2-2
白い球が、青い空を飛ぶ。
その勢いは凄まじく、見上げる俺の頭なんて軽く越し、白球は運動場の彼方へと消えていった。
つまり、ホームラン。
全く、野球部なんだから少しぐらい手加減しろよ、と思うが、もしかしたら手加減をしてあのパワーなのかもしれないとすぐに思い直した。
「悪いな、笠井」
センターの藤田が、グローブを付けた左手と素手の右手を合わせる。
ボールが飛んでいったのはレフト側、俺の守備範囲の延長線上の位置だった。というわけで、取りにいくのは俺。
「はぁー」
溜息を一つ吐き、小走りで白球の行方を追う。
ゲームはすでに再開されている。
早く戻って来ないとボールだけではなく、俺の打順まで飛ばされそうだ。
植え込みに近い所を走りながら見て回る。
大体の場所は飛んでいった白球の行方を見ていたから分かるが、落下した後にバウンドした方向まではさすがに分からない。
俺の走行方向の先、五十メートルぐらい向こうに人が一人立っていた。
その人影が屈んでボールを拾う。
運動場の反対側で同じく体育をしていた女子の一人が、転がってきたボールを取ってくれたらしい。
「すみません」
走るスピードを上げ、その女子の下に急ぐ。
そして、距離が近づくにつれ、その女子の顔がはっきりしてくる。
「はい」
ボールが差し出される。
「悪いな」
それを俺は、礼を言いながら受け取る。
ボールを拾ってくれた女子は舞方だった。舞方も俺と同じく体操服に身を包んでいる。この時間、俺と舞方のクラスは時間割の都合上体育の授業が被るのだ。
「大変そうね」
「外野は特にな。そっちはサッカーだっけ?」
「もう終わったけどね」
男子の方が女子より往生際が悪いせいか、大体男子より女子の方が早く体育が終わる事が多い。着替えに手間取るというのもその理由の一つか。
「今日は俺の方から迎えに行くから」
「えぇ」
毎週火曜日は四時間目にお互い共に体育があるため、結果的に教室に戻るのが遅い俺の方が舞方の教室に行く事になっている。
「おーい。笠井」
「今、行く」
遠くから呼ぶ藤田に大声を返す。
攻守が交代したらしい。
「じゃあ、また後で」
舞方にそう言い残し、小走りでクラスメイトの所に戻る。まだ相手チームは完全には守備位置に着いてないようだ。
「随分仲良さげだったけど、お前、誰と話してたんだよ」
戻るなり、藤田に絡まれる。
「舞方」
隠す必要も特にないので、正直に答える。
「舞方って……。あぁ、そういえば、お前、舞方と仲いいんだっけ」
「まぁ……」
教室にも何度か顔を出しているため、俺と舞方に親交がある事はほとんどのクラスメイトに知られている。
「最近、特に思うんだけど、なんか舞方ってイメージしてたのと違うんだよな。話に聞いてた感じだともっと無愛想っていうか……。あ、悪い」
舞方の悪口の類の言葉を言って、俺が気を悪くしたと思ったのだろう。藤田が謝罪の言葉を口にする。
「いや、うん」
それに対してどう答えていいのか分からず、俺は曖昧な返事だけを口にした。
「でも、お前を探してる姿とかお前と一緒にいる姿とか見てる限りでは、全然そんな感じじゃないっていうか、確かに無愛想は無愛想なんだけど……なんて言うのかな」
藤田自身、どう言っていいのか分からないようだ。ただ、何が言いたいのかは大体伝わってきた。
「実際、噂話なんてそんなもんだよ」
「だな」
バッドを握り、打席に向かう。
もう時間はあまりない。どうやら俺が今日最後のバッターとなりそうだ。
打席に立ち、バッドを構える。
初球は見送り、ストライク。二球目、掠めてファール。
ツーストライク。早くも追い込まれてしまった。
基本、体育の野球はお遊びだ。フォアボールは無いし、ボール球を見送り続けるという行為も反感を買う。つまり、よっぽどのボールでない限り、打て、と。そういう事だ。
グリップを握る力が知らず強まる。
遊びとはいえ、真面目にやらないわけではない。三球三振して、惨めに帰るわけにはいかない。ましてや俺は、今日のラストバッター。
ピッチャーがボールを投げる。
そのボールがキャッチャーミットに届く前に、俺の振ったバットがそのボールに当たり、そして――
「人には一つくらい取り柄があるものね」
今日の俺の打撃成績は三打数三安打。内一つが内野安打によるラッキーヒット。チームも、俺の最後のライト前ヒットによって勝ちを収めた。
今の言葉は、その結果を聞いて舞方が俺に対して発した個人的な感想である。
ちなみに、今俺たちがいる場所は学食。
そして、俺たちの前にはそれぞれカレーとラーメンが置かれている。
「取り柄って……。ただの体育の授業だぞ。しかも、なんかその言い方だと、俺にそれ以外に取り柄がないみたいに聞こえるじゃないか」
「あるの?」
「……」
答えに窮し、無言でラーメンを啜る。
いざ、自分の取り柄を言えと言われると全く思いつかない。というか、舞方の言うようにそもそも俺に取り柄などないのかもしれない。
「笠井君」
「ん?」
名前を呼ばれ、顔を上げる。
「ファイト」
「……」
励まされてしまった。
その事に更に凹む。
「ま、冗談はさておき」
どこからどこまでが冗談で、どこからどこまでが本気だったのか、詳しく尋ねたいところだが、これ以上凹まされては敵わないので止めておく。
「今日も放課後、図書室で勉強してく?」
「俺は別に構わないけど」
というか、舞方と一緒に勉強すると勉強効率が上がるので、俺にとってその誘いは渡りに船。むしろ、望む所だ。
「そう。じゃあ、今日は笠井君の苦手な教科をやりましょう。分からないところがあったら教えてあげるわ」
実力テストで、学年五位を取った舞方が頼もしい事を言ってくれる。
そもそも舞方は特待生としてこの学校に入ったらしいので、あまり低い順位を取ると学校での立場が危ういらしい。
ま、舞方も学年百二十位だった俺に心配されたくはないだろうけど。……俺の名誉のために言っておくが、ウチの学校の生徒数は一学年四百人を軽く越えている。そのため、百二十位という順位も決して低いというわけではない。もちろん、高いわけでもないけど。
「笠井君は何が苦手なのかしら」
「理数系全般かな? 文系に関しては自分では割りといけると思うけど」
とはいえ、舞方と比べれば月とスッポンだが。そもそも、百位以上の差、比べる事すらおこがましい。
「じゃあ、今日は数学を勉強しましょう」
「おう」
「まずは目指せ、二桁ってところかしら」
そう言われると、少しやる気が出てくる。
最終的には五十位付近にまで順位を上げたい。そうすれば、二年以降、舞方と同じクラスになる可能性が非常に高くなる。二年以降はクラス分けの基準に成績が色濃く反映されるようになるのだ。だが、そこまでの道は険しい。何せ、七十位も順位を上げなければならないのだ。自然、家での予習復習にも熱が入る。
「……」
「何?」
ふと気づくと、舞方が俺の顔をじっーと見つめていた。
何か言いたい事でもあるのだろうか。
「……なんでもない」
どう考えてもなんでもないようには見えなかったが、本人がそう言うのなら邪推しても仕方あるまい。
「笠井君」
「ん?」
再び名前を呼ばれる。
「早く食べないと伸びるわよ」
「……」
ラーメンを口へと運ぶ。
確かに、少し麺は伸びかけていた。