挑戦の冬
あれから三日後。一応医者にも行って、左手の具合も大分良くなって来たので、学校に登校する事にした。
「よう一宮!」
慣れ慣れしく挨拶して来たのは千葉だ。そういえばあれ以来、コイツと林にも会って無かった。
「おぉ千葉か、なんか元気そうだな」
「ははっまぁな!」
「おっ! 一宮! やっと出て来たのか! てか、どうしたその手!」
林も合流して、なにやら喧しくなって来た。どうやら例の一件も気にしてはいない風だ。
「いやあの後、滑って転んで、切っちゃってね。ははは。というか、お前等こそ、あれからどうしたの?」
「まぁ~フラれたさ」
「フラれたね。どうやら俺達はうまく利用されたらしい」
「そうなのか。あれから栗山さんは?」
「それなんだがな」
千葉と林は教室の片隅に誠を手招きし、静かに話し始めた。
「今、彼女の評判はガタ落ちだぜ。あのデートの次の日、彼女が二股? 結局五股くらいかけてたんだが、その内の学校が違う三人が教室に乗り込んで来て、もう大騒ぎだったんだぜ!」
「まぁ前々から色んな噂があるの、知ってはいたんだが、今やこの湘南に知らない者はいない程の有名人になっちまった。最近あの娘に会ったか?」
「いっいや、会ってない」
うろたえる僕を他所に、千葉が述懐する。
「俺が思うにだな、栗山みなみはカッシーにフラれた腹いせに、お前を落とそうとしたみたいなんだ」
「な何だとぉ!」
「あいつ知ってたんだよ。カッシーがお前の彼女の事、好きだってな。だけ
どお前が居るだろ? フラれた所を見計らって告ったらしいんだが、それでも駄目だった。その腹いせに、お前と桜井さんの仲を引き裂いてやろうって考えたんだろ」
「要するに、俺達は皆、栗山の嫉妬に振り回されてたんだな。馬鹿な話だ全く、お前の言う通りだったよ。悪かったな、スマン」
頭を下げる二人を見ると、憑き物の取れたような清々しい顔付きになっていた。
「いや、いいんだよ。彼女もこれで、大人しくなるだろうしね。まぁ高い授業料を払って得た教訓だ、お互いこれを生かすようにしないとな」
「そうだな……? そういやぁ彼女、今日は来ないんだな」
「咲か? あぁ、もうセンター試験が近いからな。終わるまでは、会わない事にしたんだ」
「……」
急に、千葉と林は、押し黙る。
「えっあれ? どしたの?」
短いため息の後、林はポツリと呟いた。
「俺も、これからはちゃんと勉強するよ」
「俺もだ」
授業開始のベルが鳴る。僕等は自然と笑顔になっていた。そして離れ際、千葉が気になる事を言う。
「あぁそうそう、知ってるか?カッシー留学するんだって」
「えっ」
担当の先生が現れて起立する。授業が始まっても、どこか僕は上の空だった。
数日後。
十一月のある休日、僕は一人で空港に来た。カッシーに会う為だ。
あれ以来学校で顔を会わせても、挨拶をする程度になっていたのだが、千葉
の話しを聞き、どうしても来なくては、いけない気がした。
彼が留学を決意したというのは、意外な気もするが。暫く考えると、納得した。もう日本には思い残す事が無くなったのだろう。
正直今更彼に会っても、何を言えばいいのかさえ分からないが、このまま別れてしまうと、後悔すると思う。ロビーの中を進みその姿を見つけると、彼は親御さんや友人達に囲まれて、名残を惜しんでいた。
「カッシー」
遠慮がちに呼びかけてみると振り向いた彼は、依然と変わらぬ笑顔で僕を迎えてくれた。
「一宮君! 来てくれたんだ」
「うん、迷惑かと思ったけど」
「全然そんな事無いよ! 僕の方こそ、黙っていて、ごめん……」
「イギリスに行くんだって?」
「うん。環境問題の研究が、向こうでは盛んだからね。ヨーロッパの本場で研究するのが夢だったんだ」
「そっか。何だか、羨ましいな」
自然と僕はそう言ったのだが、カッシーから、こう切り返されてしまった。
「え? 一宮君には、桜井さんがいるじゃない。そっちの方が、羨ましいよ!」
彼は明るい調子で、おどけて言うが。僕は浮かない顔で俯いた。
「実はあれから、色々とあってさ。今はお互いに、離れてるんだ」
