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SMILE  作者: みゅう
1.フィギュア
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1-4

 ――四年前。

 火事現場である自宅から助け出された俺が、病室で目を覚まして最初に思った事は生きているというただ当たり前の生命活動の確認だけ。そこに安堵や喜びの感情はなく、今自分の置かれた状況への混乱や戸惑いもなかった。

 両親が火事で亡くなった事は誰かから聞かされるまでもなく、何となく分かっていた。察したといってもいいかもしれない。気を失う前の曖昧な記憶と空気が、俺に両親の死を教えていた。

 両親の死。不思議とその事について(かな)しみはなかった。その訳は、あまりに有り得ない事実に思考が追いつかなかっただけかもしれないし、これからどうなるのだろうという不安が強過ぎたせいかもしれない。ただ、悲しんだ記憶がない事だけは、確かに覚えている。

 叔父夫婦に自分が引き取られる事は、目を覚ましたその日に知った。見舞いに来てくれた叔父がそう教えてくれたのだ。でも、それを聞いても、素直に喜ぶ事はできなかった。不安が形を変えただけ。そうとしか思えなかったのだ。

 新しい家での生活は、とても恵まれたものだった。叔父と叔母はいい人だったし、紗耶はまるで昔から一緒に暮らしていたように自然に接してくれた。不満はなかった。ただ、不安はあった。自分は本当にここにいていいのだろうかという不安が。

 引き取られた負い目。

 他人の家で暮らす違和感。

 それらの感情は日に日に強くなっていき、俺はどんどん自分の居場所を見失っていった。

 そんなある日だった。紗耶が俺をデパートへと連れ出したのは。

 街に出るのは初めてだった。

 ただ、新しい街並みを楽しむ余裕は俺にはなかった。不安を抱えた中、そんな気分にはどうしてもなれなかったのだ。 

 本当なら街に出るのも嫌だった。

 でも、懸命になって俺を誘う紗耶の事を、どうしても邪険に扱う事ができなかったのだ。

 デパートに入り、紗耶に手を引かれ店内を連れまわされた。雑貨や服、小物などを見てデパートに入ってから二時間程の時間が経った。店内の喫茶店。そこで、俺たちは休憩を取る事にした。会話の内容は覚えていない。おそらく、他愛もない内容だったのだろう。ただその会話の途中、紗耶が言った言葉だけは覚えている。

「やっと笑ってくれたね」

 笑顔で言った紗耶のその言葉を聞いて初めて、自分が笑っている事に気づいた。それは両親が死んでから初めて俺が浮かべた表情だった。そして、気づいた。紗耶が俺の事を自分が思っていた以上に心配してくれていた事に。そこで、ようやく俺は思ったのだ。もう少しこの家族の事を信頼してみよう、と。


 その後、美術館を出て、駅前のファーストフード店で少し早めの昼食を済ました。

 舞方とファーストフードの組み合わせは、正直あまり想像できなかったのだが、特に戸惑う事なく普通に食事していた所を見ると、要らぬ心配だったようだ。今日は、本当に舞方の意外な一面が色々見えて、何かと楽しい一日となった。

 ファーストフード店を後にしてもまだ時間は早く、俺達は適当にその辺を歩く事にした。

「また誘ってくれよ」

「え?」

「美術館。割と楽しめたからさ」

「……考えておくわ」

 雰囲気が気に入ったとはいえ、一人で行くのは少し気が引ける。かといって、美術館に一緒に行ってくれそうな人物は今の所舞方以外思い浮かばない。

「妹さんとはそういう所に行かないの?」

「妹? あぁ、沙耶の事? 沙耶はどちらかと言えば、静かな所とか苦手な方だから」

 紗耶の場合、美術館のような場所に入ったら五分と持たないだろう。

「あいつとは買い物に付き合わされる事はあっても、特別にどこかに行くって事はないな。行くとしたら映画館くらいかな」

「映画」

 何やら、映画という言葉に反応を示す舞方。

「ん? 舞方って映画好きなの?」

「映画って言うより、物語全般が好きなのよ。小説とかドラマとか」

「へぇー……。じゃあ、今度行ってみる?」

「え?」

 何気なく言った俺の誘いの言葉に、舞方が驚きの声を上げる。

「ほらっ、今回は舞方にチケットを(おご)ってもらっただろう。だから、今度は俺がチケット代奢るよ。これでおあいこだろう?」

「私は元々貰い物だし、奢ったつもりはないんだけど……。笠井君がそう言うなら、それでもいいわ」

「じゃあ、良さそうな映画が見つかったらまた誘うよ」

「えぇ。そうして」

 とは言ってみたものの、沙耶と映画を観に行く時は、きまって向こうが何を観るか決めるからな。

「なぁ? 何か好きなジャンルとか――」

 質問しようとして隣を向くと、そこに舞方の姿はなく……。

 立ち止まり、振り返る。今来た道を数歩戻った所に、舞方の姿はあった。

「何か気になる物でもあったか?」

 舞方の元に近づき、尋ねる。

「あ。ごめんなさい。このお店、少し気になって」

 舞方が見ていたのは、一階建ての少し古ぼけたアンティークショップの店外ディスプレイだった。そこにはペンダントを身に付けた熊のぬいぐるみや、その他にも指輪やピアス、オルゴール等が一見無造作に陳列されていた。

