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異変

 それから暫くして自分は、咲の家の前に立っている。先ほどまでの決意はどこへやら。結局なんだかんだで、こうなってしまう。電話の内容はこうだ。


 仕事先から電話を掛けてきた温子おばさんは最近、咲の元気が無いと言う。理由を聞いても何も言わず、部屋に引き篭もりっきりで、ろくに出てこない始末だそうだ。


 そういえば、こないだ学校の夏期講習があったのに、姿が見えなかった。それだけならまだしも、ろくにご飯も食べてないそうで、とても心配しているとの事だった。


 良ければ、様子を見に来てくれないか? と言われ。流石に責任を感じた僕は。はい、分かりました。じゃあ、ちょっと行って、見てきます。と、苦笑いで引き受けざるを得なかったのだ。


 そして今に至る。



 もう、何度目だろうか? という溜息を吐き、彼女の家の前を行ったり来たり、ウロウロしている。あれだけ輝かしく見えた、この青空も、夏の喧騒も、今となっては全てが恨めしい。


 事前に頭痛薬を飲んで来たのだが。ひどく耳鳴りがする。


 近所にある咲の家は、静まり返っている。今まで何度と無く通い、かって知ったる所ではあったが、今日見るそれは、迷える僕に挑む様にそびえ立っていた。


 しかし何時までもこうしていては、埒が明かぬ。ここまで来て、引き返す訳にも行かなかった。思わず息を呑み、家の呼び鈴を、鳴らしてみる……


 暫く経てども返事が無い。その後、何度ボタンを押してもみても、結果は同じだった。


 仕方無しに、携帯電話を掛けてみる……やはり、繋がらない。もしや真昼間から、寝てるのか?と、怪訝に思い。何の気なしに、玄関のドアノブを回してみると……不気味な音を立て、扉はゆっくりと開いた。


 僕は思わず息を呑み。恐る恐る中を覗き込む。


「……ごめんくださ~い……」


 入り口から声を掛けてみても、応答無しである。もしかして、外に出掛けているのか?と思い、家を出ようとした時、脳裏に嫌な考えが浮かんだ。


 大抵、サスペンスもののドラマだと。死体を発見するのは、こんな時である。


「……いやっ……いやいやいや……」


 小さく頭を振り、その思い付きを否定する。咲が自殺などする訳が無い。第一そんな理由は……そんな理由は……無い……訳でも……無い? ……のか? ……んんっ?



 久しぶりに感じる、この焦燥と緊張。一気に背中が、寒くなる。しかしこんな時、僕は、自分が何を成すべきか知っている。自然とその足は、彼女の部屋へと急ぐのだった。


 部屋の前にたどり着き、短くノックをする。


「……咲! 僕だ! 中に居るんだろ?」


 問いかけてみても、沈黙が応じるのみだ。流石に痺れを切らして、思い切りドアを開けた! 今度の扉も未施錠であり、実にあっけなく部屋への侵入を許す。


 小奇麗に整頓された部屋。年頃の女性特有の、甘い匂いがする。しかし、カーテンは全て閉め切られており、空気は淀んでいる。


 部屋の主は……見当たらない。


 どこか、ほっとした面持ちで、誠は歩を進めた。まず陰気なカーテンを開き、窓を開け。室中に新鮮な空気を送り込んだ。


 自分の心配が一先ず杞憂に終わり、安堵したのだが。どっと疲れが押し寄せて、咲のベッドに腰掛けた。


「あ~~~っしんどい……にしても、あんにゃろうは、何処に行きよったんだ。鍵もしないで、無用心な」


 彼女の事を思えば、すぐにでも部屋を出て、その所在を確かめるべきではあるが、この時、先ほどとは異なる悪い考えが、彼の頭に浮かんだ。


「ふっふっふ……石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ! こんなに無用心な、アイツが悪いのだ、もとい! オイラには、おばさんに頼まれて、様子を見に来たという、聖旨があるのだ! 何を憚る事ぞある! ……ええぃ、者共。頭が高い! 控え! 控え~い! 控えおろ~~~ぅ!」


 例によって独特の思考と論法により、自己を正当化する誠であったが。これは、立派な不法侵入である。


 だが初めて入る年頃の女性の部屋という事で、彼は妙に舞い上がっていた。


 以前にも此処に来た事はあったが、それは小学校の時分だったので、なんら特別な感慨を持ち合わせていなかった。しかし今、目の前にある空間は。健全な青年の身の上にしてみれば、未知なる神秘の世界と言っても過言では無い。


「うえっへっへっ! さ~て、お宝、お宝はっと……ん? これは?」


 半分開いた机の、引き出しの中を見てみると。そこには彼女の日記が収まっていた。


「ある人は言った、約束は破られる為にあると! そして、今僕も言おう。日記は、他人に見られる為にあると!」


 滅茶苦茶な理屈だが、彼を制止する者は誰も居ない。


 パラパラとめくり、内容に目を通す。一日大抵数行で終わっており、その日にあった、たわいも無い事が書いてある。さぞや、自分の悪口を書いてあるかと思ったが、さにあらず。良い思い出ばかり、そこには綴られている。


 近況の記述が気になり、ページを進める。あの日、咲に別れを告げた日の所をめくると……



 ページ一面に、黒い線が波打つ。真っ黒にボールペンで塗りつぶされた、見開き一杯の感情の塊が、そこにはあった。



 誠の浮かれた気分など、これを見て吹き飛んでしまった。彼女は、何を書こうとしたのか。いっその事自分を捨てた男の事など、紙の上だけの事でも、けなし、非難を浴びせ、苛めば、幾らかは、気が楽になるだろうに。少女は、そういった類の事すら、できなかったに違いない。


 指で触れると所々、紙が歪んでいるのに気付く。きっと、泣いていたんだろう。その日以来、日記は更新されていない。



 静かに誠は日記を戻した。浅い溜息。外を見れば、大分と西日が射して来て、空は茜色に染まりつつある。けだるい午後。


 ふと見渡した先に、一つの箪笥があった。上から二段目の棚がやはり、少し開いていた。なんとなく、そこも開けてみると。丸いカラフルな物体が、いくつも並んで入っている。


「……? なんじゃ、こら?」




 その内の一つを、手にとって広げてみると。なんと!それは、女性用のショーツ、そのものではないか!


