)に煽られて崩壊。右足首捻挫の重傷。再び駆けつける突撃医療班……の左斜め後方から砂埃を巻き上げ、ネイビーパープル団首魁イッキトーセン号(成分:女子柔道部員×4)が襲いかかる。効果十分。和也、もう寂しくないからね……。
10:25。レッド団チアリーディング。
体操部所属2年4組皆藤加代子により、4段タワーからの後方伸身宙返り1回ひねりという偉業が達成される。が、折からの南風(風力5)の影響で、タワー構成部品の布地外装に変形が生じるという実にけしからぬ事案が発生し、公式記録にも記憶にも残らぬ幻の業となる。
11:03。ブラック団応援団長3年6組如月淳平の掛け声(推定110ホン)に始まる勇壮なる大演舞。
全て生音で進行中のため、放送委員つかの間の休憩タイム。あぁああ髪の毛ぼさぼさだわぁ〜。耳も発掘できるレベルで砂溜まってるし……。
11:40。レッド団ダンスパフォーマンス。
神崎先輩が“それでは、レッド団の……”ってアナウンスして、だっち先輩がPLAY押して、maxellの6mmが回り出すと、EX○LEの数年前のナンバーが流れだす。一糸乱れぬ200余人のダンスパフォーマンス、の先頭に立つのは紛うことなき……かっ、加瀬先輩!! なにやってんですかっ!?
「先輩、あれで歌って踊れる系だからね〜」
と解説するだっち先輩。
「まぁ、いいんじゃない、他に取り柄ないし」
と上から目線の下級生神崎先輩。
“かっせせんぱーい!”
“としゆき〜!!こっち向いて〜!!”
いわゆる黄色い声援が飛び始める。ますます不機嫌オーラを振り撒きはじめる神崎先輩。
「しばらく放送室来ないと思ったら、こういうことだったの……まったく」
♪……カケーラヲ〜、で決めポーズ。全員びしっとフリーズ、からの、Nessun dorma! え? なんで?? 思わずだっち先輩を見る。何事も無かったようにフェーダーをクロスさせて、なんだか違う音色に変化させていく指先。集団から解き放たれた加瀬先輩がソロで踊り出す。さっきまでのドヤ顔は消え、マジな表情に汗が滲む。バレエダンサー? とも違う動き。素人でも強引に納得させるそのしなやかな手足の軌跡。静まり返る観客。この出来事を表現するにはあたしの語彙と人生はあまりに足りない。ブラスとコンバスとティンパニの轟音が土管的なやつから溢れ出る。
「……やっぱ、プッチーニは天才だよなぁ」
つぶやくだっち先輩。
終曲。一つ二つと集まりて万雷の拍手となる。でも加瀬先輩はそんな観客の様子を眺めるわけでもなく、ただ一人の女生徒を見つめている。つかの間交錯する二人の視線。
“えっ? 先輩……なによ?”
ちいさくしわぶく彼女の、その頬にほのかに朱が差す。
職業意識が、この形容しがたい刹那に終止符を打つ。一息吐き、手元に目をやり、原稿をめくり、カフを上げる。原稿に赤が入っているので、迷わず、読み上げる。
「これでレッド団のダンスパフォーマンスを終わります。……なお、このステージをあなたに捧げます。2年3組かんざ、き、……ってこれなによ!! 誰! こんな赤いれたの!!!!」
校庭中に響き渡る神崎先輩の狼狽。口角を上げて退場してゆく加瀬先輩。無表情にBGMを流すだっち先輩。あたふたと続きの原稿をまとめ直す白山。神崎先輩がクシャクシャに握りつぶした原稿には、いったいどんなコトバが描かれていたのだろう。そんな感じの11:52。