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 数日後。

 銀行を兼ねた役所の館内で、静かな戦いを繰り広げる男女の姿があった。

「しつ、こい、です、ねぇぇぇっ」

「そ、れは、どう、もぉぉぉっ」

 受付の窓を閉めようとしているのは、以前ローザと優乃の応対をした、縦幅の狭い眼鏡をかけた男だ。そして受付の窓をこじ開けようとしているのは、他でもない、ローザその人だった。役所を訪れていた他の住民や、カウンターの奥で事務の手を止めている職員たちの呆れたような視線を浴びながら、一進一退の攻防を展開している。

「仕事、の、こと、なんだけど、さぁぁぁっ」

「ダメな、ものは、ダメ、なんですぅぅぅっ」

 ローザの怒涛の攻撃を、受付係が精一杯の力で押し返す。

「何、と、言われ、ようとぉぉぉっ、必要な、書類を、提出して、いただかなくては、です、ねぇぇぇっ」

「書類、なら、持ってきてる、わよぉぉぉっ」

「……へっ?」

 受付係が呆気に取られた隙に、ローザは素早く窓と窓枠の隙間に手を入れた。そのまま一気に攻め落とし、つっかい棒代わりに肘を置く。

「えーっとぉ? 国の許可証か、古くから街に住んでる人の紹介状がいるんだっけぇ?」

 わざとらしく言いながら、ローザは懐から一枚の書状を取り出した。しぶしぶ書状に目を通した受付係の半信半疑のまなざしが、みるみる内に驚愕のそれへと変わる。ローザが出した書状はウィンストリア警察署長直々に彼女に宛られた感謝状であり、また探偵として開業させることを役所に強く推薦するものでもあった。

 あの夜、意識をなくしたローザを優乃が運び去って間もなく、異常を察した周囲の住民の通報により、教団《光と闇の礎》の教会は警察の立入捜査を受けていた。教会内にいた者が一人残らず眠っているという異常事態に捜査は難行を極め、また吸血鬼による連続殺人事件を裏で操っていたことについては決定的な証拠が何一つ見つからなかったので教団が罪に問われることはなかったが、建物内を隅々まで捜査した結果、教団が大量に所持していた武器の数々や不当に信者から押収していた金品などが相次いで発見され、教団の権威は絶望的なまでに失墜。ウィンストリアにおける布教活動は事実上崩壊した。

 やがて目覚めた人々の証言からローザが吸血鬼を倒したことが明らかになり、警察は今後も起こりうる同じような犯罪への牽制を兼ねて、ローザを大々的に表彰した。ローザは賞金のラウアール金貨百枚と感謝状を受け取ったその席で、今後もウィンストリアの治安維持に貢献することを誓い、その活動を全面的に支援するという内容の文面を、感謝状の末尾に書き加えさせることに成功したのだ。

 余談だが、教団《光と闇の礎》ウィンストリア支部の最高責任者であったワイアード大神官は、吸血鬼はまだ生きている、死んでなどいないと喚き続けたため、精神に異常をきたしていると見られて病院送りになったらしい。優乃の話によると、流石に大神官を務めていただけのことはあり並の精神力の持ち主ではなく、記憶封鎖のかかりが不完全だったのだろうということだ。

「えーっとぉ? それから確か、保証人がいるって言ってたわよねぇ?」

 ローザの勝ち誇った声に、茫然と書状を見つめていた受付係が我に返って顔を上げる。

「紹介するわ。彼女があたしの保証人……橘=優乃=ジェクスクトさんよ」

「どうも、こんにちは」

 ペコリと御辞儀する優乃を見て、受付係があんぐりと口を開ける。震える指で優乃を指差し、口をパクパクと動かしている。先程の反応から彼が今回の事件に関してほとんど何も知らないことを看破したローザは、意地の悪い笑みを満面にたたえつつ、懐をごそごそと探りながら彼の顔を覗き込んだ。

「ところでさぁ、事務所を建てる場所なんだけど……確かこないだ言ってたわよね? 商業区域の一等地に空きがでてるって」

「え? あ……ええ、確かに」

 傍目にも動揺していることは明らかだが、受付係は平静を装い、眼鏡を外してレンズを拭いた。改めて眼鏡をかけ直し、幾分ましになった顔色で、何処からか引っ張り出してきた帳簿をめくる。あるところで手を止め、帳簿を逆さまにしてローザにも見えるようにカウンターの上に置き、彼は指をさしながら説明した。

「この物件です。この通り、立地条件としては申し分ありませんが……」

「へぇ、いいじゃない。オッケー、買い取らせてもらうわ」

「は……はぃぃっ!?」

 受付係はすっとんきょうな声を上げた。

「買い取るって、この物件をですか!? 賃貸じゃなくて!? 貴女、ここが一体いくらすると……!」

「あら、言ってなかったっけ?」

 ローザはニヤニヤ笑いを崩さずに、懐から身分証明書を取り出し、受付係の眼前に突きつけた。やけに仰々しい赤革の身分証明書には、いかにも高価そうなドレスを身にまとった美しい女性の……いや、紛れもなく、ローザ本人の写真が張りつけてある。

「あたしは旅の超一流の探偵、ローザ。本名はローゼンシル=レクター……世界を股にかける貿易商、レクター伯爵の長女よ」

 頭の中が真っ白になっている受付係に追い撃ちをかけるように、ローザは優乃に目配せして彼女が持っていた皮袋を受け取り、カウンターの上に置いた。紐解かれた皮袋から真新しい金貨を無造作につかみ取り、受付係の目の前にばらばらと積み上げてゆく。

「今ここに、合計百枚あるわ。頭金としては充分でしょ?」

 金貨の山に手を乗せて、ニィッと笑う。

 しばしの後、

「……ふぅっ」

 受付係は卒倒した。


 見物を決め込んでいた他の職員たちが慌てて駆け寄り、受付係を役所の奥へと運んでいく様を見ながら、

「どうして倒れたんですか? あの人」

 優乃が不思議そうに呟く。

「世の中色々あるってことよ」

 ローザは悟ったようなことを言い、優乃の腰に手を回した。

「せっかくユーノが新しく始める商売の相談に来たのにね」


 数週間の後、予定通り商業区域の一等地に、吸血鬼退治の英雄ローゼンシル=レクター嬢を所長とした探偵事務所が開業した。元々は住宅であったところを改装された建物は、所長の趣味なのか少々派手である上に、共同経営者の趣味もきっちりと取り入れてあるらしい。各部には色とりどりの花が飾られており、見た目にはとても探偵事務所には見えないが、結構繁盛しているようだ。ただ一つ、オカルト関係の依頼が絶えないことが、所長の悩みの種だとか。

 それから少し遅れて、街外れの《風渡る丘》に園芸専門店が開店した。いかにも可愛らしくこざっぱりとした店舗は店主の所有する館の一部を改築したもので、品揃えの豊富さと技術力の高さ、そして何よりも店主の可愛らしさと店員の格好良さが評判を呼び、最近では園芸通のみならず、若い男女の間でも人気が出てきているという。もっとも、最初から買物以外の目的で店を訪れた者のほとんどは、もう一方の同性の人品に打ちのめされて、二度と足を運ばなくなるそうだが。

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