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プロローグ

 その街の名はウィンストリア。

 古くから《風と水の都》の異名を持つ、少し大きな港街。

 遠い過去から現在まで続く東方との貿易港であり、周囲を取り巻く複雑な地形から大戦時には最重要軍事拠点であったウィンストリアも、自動車や鉄道の普及に伴い交通網の発達した現在では密かな人気を誇る旅行スポットとなっている。

 街の南方に連なり、一年を通じて雪化粧を忘れないクスウル山脈。数多の砂礫に磨き抜かれて山麓より湧き出る清廉な流れと、それによって分断された区域を繋ぐ大小様々な橋の数々。内陸と海外の文化が混じり合い、建物や服装が独特の美しさを誇る一方で、今尚街の周辺には城跡や高い壁が残り、過去に流された血の多さを物語っている。

 そしてまた。

 百の年月が流れても、千の嵐が過ぎ去っても、万の人々が訪れても、億の草木が芽吹いたとしても……その地に根づいた風習というものは、決して容易に色褪せるものではなく。


「どうしていけないっていうのよ?」

 カウンターに両肘をついて、一人の女性が窓口を覗き込んだ。

「あたしは仕事がしたいって言ってるだけよ。別に泥棒しようってワケじゃないのよ」

「何度も繰り返し申し上げておりますが」

 彼女と向かい合って座っている受付係が、クイッと眼鏡を押し上げる。

「この街で新しく商売を始められる場合、国の許可証、もしくは、この街に古くから住む方の紹介状が必要なのです」

 街の北西に位置する行政区域の一角、銀行を兼ねた役所の館内。高い位置にある窓から暖かな陽光が射し込み、ぽかぽかぬくぬくと心地好い、今は昼下がり。そんな中、役所を訪れた女性も、応対している受付係も、少しばかり不機嫌な様子を見せていた。

 女性のほうはスラリと背が高く銀色の髪は腰にまで及び、翠の瞳が印象的な整った容姿に知的な雰囲気を漂わせている。年の頃は二十歳前くらいだろうか。びしっとしたスーツに身を固めてはいるが、大人の魅力を演出するには少々気が早い感が拭えない。

 一方受付係の男性は、小柄な体型に短く切り揃えた髪、こちらも整った容姿をしているが、縦幅の狭い眼鏡と気難しそうな表情が見る者に冷たい印象を与えている。年は二十代半ばといったところだろう。

「更にもう一つ付け加えさせていただくなら、貴女が何らかの重大な過失を犯した際にその責任を取って頂ける保証人の指定と、保証人本人の了承が必要です」

「……二つじゃない」

 ぼそりと呟いた言葉に受付係がムッとする。女性は慌てて悲しそうな表情を作った。

「あたしはつい最近引っ越してきたばかりなの。国の許可証なんて持ってないし、紹介状を書いてくれそうな人も、保証人になってくれそうな人もいないわ……ねぇ、何とかならないの? あたしイヤよ、これ以上タライ回しにされるのは。どうせ国に許可を申請するのにも、面倒な手続きがあるんでしょ?」

