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江ノ島珍遊記

 約束の日曜日。あれから、咲に電話で話をしたところ。僕が行くなら、栗山さんも行くのところが、どうしても納得できないと言った。まぁ、その点は僕も疑問に思い、千葉に聞いたのだが。拙僧は学内において、成績優秀な生徒として有名らしく、一度会って話してみたかったそうだ。


 自分としては、心中に全く邪は無い。冷静に言って聞かせると、渋々ながらも咲は了承してくれた。


 麗らかな秋の休日。男共は集う。三人集う。


 千葉と林は、この日ばかりはとめかし込んでいる。僕はというと、普段と別段変わりない。ニヤニヤして、やたら機嫌の良い二人に比べ。淡々と手にした書経を読んでいた。


「……おっ、おおおおおおお~~~~っ!」


 やがて上がる歓声。何事かと思いやっと誠が本から目を離すと、そこには栗山みなみの姿があった。


「お待たせ!」


「いや、全然待ってないよぉ!」


 途端に二人の鼻の下が伸びる。それもそうであろう、もう夏も終わったというのに、大きく胸元の開いたトップスからは、自慢の巨乳が谷間を覗かせ。ホットパンツの下からは、健康的な脚線美も露に彼らを魅了している。


 已ぬるかな、吾未だ徳を好むこと、色を好むが如き者を見ざるなり。


 論語で孔子は。もう駄目かな、美人を好む程に、徳を好む人を見た事が無いから。と言っているが、今まさに僕もそんな心境であった。


「お早う! 一宮君。今日は宜しくね!」


「あ、ううん、宜しく」


 何ともやりずらい。古典を通読し、悠久のロマンを愛する誠としてみれば、この現代の女子高生という存在を前にして、如何ともしがたい居心地の悪さを感じていた。なんだか体中がむず痒い。


「それじゃあ、早速、行くとしますか!」


 誠以外の三人は意気揚々と駅を目差して歩き始めるが、彼は早くも家に帰りたいと思っていた。



 一行が目差すのは、江の島である。


 当初何処へ行くかが議論となった。僕は久しぶりだから、鎌倉の大仏様を拝みたいと言ったのだが、にべも無く却下された。しかし彼としては、あからさまなデートスポットなんて、行きたくもないのだ。


 もともと出不精であるし、この話そのものに乗り気でないのもあり、少年達の協議は難航した。


 それで結局、薬局、地元の江の島詣でに落ち着いたのである。


 かって知ったる、我等が庭。ホームグラウンドで勝負した方が、戦局を有利に運びやすいし、展開も予想出来る。水族館もあれば展望灯台もあり、誠の好きな江の島神社もある。斬新さは無いが無難である。それに何より江の島には、恋人の丘があるのだ。


 江の島は、湘南海岸から相模湾へと突き出した、陸繋島である。江戸の昔から有名な観光地で、葛飾北斎や歌川広重等も、画題にしている程だ。


 弁天信仰の元に多くの庶民や芸能に関わる人々の、尊崇を集めてきた神域であり、聖地である。


 しかしその聖地が、別の意味の聖地。つまり、デートスポットの聖地となったのには、理由がある。この辺りの人なら誰でも知っている、五頭龍と弁財天の伝説に端を発している。



 その昔、鎌倉の深沢にあったという湖に、五つの頭を持つ龍が棲んでいた。その五頭龍は、洪水や日照り、旱魃を引き起こしては、村人を苦しめていた。それを治めたくばと、生贄を要求し、多くの人々の命を奪っていたのだ。