そう聞くと、彼は意外そうな顔をして、首を捻った。
「あぁっ、ごめんね、何も知らなくて。そうなんだ。うん、でも」
「これだけは、言えるかな……桜井さんを幸せにできるのは、一宮君だけだよ」
意外な一言に、思わず僕は、じっと彼の顔を見た。
「どうしてそう思うの?」
「う~ん、フラれた男の、勘かな! ハハハハッ!」
爽やかな彼の笑顔に、つられて僕も一緒に笑った。そうこうしていると、ロビーに搭乗を促すアナウンスが流れ出す。カッシーが乗る便だ。慌ててバックを探り、用意していたプレゼントを渡す。
「つまらない物だけど、これ持って行ってよ」
そう言って僕は厚い文庫本、論語を手渡した。
「ありがとう! ははっ、一宮君らしいね」
「次はいつ頃帰って来るの?」
「分からない。向こうで何か掴めるまでは、帰らないつもりなんだ」
「そうか。でも帰って来た時は、連絡してよ。今度は老子をあげるから」
「うん! 楽しみにしてる」
最後に二人は固い握手をして、別れた。ここに来て、貴重な友人を得た感慨が、僕の胸中を満たしていた。
詩人の李白が、何時までも友人の猛浩然を黄鶴楼から見送った様に、自分もまた、去り行く飛行機を見送っていた。
その姿はみるみる小さくなって、機影は青空に吸い込まれるが如く、消えて行き。後は只、何処までも澄み行く空を見つめるばかりだった。
その後、何故か見送りに来ていた柏原少年の親御さん達に気に入られ、喫茶店で軽食をご馳走になるのであった。
あの日。
初めて咲に刺された日から、もう随分経つ。
肌寒い季節になり、コート無しでは外にも出れない。世間は、クリスマスだ何だとか、ほざいているが。我々受験生には関係の無い話だ。
両親に咲は遊びに来ないのか? と聞かれたが。会わない約束をしているので来るわけないだろ、と言うと、あからさまに残念そうな顔をして。
「クリスマスなのに、勉強なんかするな!」
「せっかく飾りつけもしたのに、あんた達みたいな、むさ苦しいのばかりでパーティーなんて、お母さん、嫌だからね!」
等と受験生の親にあるまじき事を言う。
「あんたが呼ばないんなら、お母さんが呼ぶから! これなら文句ないでしょ! 全く、こんな子に育てたつもりは無いのに、何でこうなっちゃったのかしら」
「お母さんの言う通り! 大学なんて、何処でもいいんだ!」
言っている事が滅茶苦茶だ。センター試験はもう目の前、一月十四日、五日と迫っているにも関わらず、子供の勉強を、最大の理解者であるべき両親が否定するとは。
もうかまってらんないので、さっさと部屋に引き上げた。今日はクリスマスイブだ。しかし、あの千葉や林も、今は目の色を変えて、勉学に打ち込んでいる。
カッシーも夢を叶える為に、遠く異国の地で頑張っているのだ。僕も、気を引き締めてかからねばならない。
自分自身、今もって勉学に勤しんでいる身であるが。その実、現行の受験制度がもたらす学歴社会というものに関しては、疑問を感じている。
試験に費やしてきた勉学の日々は尊いとしても、暗記や計算の能力だけで人間の器量が測れるとは、到底思えない。それに今の学問は、堯舜の頃とは違う。古の聖賢は、自らの生活を正し、生きて聖の道を歩まんが為にこそ、学問に勤しんだのだ。
子、曰く。
古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす
(昔の知識人は、自らの修養の為にこそ、学問をしたが。今の知識人は、人に知られる為にこそ、学問をしている)
孔子が生きたのは、紀元前の五百五十一年だ。論語の中に、この箴言が見られるという事は、当時にして既に道は廃れていたのだ。また曰く。
君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む
(君子は、自分自身に求めるが、小人は他人に求める)
ともある。かくて真の学問は、今は一部愛好者が居たり、訓詁学の教授が、研究の題材にするぐらいのものに、成り下がってしまった。
