新しい春
気が付けば、僕は病院のベッドに寝ていた。やたら体が重だるいが、どうやら帰ってこれたみたいだな。
ふと見ると傍らにいた咲が、喜んでいるのか、謝っているのか、怒っているのか、笑っているのか。泣きながらわぁわぁ騒ぐので、生き返って早速、辟易としてしまった。
正直周りの迷惑なので奴には退室してもらい、後から来た母から、事の真相を聞いた。
それによると、何とあの時突っ込んで来た車は僕に衝突せずに、目前で止まったというのだ! しかし何故入院する羽目になったかと言えば、その後、咲が僕を庇おうと、飛びついて来たのが原因だそうだ。
僕は路上に倒れて頭を打ち、症状は軽いものの、今まで昏睡状態だったのだ。
全く、信じられない話である。
「咲ちゃんに悪気は無かったんだから、きつい事言っちゃ駄目よ」
そう母に言われて曖昧な返事をした後、ばつが悪そうに、しずしずと咲が病室に入って来た。その神妙な面持ちが何だか面白かったので。
「おい咲」
「何、マコちゃん」
「お前本当は心の中で、僕の事を、いつか殺してやりたいと思ってたんだろ?」
等と煽ってみると、みるみるその大きな目に涙が溜まり、次第に滂沱と流れ出す。
「ごめんなざい! マコちゃん、ごめんなざい!」
予想通りの反応、彼女は声を上げて泣いた。僕はそれを見て、可笑しくて堪らず、ゲラゲラ笑い出す。
「コラっ! 誠! アンタ何て事言うの!」
調子に乗って笑ってたら、母ちゃんに包帯で巻かれた頭を殴られた。
「痛っ! ちょっと止めてよ! 怪我人なんだから!」
「あんたが、咲ちゃんを泣かすのが、いけないんでしょうが!」
「ごめんなざい! ごめんなざい!」
「ここは病院ですよ! 静かにして下さい!」
泣く咲、怒る母、笑う僕であったが、仕舞いには騒動を聞きつけた看護婦さんに一喝され、皆大人しくなった。
退院した後、僕等は、これまで二人に起こった事のあらましを、温子おばさんに話した。
今までの確執や葛藤を聞いてもらった上で、改めて、咲との交際を申し出たのだ。
「そう、そんな事があったの。でもね、こんな風に言うと、無責任に思われちゃうけれど。私、咲の事は誠君に任せておけばいいかなって、ずっと前から思っていたの。それは、あの人も同じだったみたい。何故かしら? 自分でも理由がよく分からないけれど、全然心配してなかったのよ。うふふふっ」
はつらつと笑う温子に、二人は思わず顔を見合わせた。
「誠君。これからも咲を宜しくね」
何はともあれ僕達は、おばさんからも了承を賜るに至った。
かなり今更感は否めぬが、キチンと報告せねば性格的に気が済まぬのだ。
それでも僕は、実の両親に対し、面と向かって言うのだけは嫌だったのだが、その後母が耳ざとく聞きつけるに至り、やはり二人で、一応の挨拶をした。
その日は温子おばさんも家に呼んで、焼肉パーティーとなり。酒に悪酔いし出した大人達は、やれ結婚はいつするとか、式場は何処がいいとか、勝手な事を言いたいだけ言って、盛り上がりたいだけ盛り上がった。
とまぁ、こんな事はあったものの、それからの日常は別段大過なく過ぎて行ったのだ。
「ねぇ、マコちゃん! 何考えてるの?」
今日も彼女の決まり文句が炸裂する。
「いや、今朝も君は、可愛いなぁと思っていたんだよ」
「えーっ絶対嘘だね、嬉しいけどっ!」
慣れた苦笑いを浮かべつつ、自転車をこぐ足に力を込める。後ろで、咲も笑っている。
季節はもう春になろうとしていた。
述懐するに、この一年色々な事があった。
外から見れば、変化など無くても。僕達の間柄は、革新的に進歩したのだ。
二人を乗せた自転車は、ゆるゆると人気の無い海沿いを走っている。
「でもマコちゃん、何であんな嘘付いたの?」
「またその話か? もういいだろうが」
「おーねーがーいーっ! きーかーせーてー!」
彼女の言う嘘というのは、センター試験の事である。
本当の僕の点数は、咲のものより上だったのだ。
僕が受かった大学に、咲は落ちた事から発覚してしまった。
トリックは簡単だ。何の事は無い、テストの回答を写す時、あえて間違った解答を、答案に書いておいたのだ。
その事を知ってからというもの、ネチネチと僕に理由を聞いてくる。この辺は、相変わらずだ。
「あの勝負、最初から負けるつもりだったの?」
「まぁな。頑張ってる子には良い事があると、サンタさんも言ってたろ」
「何でそんな事」
「あの時は僕一人が我慢すれば、それで良いかと思ってな」
沈黙が続く。後ろから回された手が、強く僕の体を抱きしめた。すすり泣く声が聞こえてくる。
「泣くなよ。だから言うのが嫌だったんだ」
「ウンっ、咲は、泣いてないよっ!」
と、明らかに涙声で言う。
「あのさぁ咲、お前の名前な、どういう意味か知ってる?」
「えっ? よく分からないけど、意味があるの?」
「あぁ。咲くって言葉は古語で、笑うって意味だそうだ。だから、君は笑ってろ」
「ありがとう、マコちゃん。それ、夢で会ったお父さんから聞いたの?」
「そうだよ。何だか、元気そうでさ。心配するな、幸せになれよって、お前に言ってた」
「うん、分かった」
「あぁそう言えばあの時、弁天様から面白い事を言われたっけ」
「そうなの? 何て?」
「うん。神様は体が無いから、自分達の代わりに人を幸せにして欲しいんだと」
「ふ~んでも、それってどうすればいいんだろう?」
咲の疑問に、滔々と僕は答える。
「まぁ千里の道も、一歩からだと思うよ。修身斉家、治国平天下さ」
「それは論語かな?」
「惜しい、大学です。明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、まずその国を治めよ。その国を治めんと欲する者は、まずその家を整えよ。その家を整えんと欲する者は、まずその身を修めよ」
「要するに、世の為人の為とは言っても、まずは、自分自身が立派な人となる事から始まるんだ。そして、僕にとっての修身とは……まず君を幸せにする事なんだと思う」
それから彼女は沈黙した。変化に気付いた僕は、自転車を止め、振り返る。
「どうした? 大丈夫か?」
「ありがとう、マコちゃん。でも、咲はまた、これからもマコちゃんを困らせるかも知れないなって思って」
「何だ、そんな事気にしてたのか」
俯く少女を後ろに乗せ、再び誠はペダルを踏む。
「之を愛しては、よく労する事なからんや、だ」
「んっ? 何? どういう意味?」
聞き慣れぬ文句に、咲は戸惑う。照れ臭そうに、誠は解説した。
「うぬぅ、一回しか言わないから、良く聞けよ!」
「うん」
「愛しているのに、苦労しない事など出来ないって言ったの! ……因みに、これは論語です」
「……マコちゃん!」
「あいよ」
「大好き!」
「うわっ、馬鹿! 大声出すな! 恥ずかしいだろ!」
咲が後ろで、力いっぱい叫んだので。僕は慌ててその場から、早く立ち去ろうと、一層力強く自転車をこぎだした。まだ肌寒い浜風も、今は妙に心地いい。
愛より青し、恋の季節は終わりを告げ。新しい春の訪れに、二人の胸は高鳴った。
編集し直すだけなのに、妙に時間がかかり、大変でした。
最後まで見て下さり、ありがとうございました。
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