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決別

 先に話を切り出したのは、彼女だった。なんとかこの、深刻な雰囲気を変えなければならない。


「……いゃあ……その……なんだ……」


 何か気の利いた台詞を言おうとするが、まるで口が動かない。自分としては、特に悪い事をした訳では無いと思っているが。明らかに彼女は怒っている。取り乱してない今の内になんとか説得しなければと、内心焦っていた。


「……し……しかし君も、勿体無い事するねぇ! 彼は、学園一の人気者だし、成績優秀。品行方正。付き合うには、申し分の無い相手じゃないか! もし、将来。結婚なんかしちゃったりしたら、社長婦人とかに、なれたかも知れないのに……ハハハハ……ハッ」


 引きつった笑顔のまま苦しい言い逃れをした、その時。咲は手にした巾着を思い切り誠にぶつけた。


「そんな事聞いて無い! 何でマコちゃん、こんな事するの! どういうつもりなの!」


 最早少女は絶叫している。大粒の涙が頬を伝い、乾いた砂の上に落ちる。硬く拳を握り締めて、あらん限りの力で誠の胸を叩く。耐えかねて彼は、その両手を取り抑えた。


「知ってるくせに!」


「……全部柏原君から聞いたよ、どういう事?」


「マコちゃん! 咲の本当の気持ち、知ってるくせに! 何でいつも知らん振りするの? 何で、こんな酷い事するの? 何で!」


「落ち着け! ……うぉっ、こら! 暴れんな!」


 二人は縺れ合って砂浜の上に倒れこんだ。不覚にも体制を崩した誠は、次の瞬間。彼女のとった行動を、止められなかった。


 彼の唇の上に、彼女のそれが重なる。乙女の熱い涙は、唖然とする少年の頬をも濡らす。



「好きなの!!」



 一際大きな爆発音。体全体に響いたる後、間近に迫る流星群。それは、手にも取れそうに思えたが、やがて音もなく消え去りぬ。


 何かに打たれたかの様に跳ね起きた誠は、無意識の内に口を手で拭った。激しい目眩に吐き気がする。幼い日からふとした拍子に、正治おじさんの事を思い出すと、その都度襲われたこの感覚。しかし必死に自分を立て直し、決然と言い放つ。


「……ちがう、お前は勘違いしてるんだ……おじさんがいなくなったから……僕をその代わりとして、見ているだけだ」


 思いもよらぬ誠の言葉に、今度は咲が呆然とする。


「……そんな……咲はマコちゃんの事、そんな風に思ったことなんて無いよ! マコちゃんは、お父さんとは、違うよ!」


「いや、違わねぇ!! お前の僕に対する思いは、死んだ正治おじさんへの、感情の置き換えだ! すり替えだ! 断じて、僕個人に対する、感情じゃない!!」


 今度は誠が声を荒げた、少女は驚いて彼を見つめる。


「いいか? お前がここに引っ越して来た時。まるで、他の誰とも……僕ともたいして口を利かなかったろ? それが、おじさんが亡くなって、他に頼る存在が無くなったから、精神の安定を保つための代替品が必要になったんだ。それがたまたま僕だった、それだけの事なんだよ!」


 暫しの沈黙。花火はフィナーレへ向けて勢いを増してゆく。


「確かに、最初はそうだったかも。お父さんが事故で死んじゃって、悲しくて……他の誰かと一緒に居たかっただけなのかも……でもね、その後から本当にマコちゃんの事が好きになったんだから!」


「覚えてる? お父さんが死んじゃったショックで、咲が家に引き篭もってた時。毎日様子を見に来てくれたでしょ? 他にも病気で寝込んでいる時に、お花なんかを持って来てくれたよね。道に迷って一人で泣いてる時も、必ずマコちゃんが見つけてくれた……あの頃は、まだうまく言えなかったけど……本当に、嬉しかったんだよ!」


