名人芸、先輩たちの
神崎先輩に連れられて都営新宿線本八幡方面行きに乗る。九段下駅から二駅乗れば小川町。そこからちょっと歩けば秋葉原だ。先輩たちからもらった買い物リストにはカナレのL-4E6S(黒)30mとかノイトリックのXLR3pinコネクタ♂&♀(黒色)それぞれ5個とか熱収縮チューブ(黒)3mとか丸茂のミニC♂3個とか裸圧着端子3.5-5 100個入りとか書いてあって、まったくもって意味不明。
アニメだかなんだかの気色の悪い看板や貼り紙に若干怯えつつ、ハングルや広東語が氾濫するカオスな通りを、やたらとスカート丈短いメイド服着てチラシ配るお姉さま方を横目に見つつ、先輩の後について歩くていくと、線路の下のやたらに天井低い狭っ苦しいエリアに辿り着く。先輩は顔なじみらしい店員のおばちゃんやおじちゃんに“あ〜嬢ちゃん、また来たの?”なんて云われながら買い物してく。
このコネクタはあの辺り、あのケーブルはあの辺りって、近所のスーパーの売場の配置みたいに教えてくれる先輩。ここで買えば、黙ってても高校名の入った領収書くれるし、amazonさんのお急ぎ便よりよっぽど早いし、お値段も成田価格とほぼ同じなのよって云われたけど、何のことやらさっぱりだわ。
そういえばさっきから狭い道を歩いていると人混みがささっと分かれて下さるような気がする。あたりを行き交う人々はなぜか絶対に目線を合わそうとしないし。あたしたちなんだかとっても場違いな感じがしてならないんですけど、どうなんですか? 先輩。
「あぁ、それね。わたしも最初は気になったけど慣れちゃえばどうってことないわよ。たぶんね、制服きた三次元の女子の目をまともに見れない人達なんだと思うの……そんなことより次からはあなたたちで買い物するんだから、よろしくね」
あぁ、やっぱり……。
九段下まで帰ってくると、先輩“ちょっと寄り道”って云いながらdutchに入ってく。カウンターでおじさんに“早瀬のいつものお願いします”って云うと、その場で豆を挽いてくれて渡してくれる。とってもいい香りのほんのりあたたかいかたまりがかわいい豆袋に入って手の中に収まる。お会計をして店を出る。
「このお店の珈琲おいしいですよね」
「中島さんここ来たことあるんだぁ。そうね、確かにおいしい。でもね早瀬が淹れるともっとすごいのよ」
「へぇ、早瀬先輩がぁ……」
「あいつの取り柄はそこだけだからね」
それはいくらなんでも言い過ぎな気がします……。
靖国通りをわたって裏門から放送室へと戻る。
「おかえり〜おみやげは〜?」
などとのたまう加瀬先輩を無視して神崎先輩は買ってきたものを広げる。事情を知らない人がみたら爆弾でも作りそうな品々の横に、dutchの豆袋がちょこんと並ぶ。
「あ、豆ありがとう。ちょうど切らしてたトコなんだ」
「じゃ、お茶にしましょ。早瀬くんお願いね」
「はいはい、委員長さま……」
早瀬先輩が“熟練の技”(神崎先輩談)で珈琲を淹れてくれる。棚からマグカップを出しながら加瀬先輩が“Give me coffee……”とかつぶやいて“いつの時代ですかっ!”って神崎先輩につっこまれている。白山さんとあたしもマグカップを貸してもらって早瀬先輩に“くださいな”する。だばだばと注がれる焦げ茶色の幸せ。放送室中に広がるいい香り。あぁ、この香りだったのね。一口飲んでみてびっくり。お店のと全然違う。
「うーん、やっぱり名人芸ね。早瀬」
「早瀬よぉ、いっそのこと俺んちで毎朝これ淹れてくれねえかな」
早稲田に下宿住まいの加瀬先輩が、BL的な台詞で早瀬先輩の肩に腕をまわす。
「それって住み込みってことですよね……丁重にお断りします」
「そんなぁ、つれないこと云うなよ」
「だいたい先輩ん家、なんか女のヒト住んでるじゃないですか」
がたっ! 神崎先輩が突然立ち上がる。こころなしか表情が険しい。
「早瀬くーん、詳しく聞かせて頂けるかしら……」
「あ、早瀬、てめえ!」
「……この前先輩に電話したら何か若い女のヒトが出ましたよ。“飲み過ぎて寝ちゃってるよ〜”って教えてくれました。あの声色は二十代前半鹿児島産まれ大阪育ち、教育レベルは比較的高めで……」
一同固まる。早瀬先輩どこの日本音響研究所ですか?
「あぁあ、そりゃ姉ちゃんだよ……」
「……加瀬先輩って一人っ子じゃなかったでしたっけ?」
この間“オレは一人っ子な上に一人暮らしだから超絶ワガママだぜ”って自慢(なんの自慢なんだか……)してたのを覚えてた白山さんがつぶやくと、一同ふたたび沈黙。
「あ!! 下校の時間だ!! 神崎! 放送入れろよ!!! じゃぁなおつかれ!!!!」
加瀬先輩が部品持って逃げた。諦めの境地に達したらしき神埼先輩が一応の溜息を一つつき、放送卓について下校放送を入れる。いつもの素敵な美声が校舎中に流れていく。うん、これもまた名人芸だわ。
「……これで本日の業務を終了いたします。I.B.C.」
カフを下げて、放送先選択スイッチをパチパチと切る先輩の後ろで、放送室の扉が開く。入ってきた英語科の先生にデッキの操作方法とかメーターの見方を教える早瀬先輩。先生の後から入ってきたシャリク先生があたしを見つけて“Hi Maki.”などと手を振りながら、珈琲の香りに気がついた様子。早瀬先輩が手早く2つのマグに珈琲を注いで渡す。“Oh nice coffee. おいしいデス。”とお褒めの言葉を頂戴する。
神埼先輩と白山さんはバルコニーに出て狭いスロップシンクで器用にサーバーやらマグカップやらを洗ってる。“録音終わったらここのブレーカー落としといてくださいね。鍵は数学科にお願いします”などと早瀬先輩が説明している。編集道具とか予算の書類とかいろいろ片付けて(日々是整理整頓!! by委員長)荷物をまとめて放送室を出る。
階段を降りながら、定時制の生徒たちとすれ違う。日本人に中国や韓国の人、東南アジアの国々の人々が、スーツや作業服で登校してくる。あたしたちと大して変わらない年の人達が、昼間仕事をしてから登校してくるのだ。なんとなく背筋が伸びてしまう。世の中にはいろんな人達がいるものだ。
……そういえば部品持って逃げた加瀬先輩はどこ行ったんですか? 神崎先輩がつぶやく。
「たぶん今日も体放で残業よ……先輩は」
「え、体育館放送室で、ですか……でももう定時の時間ですよ?」
「そう、だから鍵とカーテン閉めて守衛さんに見つからないように残業なの」
なんというブラック企業……。