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密談

 それでも最近は、徐々に安定してきたと思っていたが、久しぶりの噴火に直面したのだ。


 そう、休火山ではなく、轟々としたマントルを根底に持つ、彼女は紛れも無い活火山なのである。


 一度食らい付いたら雷が鳴るまで離さない、スッポンの様に。獲物に巻き付いて締め上げる、大蛇の様に。僕を捕らえて離さない。



 実のところ彼女自身も一度スイッチが入ってしまうと、堰を切った如く感情の大波に飲まれてしまい。何がなんだか分からなくなってしまうのだ。


 大体いつもは僕の方が折れて、彼女の言う通りにしてあげると。嵐もついには止みにけり。といった風情になるのだが、今回の様に相手のある事だと、そうとばかりも言ってられぬ。



 何の用だか知らねども、あの爽やかな秀才が自分を頼って相談したい事があると言うのだ。水滸伝を愛読している身としては、自分を頼って来られる以上、己の客人。義侠に生きる者として、ないがしろに出来ない。



 そこで、あまり気は進まないが、奥の手を使う事にする。大げさに右手を振り解き、舌打ちをする。一回、地面を見つつ。後に鋭く彼女を睨む。


「……お前……いい加減にしろよ」



 低く威圧的な声で、そう言い放つ。するとどうだろう。ビクッとして咲は後ずさった。


 僕はゆっくりと背を向けて、独り来た道を引き返す。



 咲は黙っていた。彼女もまた、知っているのである。僕を本当に怒らせると、どうなるかという事を……


 以前余りにも束縛するので。いいかげん愛想を尽かし、ロクに口も利かない。という日々を続けた事がある。


 隣で泣こうが喚こうが一切関知しない。鋼の如くの鉄面皮。昨今の政治家も真っ青になる程の、完璧なポーカーフェイスであった。


 その時の記憶が、今も彼女にとってトラウマになっている。



 咲は狼狽しながら、去り行く愛しい後姿を見送る。涙が溢れて止まらない。自分でも時々、何でこんなにワガママなのか、つくづく嫌になる事がある。誠をいつも困らせている事は分かっているつもりだ。しかし一旦感情が溢れ出すと、止めようにも、止まらない。雪山の雪崩の如くに、一瀉千里に駆け下るのだ。


 それでもこれ以上迷惑を掛けまいと。必死に踏み止まる。追いかけて行きたい背中を、堪えて見やる。



「……マコちゃん!」


 このまま黙って見送るつもりだったが、思わず声が出てしまう。すると一瞬立ち止まって彼は。


「……また、明日な……」


 とだけ振り向かずに言った後、走り去った。咲は暫く、その姿を見送っていたが、やがてヨロヨロと、公園のベンチに腰掛けた。


 沈み行く夕日に身を染めて。流れ出る涙を拭いもせず。やがて彼女は、じっと目を伏せた。




 あ~っ……久しぶりに、やってしまったな……


 待ち合わせ場所に急ぎながら、誠は悔やんでいた。仕方の無い事とはいえ、後味は悪い。極度の緊張からなのか、急に走り出したからか、やたらと腹が痛い。頭も痛い。唯一の救いなのは、人を待たせている為、深く考え込んでいる場合でない事だ。


 いつもなら修羅場の後に襲い来る、猛烈な自責の念に対し。古今の英知を結集した理論武装で戦わねばならぬ時なのだが、そんな暇も無い。


 自分を待つ人が居るのだ。咲以外の人間に頼られるなど、久しぶりの事である。学園のアイドルと化した人物の相談に乗ってやるという優越感も、無い訳ではないが。基本的に、頼まれれば嫌と言えない性格である。



 交差点を曲がり、目的のファミリーレストランが見えた。店に入る前に、弾む息を整える。


 店員に待ち合わせの旨を伝えると、店の奥、人気の無い所に陣取るカッシーの姿を見つけた。


「申し訳ない、待ったよね!」


 さっきまでの暗い雰囲気を悟られまいと、なるだけ明るく振舞ってみる。彼には劣るものの。我ながら会心の笑みである。


「いっ……いやっ、全然待ってないよ! それより、ごめんね。急に呼び出しちゃって。ななっ、何か頼む?」


 どこか普段と違う雰囲気に、軽い違和感を覚えながら。僕はドリンクバーだけ注文し、席を離れた。


 同時にカッシーはトイレへと向かったが、自分が席に戻って、五分経ってもまだ帰ってこない。腹の具合が良くないんだろうか? などと、ぼんやり考えながら、薄い野菜ジュースをチビリチビリと飲んでいると。やがて思いつめた顔をして青年はやって来た。そして口を開く。


「いいいっ、一宮君!」


「? はい。」


 何を緊張する事があるのか分からないが。彼はヒドくアガッている。昨日今日の知り合いでもあるまいし、一体どうしたんだろう? 


