祭りのあと
登場人物
中島 真希 主人公 一人称は“あたし”
早瀬 洋平 キモヲタ あだ名は“だっち”
神崎 美鈴 委員長 一人称は“わたし”
加瀬 俊之 3年生 一人称は“俺”、あるいは“オレ”
白山 雪子 次の委員長 一人称はやっぱり“わたし”
葛西 智子 中途採用 一人称は“私”
葉子 さん 裏切り者 一人称は“アタシ”
他多数でおおくりします。
“ぱちんっ”
沸き上がる歓声、の後ろで、とりあえず手を合わせる。ちょっと疲れているけどとにかく手を合わせる。そう、ちょっと疲れているので無表情にぱちんと……。そして思いっ切り伸びをする。と、手元のシーバーのBusyランプが光る。
「智子さんとれます〜?」
“はーい”
「常設残しでアンプ落として〜、ファンタムは……今落ちた〜」
“了解でーす”
だっちが隣で卓いじりながらぶつくさ云ってるのが聞こえてくる。
“はやく帰れよな〜、バラシが残ってんだからさぁ〜”などとあたしは愚痴る。とにかく客がはけるまではバラシはできない。一応のルール。だっちは横でいつもの客出し音楽をかける。先輩の趣味はよくわかんないけど、この曲は好きだ。Dee-Liteとか云ってたけど、よくは知らない。
笑ったり泣いたり、とにかく大騒ぎしながら、ゆっくりと体育館の出口に吸い込まれてゆく人並み。見慣れた制服のなかに混じる幾人かの学ラン。ん? 後夜祭は他校生つれてきちゃいけなかったんぢゃなかったけか? それはともかくその中の一人にふと目が合ったような気がした。なんだってこっちなんか見てるんだろう? と、ほどなく体育館から客がハケる。
「完パケでーす」
そしてあとはおきまりのドタバタが始まる。
「楽器はやく片付けて!」
「このシールド誰の?」
「んだよ! 俺のACアダプタどこだよっ!」
「台車通りま〜す」
「そこケーブル通ってるからダメ!」
「だーっ、スタンド倒れるっ!」
「そんなのあとでいいからっ!」
「やべっ、ピックなくした……」
「俺のACアダプタ……」
東京都立飯田橋高等学校の第60回文化祭。そのラストを飾るイベント、後夜祭は終了した。しかし、それは一般生徒にとっての話。飯田橋高校放送委員会――Iidabashi Broadcasting Committie――I.B.C.の面々にとって、その事実はまだまだ始まったばかりのバラシ――撤収作業――と、明日からも続く様々なお仕事――学校行事とかイベントとか――によって、軽く流されていた。
体育館の床に敷かれたパンチカーペットの撤収が続く中、その後方、演劇部謹製の平台で一段高くかさ上げされた6×6尺の空間。そこに置かれた華奢な長机の上に積まれた年季の入った音響卓。CDデッキ、MDデッキ、カセットデッキに型落ちのMacBookPro。それらを繋ぎあわせる見るからに複雑そうな大量のケーブル。
その脇には調光卓が液晶ディスプレイや電源ユニットを従え、二人の委員を取り囲んでいる。舞台上の混乱をよそに、一見冷静に動いているように見えるその人影。しかしここではここの戦いが始まっていた。彼らの手先は素早く動き、卓の周辺を凄まじい勢いで片付けてゆき、時折舞台へ指示を送ることを忘れない。
「バンドの子たちがはけたらステージの機材、上手に寄せといて〜」
「借りた機材は一旦倉庫にまわして員数と動作のチェック!」
「常設機材を台車に乗っけてステージ前まで持ってきといて〜」
「来週全校集会だから、フロントの色抜くとき当たりよろしく〜」
「スモークマシンの空焚き終わったら、守衛さんに煙探復帰してもらって」
もし、委員たちが羽織る漆黒のスタッフジャンパーの下にネクタイやらチェックのスカートやらが見えなければ。もし、飛び交う会話の間に“全校集会”だの“せんぱい”だのが混じらなければ。もし、ここが飯田橋高校3F体育館でなければ。だれも彼らを高校生とは思わないだろう。
「だっちせんぱ〜い。そっちは人足りてますか?」
「卓まわりは大丈夫〜、バトンおりたら照明のバラシと復帰〜! 手あいたヤツいたら、多目とプール回ってくれる〜?」
「もうそっちはバレてまーす!」
「え?」
「もう、多目的ホールとプールの方は片付いてまーす!」
だっちと顔を見合わせる。汗まみれのあたしは、うざったい前髪をかきあげ、にっと笑い、云う。
「どぉよ?」
「……やるじゃーん」
と云いながら、目線を外すだっち。ホント、目を見て話せないのよね、このヒト。
あたしはもう少しばかり褒めて頂きたくて執拗に笑いかけてみるけど、とりあえず無視されてる。と、体育館の入り口に生徒会のヤツが姿を現す。
「すいませ〜ん。放送の人います〜?」
「なんですか〜?」
「体育科から下校の放送入れろって……」
思わず二人揃って叫んでしまう。
「知るか〜!!」
数刻後。飯田橋高校2F放送室。