 事ここに至りて、罪状が一つ増えたのだ! 不法侵入の件は、まだ言い訳ができるが、下着ドロボーは、何の弁解も出来ない! 慌てて元に戻そうとするが、焦れば焦るほど、うまく畳めない!


 自分の軽率さを直ぐに後悔したが、覆水盆に返らず。時は元に戻らないのだ。早く対処しなければ、大変な事になる。



 大いに焦る、その後ろで。静かにドアが開く音がした。


「……マコちゃん?」



 震天動地! 晴天の霹靂とは、この事か! 万事休す。そこには、風呂上りの咲が、パジャマ姿で立っていた。


「っっつ! ちっ違うんだ! これは! おっ落ち着け!」


 お前が落ち着けと言われそうな程に、少年は取り乱した。慌てて証拠隠滅を図り、ズボンの後ろのポケットに彼女の下着をねじ込む。


 次の瞬間、咲は誠目掛けて突進した! 絶対ぶたれると覚悟して、僕は歯を食いしばり、固く目をつぶったが、そうではなく。以外にも、柔らかい感触が、胸の内へと納まった。


「マコちゃんだ、会いたかった……会いたかったよぅ」


 急に抱きつかれた誠は、バランスを崩し。二人はベッドへと、倒れ込んだ。


 それから暫くしても、飽く事無く、少女は泣き続ける。途方に暮れた少年は、ぼんやりと天井を見ながら。ただ彼女の頭を、撫で続けていた。


「落ち着け……落ち着け……」


 自分自身にも言い聞かせるように。それだけを何度も、口にした。


 どれくらい、時間が経ったろうか。ひどく長くも、一瞬の様にも感じられる。


 やがて彼女の方から愚図るのを止め。しかし胸に顔を埋めたまま、たどたどしく話掛けて来た。


「……ありがと、マコちゃんは、きっと来てくれると信じてた」


 釈然としないまま、無言の内に僕は頷いた。というより、それしか出来なかった。


「ねぇ、分かる?」


「分かるって……何が?」


「ふふっ、もぅ、ダメだなぁ」


「咲ね、あれから3キロも、痩せたんだよ。ダイエット、成功したんだ」


 そう言って顔を上げた少女は、頬が痩せこけており。やつれているのが、見て取れた。


「えらいでしょ、見直した?」


 掠れた声で明るくおどける彼女を、僕は、抱きしめずにいられなかった。このいたいけな少女を追い込んだのは、紛れも無く自分なのだ。硬く結んだ口元から、嗚咽が漏れる。堪えようにも、涙が出て止まらない。


「咲、ゴメンな……悪いのは、全部僕だ。ゴメン、咲」


 彼女の肩を抱いて、むせび泣いていると。耳元で、少女は甘く囁く。


「ヤダなぁ、マコちゃんは、何も悪くないよ。それより、いい考えがあるの」


 それは、初めて聞く声だった。妙に艶かしい、誘うような声。


 咲はゆっくりと、体を起こし。馬乗りになると、僕の目をじっと見つめた。


「……ねぇ、マコちゃん」


 夕暮れ、赤光、怪しく照らす。


 幼い少女の、面影も。今は娼婦の如くにて。濡れたる瞳の、熱い眼差し。首を傾げるその姿。思わず少年、魅入られて。何も言えずに、息を呑む。


「男の人は……皆、好きなんだよね……」



 一体コイツは、何をするつもりなんだ? と、思いながらも。ヘタに動けない。僕は今まで感じた事の無い、違和感に襲われていた。


 意味ありげな微笑を湛えながら、ゆっくりと白く幼い指が、パジャマの胸元のボタンを外していく。


 チラリと覗く胸元に、思わず顔を背ける。


「……止めろよ。お前、自分が何しようとしてんのか、分かってんのか?」


「大丈夫、心配しないで。咲がマコちゃんを、気持ち良くしてあげるから」


 かの傾国の美女、楊貴妃の。


 瞳を巡らせて一笑すれば百媚生じ、六宮の粉黛、顔色なし。

(ひとみをめぐらせて、にっこりと笑えば。なまめかしさも、ここに極まり。幾多の美女も、到底及ばない)


 という故事を彷彿とさせる、彼女の笑顔。


 楊貴妃の主、大唐帝国玄宗皇帝をして、そうであったように。また、呉王夫差と西施。周の幽王と褒の例の如く、美女によって己の身代を持ち崩し。あまつさえ国家を転覆させてしまった話は、枚挙に暇が無い。


 とかく男にとって、ある意味女性ほど注意すべき対象は無いのだ。


 学園のアイドル、柏原少年をも魅了し。誠の悪友、千葉の調査による学校内美少女番付けでも、一、二を争う人気の咲に請われれば、大抵の男はなびくだろう。


 しかし彼女が相対しているのは、道義が廃れ、釈尊の法の救いが届かぬという滅法の世にあって、今なを四書五経を通読し、古の聖賢を希い、己も君子たらんと大道を歩む、若き志士。一宮誠、その人であったのだ。



 ビシッと、鋭い音がして。平手が宙を舞う。


 

 振りぬかれた覚醒の一撃は、確かに彼女の左頬を捉えた。


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