ある経済学者の大家は、政府が有るか無いか分からない位の方が、経済は発展する。と言ったそうだが、その結果はどうだ。
日本なら、地価の異常な高騰は後のバブル崩壊に繋がり、大量の不良債権を抱える事になった。アメリカでは、返済能力を無視した貸付をごり押しした結果、大量の債権が回収出来ない、サブプライムローン問題となり、リーマンショックとも繋がった。そして不の連鎖は、世界同時不況を引き起こしたのだ。
自由経済が最高の論理だと過信し、市場の成すがままに任せた末の、哀れな末路だ。
やはり政府による、適切な介入は必要だろう。しかし、それはよりグローバルであり、持続性と公平性があるもので無くてはならない。
一考するに。問題が発生する前、誰もがこれらの危機を予見出来たのではないだろうか。
加熱する市場の動向に見切りを付け。安全な所に非難するチャンスが、皆、あった筈である。しかし出来なかった。何故か? つまり誰もが己の欲望を、コントロール出来ないのである。
急騰する市場にあって自分一人、伯夷・叔斉の様な隠者では、いられないだろう。
頭の良い人や、能力のある人は、昔から沢山いる。しかし、深淵を覗くが如く己を戒め。薄氷踏むが如く、道に叶わぬを避ける様な君子は、まるでいなくなってしまった。
だが真実の学問が廃れ、君子が姿を隠したと言えど、社会は活動し続けねばならない。
そこで単純に人を評価する指針として、学歴が重要なのだろう。むしろ就職時においては、簡単な面接の他に、それをもってしか赤の他人を評価する術など、無いではないか。だから、こうなるのも仕方が無い。
今の置かれた立場において、最大限の良知を発揮し、己を磨く事こそ肝要だと王陽明先生も言っている。世の中がそうである以上、慣習に習い、真正面からぶつかっていくのが僕の信条だ。
受験地獄、大いに結構。地獄なら天国に変えるだけの事。これもいい修行だわい。余人を蹴落とすのでは無く、ひたすら自己への挑戦だ。どうせ目差すなら、全国トップ。出来るか、否かなど、どうでも良い。志を立て、実行するのみなのだから。
僕は自身の哲学に乗っ取り、クリスマスに背を向ける様に、机に座った。まだ見ぬ日本全国のライバル達も、そうしているだろう。そう思うと、一段と気が引き締まる。
「よし! いっちょやったるか!」
顔を叩き、鉢巻を締め、いざ参考書を開こうとしたその時。信じがたい事件が起こった。
「メリークリスマース!」
突如として室内に響く、クラッカー音! そこに両親が現れたかと思ったら、いきなりサンタの衣装を着るように、強要される。
「やっ止めろ! あんた達一体どういうつもりだ! ふざけるな!」
「それは、こっちの台詞だ! いいから、これを着ろ! サンタが居ないと、始まらんじゃないか!」
父はまだ宵の口なのに、すっかり酔っ払っている。
「下に、咲ちゃんも来てるわよ。さっさと来なさい」
「だから! アイツとは、センターが終わるまでは、会わないっつってるだろ! 何回言わすんだ!」
「違う! お前はサンタだ! サンタになるのだ!」
全く、いつこんな物を買って来たのか知らないが。強引に衣装を着せられると、無理やり手を引っ張られて、リビングへと連行された。半ギレで入り口まで来てみると、可憐な少女の姿が目に入る。
「今晩は。サンタさん」
「メリークリスマス。お嬢さん」
「ほらほら、さっさと座って! では、皆そろったから改めて。カンパ~
イ!」
異様に高いテンションの両親と、咲。そしてサンタの自分。
意味不明の状況だが、久しぶりに彼女の元気な姿を見て、ちょっと安心した。
いつもは深酒などしない父だが、今日はしこたま飲んだ様で、その内にソファで横になり、眠ってしまった。頑張る受験生の君達を、励ます会だとか何とか言ってたが、要は咲に会いたかっただけだろう。母は父に毛布を掛けてやると、後片付けに入った。咲も手伝おうと、台所へ入る。
「もぉ、いいのよ咲ちゃんは。今日はお客さんなんだからね。来てくれてありがとう。本当に楽しかったわ、誠、送って行ってあげなさい」
最早サンタの設定など、有耶無耶になっていた。