「みんなおつかれ〜。明日は……8:30集合ですっ。え〜、レンタルした機材の返却と放送室の復帰をやります。ついでだからケーブル全部引っこ抜いてメンテします。ま、明日ぐらいは呼び出しとか編集なんかもないだろうから、大丈夫でしょ。じゃ、そういうことでっ……と。いいんちょ」
「みなさんお疲れ様でした。前から云ってきましたが、今月から委員会の活動の中心は一年生のみんなに移っていきます。いろいろ大変だろうけど頑張って。じゃ、最後にだっち先輩」
「……えっ?」
「え、って。先輩は今日で引退なんでしょ。挨拶とかないの?」
「あ、あぁ。え〜今日で引退です。明日から来ません。じゃ」
現場の時以外のだっちは……はっきりいって冴えない。というか、まったくもって見た目通りのオタク青年だ。視界が広いのがスキとかいって眼鏡デカイし、髪の毛は伸び放題だし、ヒゲも適当、顔色もだいたい土気色だ。“電波浴びてくる”とかいってよく秋葉原行くし、ヘッドホンつけて小躍りしながら編集してる。そんな姿を見ていると、現場で仕事をしてる時のあのだっちはいったい何なのだろうとよく思う。まるで別人のように冷静にそして飄々と仕事をこなす。そして、そんなだっちが、明日から来なくなる。それは、なんだかとっても信じられないことだった。
「とかいって、また来るんでしょ」
「……いや、来ない」
“じゃ、おつかれさまでした〜っ”あたしが締めて、九月一番の行事が幕を閉じる。壁に貼りだされたスケジュール表を眺めれば、そこには校内中のイベントがそれこそ分刻みで書き込まれている。体育館、多目的ホール、音楽室、校庭、屋内プールに数多くの一般教室。演劇や演奏、ダンスやパフォーマンス、運動部の親善試合に水泳部恒例のシンクロショーなどなど……。そうしたイベントには、かならず放送委員の影があった。
生徒会のように目立つわけでもなく、部活のように目指す目標があるわけでもない。校内に流れる呼び出しのアナウンスの他に、委員と一般生徒の間に接点は……あまり、ない。しかし、一般生徒は知らない。知ろうともしない。委員がいなければ、彼らの楽しい学園生活はたちどころに滞るということを。
あたしは放送委員会のそんなとこが好きだった。一生懸命青春してる人たちを、斜め下あたりから支えている感覚。どんなに頑張ってもあんまり目立たないし、認めても頂けない。それどころか、当たり前くらいに思われてるような気もするし、特別感謝もされない。でも、そんなことを気にするほど暇じゃない。だって、あたしたちがやらなきゃだれがやるの?
マイクに向かって喋れば声が出る。ステージに上がれば照明が点く。しかし、それがどうしてできるのか、彼らは知らない、知ろうともしない。そう、彼らではない“誰か”がいるからだ。制服の上に黒いスタッフジャンパーを着たうつむき加減な人が来て、なんだかよくわからないことをしてくれると、「マイク」で喋れて「ピンスポ」があたる。
曲を編集したい。デモテープ作りたい。ライブやりたい。クラブみたくしたい……。
入学式や卒業式などの式典に始まり、新入生歓迎ステージに生徒総会、吹奏楽部や弦楽部の演奏会、演劇部の公演、軽音楽部のライブ、その他の雑多な学校行事。行事のあいまの機材メンテナンス。そして、毎年二回やってくる殺人的お祭り騒ぎ、体育祭に文化祭。
しかし、飯田橋高校は、それだけでは終わらない。彼らの青春は学校の外へはみ出し、小さな芝居小屋からライブハウス、クラブにイベントスペースまで、その活動のフィールドを広げていた。そしてそんなとき、何かをしようとするとき、その影には委員がいた。訳知り顔で暗躍し、光と音でなんだかすごい空間を創り、何事も無かったように消える委員たち。ただ、委員があまりに裏方に徹しているので、気づかれないだけなのだ。……ことによると委員たちも気づいていないのかも知れない。
放送室のシステム電源を落として鍵をかける。もう21時を過ぎて他の生徒は誰もいない。非常口誘導灯にぼんやりと照らされた段ボールやベニヤの山々。文化祭の名残が散乱する暗くなった廊下に響きわたる七人分の足音。今、放送委員は七人で頑張ってる。あたし照明の中島真希。委員長でアナウンスチーフの白山雪子。アナウンス兼音響の葛西智子。音響のだっち先輩。そして一年生の後輩、板橋京子、秋水圭子、小坂倫。あたしはひそかにこの七人は最強だと思ってる。
「じゃ、おつかれ〜」
いつものようにだっちは裏門の方へ消える。うちの高校は自転車通学禁止なんだけど、そこの先に自転車を停めているらしい。何がそうさせるのかは知らないし知る気もないけど、練馬から自転車で通ってるんだって。最初に聞いたときはびっくりしたけど、片道15kmを45分フラットで来るんだとか。“電車より速いよ……”って云ってたっけ。そして、そのときあたしは、明日もこのやたらに背の高い髪の毛ぼうぼうのメガネ君に会う確信があった。そう、そのときまでは。