「一宮君は……さささっ、桜井咲さんと、交際しているんですか?」


 ポカーンとする誠、イマイチ言っている意味が、よく分からない。


 しかし交際と言えば……かつての中国では、お互いに実力を認めあった者同士、その関係を後世にまで称えられる事がよくある。



 刎頚の交わりや、水魚の交わり、断金の交、管鮑の交わり……古の諸聖賢や、将軍達のそれは。戦乱の世の中にあって一際目映い友情であり、信頼であり、絆である。



 三国志で名高い桃園の誓い。我ら産まれた日こそ違えども、死すべき時は、同じなり! に代表される様な関係を言っているのだろうか?


 いや天下泰平のこの御世で、カッシーもそんな事を聞いているのではあるまい。それならば素直に、咲と義兄弟の契りを結んでいますか?の方が分かりやすいではないか。


 誠は自分自身で飛躍した考えの持ち主だという事を理解しているので。くだらない妄想を頭の片隅に押しやって、彼の真意を問うて見る事にした。


「え? ……何? ……どういう事?」 


「うん、あのね……その……二人は……付き合ってるのかな……って、思って」


 小生はここで考えた、つきあっている? 幕末の剣豪、沖田総司は。足音が一度しか鳴らない内に、三回の突きを放つという三段突きの名手であった訳だが、まぁそういう意味ではあるまい。


 第一、僕らに剣術の心得などは無い。


 ここはやはりあれだ、つまり僕と咲との関係を気にするという事は……



「……カッシーは、咲の事。好きなの?」


 思い切って聞いてみたところ、どうやら図星の様だ。口にしたジュースで、えらくむせ込んでいる。



 かつてカエサルは言った。ブルータス、お前もか。そして今、僕も心の中で言おう。カッシー、お前もか。


 実は僕と違い、咲は結構モテるのだ。中学生の頃から割と頻繁に、友達から噂話を聞いた。紹介しろと言われて何人か良さそうな人を合わせたりしたが、結果はいずれも芳しくなかった。その上必ずといっていい程その後彼女は不機嫌になる。


 何がそんなに気に入らないのか、えらく僕に当り散らすので辟易としてしまい。あんまり彼女に男友達を紹介しなくなった。


 というかその後、友達関係そのものを作りづらくなってしまった。


 故にこれらの失敗を鑑み、巧妙に策を弄して高校生活三年間は、咲と同じクラスにならない様に苦心した。


 わざと嘘の情報を教え彼女とは別のコースの進路にしたり、職員室に先生を尋ね、菓子折りを持って直談判に行った程だ。


 涙ぐましい努力の甲斐もあって、クラスにおいての平和は保たれたものの、やたら休み時間には来るし、登下校には待ち伏せするし。本当にいい迷惑だ。


 クラスの皆も妙に気を使ってくれて、あまり話しかけてこなくなるし。結局、居心地が悪くなってしまう。




 それにしてもカッシーまでが咲の事を好きとは、意外だった。


 何か優等生特有の。例えば、アインシュタインとフロイトの間で交わされた様なインテリジェンスに基ずく悩みの相談だとばかり思っていたので、拍子抜けしてしまった。


 一気に肩の力が抜け、うな垂れる。彼とならば幕末の頃の志士の様に、この国の行く末を忌憚無く話せるのではと期待していたのに、少々がっかりだ。



「……それで、咲のどんな所がいいの?」


 半ば興味も失せてきたので、僕は漫然と聞いた。対照的に彼の顔は益々強張っていく。


「ええっと……その……2年の時にね……その……」


 恋する好青年は、訥々と語り出した。しかし非常にまどろっこしい。要するにこういう事だ。



 僕達が2年生になって同じクラスだった頃、よく咲が顔を出していた。そこで僕と楽しそうに話す姿を見て、気に入ってしまったそうだ。屈託無く笑うところが良いそうなんだが……正直、良く分からん。


 しかし、ようやく話の筋は見えてきた。僕は顔をしかめてポーズを取る。


「……私の灰色の脳細胞が導き出した答えによると。つまりあなたは、この夏。彼女に自分の気持ちを伝えておきたいのですな?」


 導き出した超推理に、えらい勢いで青年は食いついた!