 泣きじゃくりながらも、少女は。偽らざる思いを吐露する。


「……錯覚だ」


 冷淡にもハッキリと、そう言い放つ彼に。彼女は……至極簡単だが、ついぞ今まで、聞くに聞けなかった事を問うた。



「……マコちゃんは……本当は……咲の事……好きじゃ……無い……の……?」


 幼馴染を続けて最早曖昧になっていた、二人の関係は。引き返せない所まで、来てしまった。お互い薄々分かっていた。このままではいられない事を。


「……聞きたいか? ……俺の、本当の気持ちを……」


 ヤメロ。


「……本当に、聞きたいのか?」


 イウンジャナイ。


「……何を聞いても、後悔しないか?」


 イッテハイケナイ。


 突然様子が変わった誠の姿に。咲は言い知れぬ恐怖を感じながらも、後戻りなど出来なかった。


「……お願い、聞かせて」


 少年の全身が、僅かに震える。得体の知れぬ感情が、脳天から爪先まで駆け巡り。遠く、在りし日に、押し殺した筈の感情が、渦を巻いて駆け上ってくる。


 軽い目眩と、耳鳴り。それと、激しい動悸。頭の血がスゥっと引き、青ざめる。自分の中の醜い自分が。話し出すのを、止められない。


 震える口が独りでに。暗き淀みを、語り出す。


「……あの日……おじさんが死んだ、あの日。あの時。あの場所に。実は僕も、居たんだよ」


「……え?」


「……おじさんは道路の真ん中で、猫を助けようとして車に引かれて、死んだんだ。そこまでは知ってるな?」


「……うん」


「……あの猫に、最初に気付いたのは僕なんだ……だから……本当は……僕が死ぬはずだったんだよ」




「……何言ってるの? マコちゃん……止めてよ、意味分かんないよ。」


 突然の思いもよらぬ告白に、彼女は動揺する。


「……いいから、聞けよ最後まで……あの時、そう、あの日の夕方。おじさんと、ばったり道で会って話してたら……ちょうど、母猫から逸れた、子猫が……道の真ん中で、動けずにいるのを……見つけたんだ」



 花火大会はいつの間にか、終わってしまった様だ。漣の音だけが耳に残る。


「……危ないって、叫んで……考えるよりも、体が先に動いてた……でも、走る僕を追い越して、おじさんが助けに行ったんだ」


「突然出て来たおじさんに驚いて、子猫は母親の所へと走って行った。その後だ、走ってきた車に後ろから追突されたのは……言っている意味が分かるか?」


 咲は黙ったまま、その話を聞いている。嫌な予感に体が震え出す。


「あの時……あの猫に、僕が気付かなければ……あるいは、無視していれば……こんな事には、ならなかった……つまりおじさんは……僕が死なせたも同然なんだよ」


 祭りが終わり、好きだった幼馴染の独白に。少女はどうしたら良いのか分からない。ただ滂沱の涙が滴り落ちる。


「……その、おじさんがな。死ぬ前に、僕に頼んだんだ……お前を……咲を宜しく頼むってな」


「だから今まで……面倒を見てきたんだ……それは、恋愛感情じゃない。義務感からだよ……お前が、大人になるまで……僕は、父親代わりになると誓った……世の中の父親がそうである様に。子供の時は、面倒を見てあげて。そのうち好きな人が出来て、付き合う様になったら……陰で見守って行く……うまくやるつもりだった……」


「でも、もうダメだ。お前は……僕の事を、恋愛の対象として、見るようになっちまった。そんな事は許されない……結局……お前が、大人になるのを邪魔しているのは……僕自身だ。今になって、それが良く分かる」


「だから……もう……会うのはよそう」


「何で? ……ねぇ、何で今。そんな事、言い出すの? ……もう会わないって……そんなの嘘だよね?」


 少年の語った残酷な真実を、幼い心は受け入れられない。初めて知った父の死の真相。愛しい人から告げられる突然の別れ。それらの全てを、受け入れる訳にはいかない。


 ふらつきながらも彼女はただ必死に追いすがる。


「分かってくれ……このままじゃあ、永遠に自立なんて出来無いだろ?」


「知らない! 関係無いよ! ……咲を一人にしないで!」



「お前の事が、好きじゃなくてもか?」


 その一言は、どんな鋭利な刃物より、深く、彼女の胸に突き刺さった。今の自分自身、その全ての存在意義を、最愛の人によって否定されている。


「嘘だ! ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だっ! そんなの絶対、嘘だ! マコちゃんは、絶対、嘘付いてるんだ!」


 無言で立ち尽くす青年の胸に、ありったけの力で拳を何度も打ち据える。しかし誠は少女の手を掴み、荒々しく突き放した。バランスを崩した咲は、力なく浜辺に膝を付く。


「嘘じゃない……じゃあな」


 そっけない言葉を残し、青年は一人、背を向け去り行く。十年程続いた付き合いも、只の一夜にて終わってしまった。彼女は、愛しい背中に追いすがろうにも、足に力が入らず立ち上がれない。


 こうして少女にとって、悪夢の様な一夜が過ぎて行った。



 夏休みは続く、果てしなく。本日は快晴である。洗濯物もよく乾く。そうだ、布団も干そう。いい機会だ、図書館にも行こう。母親の用意してくれた、朝食を取りながら。起き抜けの、ぼんやりとした頭で、僕はあれこれ考えていた。


 あれから数日経つ。彼女からの連絡は無い。これから暫く、津波の様に押し寄せる、後悔と自虐的思考に対し。古今東西の英知。易経や、ストア派哲学。フロイトに、発達心理学に至るまで、持てる全知全能を駆使して、自己を正当化する作業の日々を覚悟していたが、存外、日常は大過無く過ぎ行く。例の頭痛と目眩も無い。これには自分自身。不思議で以外だった。


