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 少女は、困った顔をして立ち止まった。

 道行く先に、人相の悪い男達が立っている。ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて、狭い路地を塞ぐように。これでは通ることができない。元来た道を戻ろうと振り返ると、後ろにも別の男達がいる。

 少女はゆっくりと周囲を見回した。行政区域であるこの辺りには、住宅の類は建てられていない。左右の壁には窓一つなく、前後共に大柄な体格の男達に塞がれているので、大通りからも彼女の姿は見えないはずだ。

「あのう……?」

 可愛らしく小首を傾げて、少女は尋ねた。

「そこを通して頂けませんか?」

「丘の上の屋敷の娘だな」

 リーダー格の男が確認するように言う。

「その鞄を渡してもらおうか」

「はぁ……」

 場違いにのんびりとした口調で、少女は答えた。

「あの、これは私の大切なものですので……他の方にお譲りするのは、ちょっと……」

「まぁまぁ、そう言うなよ……おとなしく渡しゃあ、いいんだからよっ!」

「あっ……」

 男がいきなり鞄をつかみ、少女の手から乱暴に引ったくる。男はその場で中身を確認し、目を丸くして叫んだ。

「何だ、これは!?」

 何事かと駆け寄った他の男達が、同じように目を丸くする。そこには二枚一組の小さな色硝子がズラリと並んでいた。ワインレッド、プリズムパープル、スカイブルー、ダークグレーなどなど……丸形やら菱形やら、果ては逆三角形やら、色も形も様々なサングラスの数々が、所狭しと敷き詰められている。

「それは私のコレクションなんです」

 少女の声には、少し自慢げな響きがあった。

「右上から、二十年前のスタンダードモデル、次に五年前のデザイナーズブランドのもので……」

「ふざけんじゃねぇ!」

 男は鞄を地面に叩きつけた。反動で蓋が閉まり、少女の足元まで転がってくる。クルクルと回転している鞄を片足で踏みつけ、男は少女の顔にナイフを突きつけた。

「金はどこだ!」

「はぁ、それでしたら、帰りにソフトクリームを食べようかと……」

 男の剣幕に目をぱちくりさせ、少女が素直に財布を取り出す。またもひったくるように財布をつかみ取り、逆さにして振る男の目の前を、数枚の銅貨が通り過ぎた。チャリチャリーン……と安っぽい音が響く中、男の身体が小刻みに震え始める。

「こっ、こンのガキ……えぇい、くそっ! こうなったらこいつを誘拐して……!」

「人質にして、身代金をガッポリ頂いて……ついでにイタズラでも?」

「あ、それもいいな……って誰だテメェ!?」

 いつの間にか少女の前に現れた気の強そうな女に、男達は慌てて身構えた。

「どっから出て来やがった!?」

「どっから……ってねぇ、アンタたち鞄の中身を確認するときに集まったまんまでしょうが。そんな状況じゃ、どっからだって出てこられるわよ……それにしても、よくあるタイプの話によくいるタイプの連中ね。よく失敗するタイプの組み合わせだわ」

 バサッと後髪を掻き上げ、その女性……ローザは、ニッ、と不敵な笑みを浮かべた。

「このアマァ!」

「遅いっ!」

 つかみかかろうとする男達の目の前で、ローザの手に銀色の銃が出現する。まるで、最初からそこにあったかのように。一瞬怯んだ男達の腕や脚に次々と弾丸を撃ち込み、

「これもよくあるセリフ……死にたくないならとっとと失せな!」

 ローザは銃口を男達の顔の高さに向けた。

「ひっ……うわぁあぁぁぁっ!」

 撃たれた腕を押さえて、あるいは脚を引きずりながら、男達が我先にと逃げていく。やがて彼等の後ろ姿が見えなくなると、ローザはおもむろに銃口を自分のこめかみに押し当て、

「……バァ〜〜〜カ」

 引き金を引いた。

 その瞬間、露地裏に響いたのは、カチン……という撃鉄の降りる音だった。

 弾切れ、である。


「あの、ありがとうございます」

 声をかけられ、ローザは振り返った。拾った鞄を手に持って、少女が立っている。どうやら怪我はなさそうだ。

「お強いんですね……いつも襟首に銃を?」

「え? ……ああ、まぁいつもってワケじゃないけどね」

 ローザは少し驚いた。あの瞬間、髪を掻き上げる動作に見せかけて襟首から取り出した銃は、長い銀髪がカモフラージュになってほとんど見えなかったはずだ。いくら背中を見せていたとはいえ、得意の早抜きがたった一目で見抜かれるなんて。しかも現実の銃撃を目の前にして、少しも動じた様子がない。