「そそそそそそっそうなんですよっ! ポワロさん! じゃない、一宮君! ……でも桜井さんと、一宮君が……えっと……付き合ってるんなら、このまま……何も言わずにいようと思って……」



 いやぁ随分と奥ゆかしい事ですなと、思いがけず僕は感心してしまった。


 管子曰く、衣食足りて礼節を知るである。


 即ち人として満足な生活を送れるようになってこそ、恥を知り、世間体を知り、他人を尊重した行動が取れるのだという事だ。


 逆に言えば、自分の安全も守れぬ時には法も礼儀も知るものか、という訳なのだが。



 太平の御世になり、若者の精神は堕落してしまったと言われて久しいが、現代社会はその一方で、素直な良き一人の青年を育む事に成功したのだ。


「別に僕と咲は付き合っている訳じゃないよ。仲の良い幼馴染に過ぎないから」 


「えっ……そうなの? なんか……いろんな人に聞いたんだけど……よく分からなくて……」


 これには苦笑いするしかなかった。確かに僕達の関係は微妙だが、咲がどう思っているかは別として、恋人同士ではない。断じてない。そう宣言した事もないし、された事もない。これは事実だ。


「だから、カッシーが咲に告白するのは、自由だよ。」


 にわかに彼の顔に笑顔が戻った。今まで散々悩んできたのだろう。


「でも……一宮君は、いいの? ……その……万が一、桜井さんと、僕が付き合う事になっても」


「いやぁ、全然問題無いよ。むしろ有り難い。僕にとって咲は、妹みたいなものだから。カッシーなら安心して任せられるよ」


「……ふふっ。なんだか桜井さんの、お父さんみたいな言い方だね」


 彼は何気なくそう言ったのだろうが、言い得て妙である。誠は再度、苦笑いをした。


「ヨシ!そうとなれば、計略を練らねば……」


「えっ?手伝ってくれるの?」 


「もちろん」


 誠としては、柏原青年の気持ちが良く理解できたし。協力を惜しむ理由も無い。

 ごく自然に助力を申し出た訳だが、まさかこの事が。後にあれだけの波乱を呼ぶとは。今はまだ知る由も無かった。







 それから数日経ち。僕達は夏休みに入った。やはり3年生ともなると、遊ぶというよりも受験勉強に励まねばならない。相変わらず今日も咲は、自分の家の様な感覚で遊びに来ているのだが。あの日にカッシーと会って話した内容は、何も言ってない。聞かれてもいない。いつもの様に、たわいも無い会話をし。いつもの様に、一緒に勉強している訳だが。僕はなんとかして、彼の思いを遂げさせるチャンスを作らねばならないと、思案に暮れていた。



 どうすればいいものか……ここは正直に、お前の事を好きな人が居るからデートしてくれば? と切り出せば、まぁそれで済む話なのかも知れないが、そんな簡単に行くものか? 


 チラリと、横で数学の問題を解いている彼女を見る。


 いやいやいやいや、待ちたまえ君。隣のレディは何せ行動が読めない。迂闊にデートを薦めようものなら、どうなるか……機嫌が悪くなるぐらいならまだしも、ヘタをすればカッシーが告白する前にフラれてしまう。それだけは、避けねばならぬ。


 咲の事が好きで、それを今の今まで言えずにいたのだ。ロクに話したことも無いのに、告白しても成功の見込みはほぼ無いに等しい。それでもここで、自分の気持ちを伝えねば、ずっと後悔するだろうから……と、彼は言った。


 純情少年の一大事だ。


「……なんとかしてあげたいのぉ……」


 腕を組み、思わず声に出してしまった。とたんに咲が怪訝な顔で、問い質す。


「何が、何とかしてあげたいの?」


 ぎくっとして、慌てて取り成した。というか、トボケて見せた。それしかない。


「えっ? あれっ……そんな事、言ったっけ?」


「うん、今言った」


「あ……ああっ、独り言だよ……はははっははっ」


 さぞかし僕の笑い顔と声は、引きつっていた事だろう。咲でなくとも不審に思う筈だ。


「……マコちゃん、最近変だよ」

「僕が変なのは、ずっと前からだ」 


「違うよ。確かに、前から変だけど。最近は……その……とにかく、もっと変なの!」


 何てヤツだ。僕が変な事を否定せず、もっと変だとのたまうとは! 僕に言わせれば、四書五経も読まずに世の中をのうのうと生きてるお前や皆の方こそ、よっぽどどうかしている!


 ーーと、この話は長くなるからこの辺にしておいてだ。まったく咲め、君のせいでこんなにも悩み、苦しんでいる男が少なくとも世界に二人居るのに、親の心子知らずと言うか、男の心女知らずと言うか……なんともやり切れない。


「ともかくだ、今は勉強をしたまえ、勉強を!」


「……何か、隠してるでしょう? 正直に言って。怒らないから」


 うっ! 何っ! そう来たか! おのれ、貴様はエスパーか! 俺の心が読めるのか! ……いや、心が読めるのなら。正直に話せなんて、言わないか……はっはっは。


 でも正直に言えって……今までそうして、怒らなかった験しが無いではないか! 小生も若かりし頃は素直にその進言に従った事もあったが、ろくな事にならなかったと記憶している! ここは三十六計、黙るに如かずだ。



 誠が自問自答を繰り返して押し黙っている間も、彼女は寂しそうな顔をして見つめている。


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