 飯が旨いのである。よく眠れるのである。勉強もはかどるのである。一体、今までの不安と、焦燥は何だったのか……と、思わせる。麗らかな日々が続いていた。



「ご飯、おかわり!」


 勢い良く茶碗を突き出すと。受け取る母は、ウンザリした様子で。


「朝から良く食べるねぇ、全く……最近、咲ちゃん見ないけど、何かあったの?」


「ん? 知らない」


「知らないって……アンタ、気にならないの?」


「んん別に? ……わははははははははっ!」


 テレビでやっているバラエティーの再放送が、妙に面白い。上機嫌の誠だが、母は浮かない顔である。


「別にって……今まで、あんなにベッタリだったじゃない」


「アイツだって年頃なんだから、色々あるだろうさ……いいから、おかわり下さい」


 口寂しいのか、小鉢の沢庵をこりこりとやりながら催促する。


「そんなに欲しいなら、自分でよそいなさい!」


 腹を立てて席を立つ母に。父の情けない声がかかる。


「お母さん、僕にも」


「まったくも~ウチの男共ときたら……たまには、自分の事は、自分でしなさい!」


 ぴしゃりと言い放ち、洗濯へと向かう母。残された二人は呆然としていたが、やがて父が茶碗をよこしてくる。


「……おかわり」


「ぇえ~っ! 僕がやるの?」


 不満げな息子の態度に、眉一つ動かさず再度促す。渋々誠は、自分の分と父の分を電子ジャーからよそい、食事を続けた。


 平和だが、退屈で……穏やかな時間が過ぎてゆく。


 歯を磨き、部屋に戻ると、エアコンの効いた快適な空間で、読みかけだった時代小説を手に取り、日の射すベットに腰掛けた。


 外からは明るい子供達の笑い声が聞こえる。この時ばかりと、蝉が鳴く。周囲は、夏の喧騒に色めきたっていたが。少年の心中はそれと反比例するように、静まり返っている。


 思い返せば、こんなに落ち着いた気持ちでいられるのは、何時以来だろうか……


 正治おじさんが亡くなってからというもの、必死になって咲の面倒を見てきた。中学の頃からは受験勉強も加わり、いっそう余裕が無くなった。


 しかし今になって思えば、全てが終わってしまった事だ。また、過ぎた夢の様である。何をあんなに、気張る必要があったのか。


 後味は悪かったが、これでいいのだ。彼女は彼女の。自分は自分の人生を、これから歩んで行く。お互い、別々の道を進み。それぞれに、好きな人も出来たりして。若かりし頃の思い出を、懐かしく笑いながら話し合う時も、そのうち来るかもしれない。


 人はこんな感じで、大人になっていくんだろうなと、今、僕は考える。100%の解決など、やはりこの世には無いのだ。最善を期待して、努力はするが。その後に迎える結果がどうであれ、それは受け入れなければならない。そこにあるのは、忍耐と寛容。そして妥協と諦めだ。


 古の賢者は語る。ものの道理を、明らかに極める。それを、諦めると言うと。

いくら男女平等、自由民権を叫んでみた所で。所詮この世は、優勝劣敗。優れたるが勝り、劣れるが、負けるのだ。人もまた動物。自然界の厳粛なる掟には、逆らえぬ。


 勝てる者は、一握り。後の大多数は負ける。ならば自然、多くの人が、多くの物事を諦める事となる。


 たとえ無敵を誇る万夫不当の豪傑でも。猛き者も、ついには滅びぬ。ひとえに、風の前の塵の如し。人であれば、いずれ死ぬ。つまりは、究極的に。やがて誰もが、生を諦める事となる。


 死を最大の諦めだとすると、それ以前の諦めは、思うに、予行演習みたいなものなんじゃないだろうか?それは誰にでも訪れる、通過儀礼でもあろう。


 咲にとって、僕を諦めるという行為が。彼女をさらに幸福に。そして大人にならしめる事を、切に願う。古代中国の皇帝が尊崇した、泰山の頂に登り。天神地祇に祈願したい位だ。もっとも、そんな金も暇も無いのだが……


 金色夜叉の、貫一ばりに、アイツの事を突き放しておいて。お前には、幸せになって欲しいとか言っても、全然信用してもらえんのだろうけど。


 まぁ仕方が無い、こうなってしまったものは。時が、全てを解決してくれるだろう。


 あの荘子も、迎えず送らず。未来の事を心配せずに、過ぎた事を悔やむなと、言ってるじゃないか。


 どこまでも澄み渡る、青い青い空に。新たな未来を歩む事を、一人、誠は決意していたが。それが破られるのに、そう時間は掛からなかった。





 もう久しく鳴る事の知らぬ、携帯電話であったが。合戦時における、兵士の断末魔の叫びにも似た悲鳴を上げ。思索の荒野を練り歩いていた、にわか詩人をして、大いに慌てさせた。


 腰掛けていたベッドを飛び起き、その現代文明の利器を取り上げると、相手先を確認する。そこには、咲の母、温子の名があった。嫌な予感がするのだが、出ない訳にもいかない。昔から何くれと無く、お世話になっているし、しだいによっては、事の推移を話さねばならぬ相手だ。重苦しい気持ちで、僕はその電話に出た。




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