 ぼんやりしてるように見えるけど、この子、只者じゃないわね。ローザは思ったが、口には出さなかった。

「とりあえず、話は後よ。まずはここを出ましょ」


「そうですか、探偵さんなんですか……」

 広げた日傘を脇に抱え、鞄の中のサングラスを一つ一つ点検しながら、少女は器用にソフトクリームに口をつけた。

「とは言っても、まだ何の事件も解決してないんだけどね……って言うか、まだ開業もしてないか」

「この街で商売を始めるのは難しいですからね。さっきのソフトクリーム屋さんも、出店場所が特定できない移動屋台ということで随分苦労なされたそうですから」

「へぇ、そうなの?」

「はい、以前お聞きしたことがあるんです。最初の手続きから許可が下りるまで、合計一年以上もかかったって仰ってました」

「げっ、一年……そりゃキツイわ……」

 ローザはソフトクリームのコーンを口の中に押し込んだ。

 二人は公園前通りのベンチに並んで腰かけてソフトクリームを食べていた。勿論、少女のおごりで、だ。秋も近い曇り空の下でソフトクリームは少々場違いな気もするが、闘争の後の火照った頬には冷たくて心地好い。コーンの先端までバリバリと食べてしまうと、ローザはベンチの背もたれに両腕を引っかけ、腰を前にずらして空を見上げた。

「あ〜あ。やっと自由になれたと思ったのになぁ。今更家に戻りたくもないし……」

 少しずつコーンを噛っていた少女が、驚いて振り向く。

「家出でもなさったんですか?」

「まぁね。あ、言っとくけど、別に追い出されたわけじゃないのよ」

 少女の瞳に浮かんだ憐憫の色に、ローザは慌てて言い足した。会って間もない少女に話して聞かせるようなことでもない気がするが、彼女の素直で純粋な瞳を見ていると、何故だか不思議と話したくなる。

「こう見えてもね、あたし結構いいとこの娘でさ。何て言うのかな、古臭いというか、保守的な家だったのよ。小さい頃から何でも手に入ったけど、本当の意味で手に入れられたものはほとんどなかった。で、イヤになって飛び出したの。商売のほうも、本当は親父のコネ出せば楽なんだけどね」

 ローザは懐から銃を取り出すと、空に向けて撃つ仕草をした。

「今はコイツが唯一の相棒ってワケよ」

 少女は銃口のさす空を見上げた。

「羨ましいですね、そういうのって。私にはそんなこと、とてもできません……」

 サングラスの奥の瞳が、眩しさに耐えるように細められる。ローザは手を下ろすと、弾倉に新しい弾丸を詰め始めた。

「コイツはね、あたしの家に伝わる《吸血鬼退治の銃》なの。昔、ご先祖様がコイツで吸血鬼を退治したんだって……人にあらざる者、闇にすまう者よ。我が名はデュルゼル=レクター、そなたに永久の眠りを与えんとする者である」

 ローザは芝居がかった口調で言った。

「互いの尊厳と誇りにかけて、全身全霊をもって戦おうではないか……ってね。ま、信じちゃいないけどさ……でもコイツ、結構いい銃でしょ?」

 弾倉を手のひらで回転させ、軽く振ってガチャリと元の位置に戻す。ローザの言葉通り古びてはいるがしっかりとした造りで、銃身に彫られた模様も美しい銀製のリボルバーだ。少女は少しの間、銃をまじまじと見つめていたが、やがて確信に満ちた声で言った。