 そんなある時、にわかに天地が振動し、海中より江の島が隆起した。そこに弁財天が棲む事となったのだが、件の五頭龍が、すっかりこの吉祥天女に惚れ込んでしまったのだ。


 勢い、五頭龍は、弁財天に求婚する。しかし彼女に、今までの人間に対する、悪逆非道な行いを鑑みるに、とてもそのような方の妻にはなれぬと、断られてしまう。


 落胆して湖に帰った五頭龍だが、よしそれならばと、一念発起し。人間を守る事にした。


 それからというもの五頭龍は弁財天への愛のため、日照りに苦しむ人あらば、雲を呼び雨を降らせ。人々が台風に見舞われそうになると、その力をもって、追い返したという。


 だがやがて五頭龍はその神通力を使い果たし、力尽きてしまった。その亡骸が、片瀬地方にある龍口山となったそうだ。



 要するに五頭龍の恋は成就しなかった、とする向きが一般的だが、実はこの話。誠と咲の間では、長年の論争の種だ。


 昔話によくある事だが、その後、五頭龍と弁才天は夫婦となった。等という説もあり、はっきりしない。咲としては、夫婦説を信じているし、誠は、悲恋説を信じている。


 彼の論拠としては、その後仮に、幸せな夫婦となれたのならば、そのまま江の島神社に、夫婦の神として合祀されていないと、おかしいではないか。というものだ。


 現に箱根神社では、祭神として天孫、瓊瓊杵尊。そして妻神の木花咲耶姫命が共に祭られている。


 しかし咲としては、鎌倉市腰越にある龍口明神社の縁起を信じている。


 当社の伝承では、祭神の五頭龍は江の島弁天と結婚した後に、死んで山となったとされており、毎年十月に行われる大例祭では、神輿を江ノ島まで運ぶ、神輿渡御というお祭りが行われている。


 五頭龍は、妻である弁財天に会いに毎年通っている事になるのだが、疑り深い誠としては、後世の人々が五頭龍に同情して、そのようなお祭りが出来たと思っている。


 そして、これらの歴史を背景に持つのが、恋人の丘問題だ。


 恋人の丘とは、江の島龍野ヶ岡自然の森内にあり、そこには龍恋の鐘なるものがある。五頭龍伝説に因んだ新名所であり、相模湾に向かって、その鐘を二人で鳴らした後。近くの金網に、恋人同士二人の名前を書いた南京錠を付けると、永遠の愛が叶うと言われている。




 しかし彼は思う。


 もしそんな恥ずかしい事までして、後で別れたら、どうするのかと。それに、しょっちゅう行く事は無いにしても、江の島は地元である。女性と二人で来たのを、知り合いに見られでもしたら、どうなるか。考えるだに、恐ろしい。きっと、冷やかされるに違いない。


 しかも、南京錠には、自分と相手の名前が書いてある。わざわざ、あそこまで行って。知り合いの名前がないか、調べる阿呆も無いが。中学生の時は、一部の男子生徒の間で流行ったりもした。油断ならぬ。


 そして、このおまじないは、平成八年に、龍恋の鐘が立てられて後、自然発生的に広まったもので、良く検証してみれば論拠など無いのだ。そもそも龍の恋は叶ってない。


 自分としてみれば、何で物見遊山に来たカップルの恋愛を、弁財天や五頭龍が、叶えてやらにゃあならんのだと思っている。


 元々江の島は修験の地で、役小角や空海上人、慈覚大師が、国土守護、万民救済を祈願した聖域である。恋愛成就に神仏が存在する訳では無い。


 加えて言うなら、東京人が、東京タワーや東京スカイツリーにさして興味が無い様に。地元民である僕も同様である。


 だが咲は違う。それが、引っ越して来たからなのか、少女特有のロマンティシズムなのか分からないが、恋人の丘の伝説を信じている。曰く。


 「もしマコちゃんの言う事が、本当だったとしても。龍さんは、弁天様が好きで、今でも人の役に立ちたいから、きっと皆の恋愛を守ってくれてるんだよ! それで、あんな風習が流行り出したんじゃないかな?」


 拙者は応える。


「この国は、依然として経済不況の波から完全に抜け出せてないし、少子高齢化問題や、社会保障問題。多くの問題が、山積している。富める者は益々富み、貧しき者は、日々困窮して行く。社会の先行が不透明な事から悲観して自殺する人もいる。もし奇跡を起こしてもらえるなら恋愛成就なんかじゃなくて、大いに国民の窮状を救って頂きたいね」