「勿論です。何にしても、必要な書類を提出していただかない以上、どうにもなりません」

 今度は彼女の方がムッとなる番だった。胸の前で組まれた両手に、静かに力がこもる。

「アンタねぇ……あたしを誰だと思ってんの?」

「……誰です?」

 自分で言っておいて、女性がギクリと顔をこわばらせる。苦虫でも噛み潰したような表情に、やがて挑むような笑みが浮かぶ。声音を抑えて、彼女は、言った。

「あたしは……あたしは、旅の超一流の探偵、ローザよ。覚えておきなさい」

「……忘れます」

 受付係はピシャリと受付の窓を閉めた。

 気まずい沈黙が漂い、他の住民や職員たちが互いに顔を見合わせる。

「ナイスな反応してくれるじゃない……やっぱダメか」

 ローザと名乗った女性は、軽く溜め息をついた。頭をポリポリと掻きながら、受付のカウンターの向かい側に並んでいるソファーの一つに、多少乱暴に座り込む。

 ゆっくりと、いつの間にか降り出した雨音のように、役所にいつもの静かなざわめきが戻ってきて初めて、ローザは辺りがずっと静まり返っていたことに気がついた。

「……何か?」

 思いっきり不機嫌な声を出してやると、こちらを見て何事かささやいていた婦人たちがサッと目を逸らした。そのまま素知らぬ顔でカウンターに向かい、受付係と話し始める。職員たちも事務に没頭し始め、ローザがつまらなそうに鼻を鳴らしたとき。

 役所の出入口の扉が開き、一人の少女が入ってきた。

 夏の名残あるこの季節に、少女は長袖のドレスを着ていた。頭に被った麦藁帽子からはふんわりとした栗色の髪があふれ、軽く肩にかかっている。手には繊細なレースの日傘と大きな鞄を持ち、明るい純白の服装とは対照的なブラウンのサングラスが、妙に似合っていて可愛らしい。仕草や服装を見れば十代半ばを過ぎた頃だとわかるが、サングラスの奥に見える大きな瞳と、抱けば折れそうなほどに華奢な身体が、少女の印象をずっと幼く見せている。少女は後ろ手に扉を閉めると、まっすぐにカウンターに向かった。

「あの、すみません。先日お手紙を頂いた者ですが……」

 少女の声に受付の窓が開く。ローザは何の気なしに少女の方を見ていたが、出てきた受付係が先程の彼だったので見るのをやめた。

 清々しい風が窓から吹き込み、髪や服を揺らして去る。山麓の景色は鮮やかな色彩を帯び始め、この街に秋が訪れようとしていることを知らせている。そんな様子を眺めて午後のひとときを過ごしながら、ローザの意識は窓の外とは別の方向に向けられていた。


「これほどの財産を遊ばせておくのは勿体ないですよ。これを元手に商売でも始められてはいかがですか?」

 ついさっきまでローザに向かって、やれ許可証だ、やれ保証人だとうるさく言っていた受付係が、うって変わった態度で少女と話している。どうやら少女はかなりの財産家で、その管理について相談に来ているようだ。

「ちょうど今、商業区域の一等地に空きがでているんですよ。多少値は張りますが、貴女の財力を考えれば何の問題もありません。どうですか、考えてみては」

「いえ、私は……そういうことは苦手ですので……」

 世の中色々よね、とローザは思った。やる気があり、実力もある(と彼女は自負している)自分が手続きの段階でつまづいているというのに、一方では一人で商売が始められるだけの資産と条件を持ちながら、静かな暮らしを望む少女がいる。

 だが少女を妬むような気持ちは、ローザには微塵もなかった。人にはそれぞれ持って生まれたものがある。それが武力であれ、知力であれ、財力であれ……それはその人だからこそ持ち得たのであり、他人が望んで得られるものではないし、また必ずしも本人の幸せにつながるものではないということを、彼女はよく知っていたからだ。

 話はどうやら財産を預けたままにしておく形で終わったらしい。少女が受付係に丁寧に御辞儀をして別れの挨拶を交わしている。

 と、振り返った少女とローザの目が合った。同じように御辞儀をされ、慌ててペコリと御辞儀を返す。少女はにっこりと微笑むと、ゆったりとした足取りでその場を去った。

「不思議な子……」

 ローザは呟いた。開け放たれた窓の向こう、役所の玄関を出たところで、たいして晴れてもいないのに、少女が日傘を広げているのが見える。

 ……と。役所の正面の通りを少し先に行った所に、人相の悪い男たちがたむろしているのが見えた。それとなく少女を観察しながら、何事か相談している。やがて少女が大通りを逸れて脇道に入ると、男たちは数組に別れ、各々別々の脇道に散っていった。

 ローザは立ち上がり、

「しかもモテモテか……ほんと、世の中色々よね」

 颯爽とした足取りで役所を出た。

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