「これは……どうやら、とても強い《力》のある銃のようですね。確かな意志をもって扱えば、きっと貴女の想いに応えてくれます」

「へぇ……不思議ね、あたしんちのバーちゃんも同じこと言ってた」

「ええ、間違いないと思います。本当に吸血鬼を倒したのかどうかはわかりませんけど……あ、そうだ、吸血鬼と言えば……」

「何?」

「近頃、この街に吸血鬼の噂が流れているのをご存じですか?」

 少女の何気ない言葉に、ローザは事件の匂いを嗅ぎ取った。

「ううん、初めて聞くわ……詳しく教えてくれる?」

「はい……数週間前から、十数人もの若い女性が夜闇に紛れて襲われているんです」

 ピンク色のサングラスを点検しながら、少女は事件のあらましを説明した。

「そのほとんどが未遂に終わってはいますが、既に三人の方が命を落としています。助かった方達も逃げるだけで精一杯だったらしく、犯人は依然不明。喉を喰い破るという殺害の仕方から、野獣の類の仕業ではないかとも言われていますが……この辺りには、古くから吸血鬼の伝承があるので……」

 色硝子を太陽の光で透かし見て、少女が眩しそうに目を細める。

「警察も捜査に行き詰まっているらしくて、真犯人を捕らえた者には賞金を出すとか」

「賞金?」

「はい、ラウアール金貨で百枚だそうです」

「ひゃ、ひゃくぅ!?」

 ローザは思わず大声を上げてしまった。大見栄きって家を飛び出してからというもの、一月につきラウアール銀貨三枚のおんぼろアパートで慣れない貧困生活を送っていたのだ。すっかり金勘定が板についてしまった頭をフル回転させ、素早く回答をはじき出す。以前見つけたテナントを借りて、生活と開業に必要な道具を揃えても、十二分におつりがくる額だ。貯金も底をつきかけている今、この機を逃す手はない。

「……よし」

 ローザは決心した。

「やってやろうじゃないの。初仕事には大き過ぎるくらいでちょうどいいわ」

「えっ?」

 このような展開は予想していなかったのか、少女が驚いた様子で振り向く。

「……あの、変なことを聞くようですけど……恐くはないのですか?」

「まさか。この街のことを調べたときに、図書館の蔵書で読んだことがあるのよ。もうずっと昔に、東方から上陸した伝染病で大勢の人が亡くなったって。それのことを、昔の人は《吸血鬼》って呼んだらしいわ。そんな昔話より、本当に恐いのは人間のほうよ」

「そう、ですか……そうかも知れませんね」

 少し安心したように微笑んで、少女は鞄の蓋を閉め、立ち上がった。いつの間にか目の前に止まっていた古い馬車の扉を開け、座席の奥に鞄を乗せて振り返る。

「それでは、私はこれで失礼させて頂きます。今日は本当にありがとうございました。このお礼は、いつか必ず」

「いいわよ、ソフトクリームおごってもらったし」

 少女は心から嬉しそうに微笑むと、深々と御辞儀をして座席に乗り、扉を閉めた。

「私、《風渡る丘》に住んでおります。もしよろしければ、お暇なときにでも是非お越し下さい。ああ、申し遅れましたが私、橘=優乃=ジェクスクトと申します」

「ユーノ……ね。私はローゼンシル=レクターよ。ローザでいいわ」

 逞しい後ろ姿の御者が馬にムチを入れ、馬車がガラガラと音をたてて動き出す。

「ではローザさん、また」

 少女が小窓の向こう側で小さく手を振る。やがて馬車が行ってしまうと、ローザは両脚を振り上げ、跳ねるように立ち上がった。

「さて、やるだけやってみるか! せーっかく憧れの街に来たんだもんね!」

 う〜〜〜〜ん、と大きく伸びをして、晴れ始めた空に向けた目を細める。

 規則正しく配列された石畳の街路が、青々と繁る常緑の街路樹が、小舟の行き交う穏やかな流れが、陽の光に照らされて明るく彩られている。雲の切れ目から覗く青空は何処までも高く、南の山脈から吹き降りてくる風に港特有の湿っぽさはない。

「《風と水の都》か……綺麗な街ね」

 ローザは涼しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「珍しいですね」

 御者台で馬を操りながら、男は後部座席の主人に声をかけた。

「お嬢様が屋敷に人を招待されるとは」

「面白い人なんですよ。行動的で、自信にあふれていて……」

「ほぉ、この街の女性にしては珍しい」

「つい最近、他の街から引っ越してきたそうです。……家を、捨てて」

 楽しそうに喋っていた少女の瞳に、ふと寂しげな色が宿る。

「でも、私は逃げ出せない……」

 男は振り返らなかった。主人がどのような表情をしているのかは見なくともわかる。

 風に髪を乱されながら街を眺める少女の顔には、深い孤独の表情が浮かべられている。

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