「重ねて言おう。孔子様は、古代の迷信に溢れた世にあって、怪力乱神を語らなかったんだ。先師は現実を見る尊さを、身をもって教えられたんだよ。男と言い女と言ってどれ程に、人の役に立つ者と成れるのか、甚だ疑問だね。それとも、恋人の丘に行く人達は、この世で自分達だけが幸せならそれでいいんだろうか?」


 僕の思考は余りにも、ヤツのそれとかけ離れているので、自然、咲が黙って、うやむやになってしまう。


 要するに何とか咲は、一緒に恋人の丘に行って、二人で鐘を鳴らし、南京錠を掛け、永遠の愛の一つや二つでも、誓いたいのだが。自分に全くその気が無いので、いつも歯がゆい思いをしているのだ。




 話は戻り、一向は小田急線、片瀬江ノ島駅に着いた。当初は近くの、新江ノ島水族館に立ち寄る計画を立てていたが、栗山みなみの。


「あたし、今年の夏7回もそこ行ったし。もう、いいかな」


 という鶴の一声で、変更を余儀なくされた。仕方無しに、ブラブラと土産物屋を見て回りながら、まずはサムエルコッキング苑へと足を運んだ。オシャレで、日本で初のフレンチトースト専門店。ロンカフェがあるからだ。


 フレンチトーストよりも、江の島ならばシラス丼が食いたい。言ってはみたものの、やはり却下されてしまった。千葉に、今度おごるから今回は諦めてくれ! と懇願されてしまった。


 サムエルコッキング苑は、島内の植物園である。四季折々の花々が美しいのはもちろんの事、中には展望灯台が存在し、人気がある。エレベーターで昇れば、遮る物の無い、見事な眺望は格別であり。天気が良ければ、富士山も見える。


 夕暮れ時海に落ちる紅の煌きを、愛する人と二人で見れば。弥が上にも気分は盛り上がり、その後の展開に期待が持てるというものだ。千葉と林は、これに掛けていたが。それも、あっさりと破られる。


 「みなみ、展望台は5回行ったの。景色って、そんなに変わらないよね」


 一同笑って計画を断念した。しかし、同じ受験生だというのに、そんなに遊んでいて良いのだろうか? まぁ、それだけモテるのだろう。とっかえひっかえ、違う男とここに来ているに違いない。竹林の七賢、阮籍ならば必ずや、白眼をもって迎えるだろう。だが学友の林は。


「そっそうだよね! はははははっ。じゃあとりあえず、お茶にする?」


 自分以外の二人は、何とか彼女の機嫌を損なわないようにと必死だ。少々予定は変わるが、一行は早めにロンカフェに入った。


 平屋造りで白い内装の店内は、リゾート地にぴったりで、日本じゃないみたいだ。奥にはテラス席もあり、海を臨む眺望が美しい。せっかくなので僕達は、海側の席に腰掛ける事にした。


 各々注文し、自分はプレーンセットを頼む事にした。運ばれてきたフレンチトーストを口に運ぶと。


「うっうまい! うますぎる! いやぁ、今まで食べてこなかったけど、皆が噂するのも、頷けるなぁ」


 そう、オイラは地元人でありながら、この店に来た事が無かったのだ。以前から咲に執拗に誘われて来たが。そんな恋人同士がイチャイチャする様な所には、出入り出来ぬと、断ってきた。千葉と林は、栗山の気を引こうと躍起だが。僕は新たらしい感動を覚え。携帯電話で写真を撮っていた。


「……君、一宮君!」


 はっと気付いて、顔を上げると。栗山みなみが、こちらを見て微笑んでいる。


「一宮君は、彼女とかいないの?」


 何とも挑戦的に微笑み、いきなり返答に困る事を、聞いてくる。


「う~ん、まぁ、それは、その。似た様なのは、いるけど」



 慌てて、千葉と林は取り繕った。


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