「中入ってみるか?」

「いいの?」

「別にこの後予定があるわけでもないし、問題ないだろう」

 扉を開け、店内に足を踏み入れる。

 中も外と同じく、良く言えば(おもむき)のある、悪く言えば古くさい造りをしていた。左右の壁に張り付くようにして陳列棚が設置されていて、中央には真四角の机が鎮座している。ちなみに、俺達以外に客はおらず、カウンターの中の店主も居眠り中だった。

「なんか、すごいな……」

 何が凄いかは自分でも不明だが、そんな言葉が思わず口を突いて出た。

「そうね」

 舞方と一緒に軽く店内を回る。装飾品や食器・灰皿といった小物類から椅子や机といった家具まで、色々な物が所狭しと置かれている。正直、狭い。

 その中でも、舞方は一つのペンダントに惹かれたようだ。卵型の、中に写真が入れられる、所謂(いわゆる)ロケットペンダントと呼ばれる物である。

「欲しいのか、それ?」

「え? いえ……」

 ペンダントの値札を、舞方の背中越しにちらりと覗き見る。……桁が一つ多かった。一年分のお年玉をつぎ込めば、何とかと言う所だろうか。

「行きましょうか」

「もういいのか?」

 まだ店に入って、五分と経っていない。

「えぇ。このお店、私達にはまだ早過ぎるみたい」


 店から出て数分歩いた所で公園を見つけ、そこで休憩を取る。

 そこは、小さななんの変哲もない公園だった。

 駅前の広場よりは多少広いが、それこそ体を一回りさせれば全体が見渡せてしまう、そんなどこにでもある普通の公園だ。

「たまにこういう場所に来たくなるんだ」

 幼い頃に遊んだ場所だからだろうか、公園に来るとひどく落ち着いた気分になるのは。

 あの頃の自分は今より先が見えていなかった。先が見えていなくて、その一瞬を生きるのに一生懸命だった。だから、あの頃の自分には色々な可能性があり、様々な未来があった。その事が羨ましくもあり懐かしくもある。

 公園の外にあった自動販売機で缶ジュースを二つ買い、一つを舞方に渡す。

「座ろうぜ」

 ベンチに舞方を座らせ、自分もその隣に腰を下ろした。

 まだ昼前という事で、公園の中にいる子供の姿は少ない。

 今いるのは、幼稚園や保育園に入る前の子供たちだろうか。母親と一緒に楽しそうに遊んでいるその姿は無邪気で、見ているこっちの方が微笑ましくなる。

「俺だけかな。子供のああいう姿を見てると、その無邪気な瞬間がひどく儚い物に思えるのは……」

「……」

 俺の思惑を察してか舞方は缶ジュースを見つめたまま、じっと俺の言葉を待っているようだった。

 その様子を見て俺は、腹を(くく)り本題に入る。

「家ではあまり学校の話をしないんだってな」

「香奈枝さんに聞いたの?」

「ああ。お前の事、心配してたぞ。余計なお世話かもしれないけど――」

「本当に余計なお世話ね」

「……」

 予想していた事とはいえ、実際に舞方の口から言葉として発せられたものを聞くとやはりショックだった。

「あなたと私は違うわ」

 俺の目を真っ直ぐ見据えて、舞方が突き放すようにそう言う。

「何がどう違うって言うんだよ?」

「私はあなたみたいに強くないわ」

「強い? 俺が?」

「強いじゃない。私みたいに自分の境遇をただ嘆く事をせず、乗り越えて前を向いて生きてる。それを強いと言わなくて何というの?」

「乗り越えてなんかない」

「嘘」

「嘘じゃないよ。乗り越えてなんかない。無理してそう見せてるだけだ。本当は『なんで自分が』って思うし、舞方みたいに普通の人生を送ってる奴を恨みたくなる時だってある」

「だったら、なんで……?」

 俺を見る舞方の目にもう先程までの強さはなかった。まるですがりつくように、まるで助けを乞うように、舞方は俺を見つめる。

「それでも、後ろを振り向かず前を向いて生きるって決めたんだ。そう思わせてくれる人達に出会えたから」

「……羨ましいわ。あなたの家族が」

「一番初めに俺に手を差し伸べてくれたのは沙耶だった」

 いや、手を差し伸べてくれた人はそれより以前にもたくさんいたのかもしれない。叔父であり、叔母であり……。でも、俺はその事に気づけなかった。沙耶に笑顔を取り戻してもらうまでは……。

「何それ? 惚気?」

「なんでそうなる。そうじゃなくて」

 落ち着け。そして照れるな、俺。

「冗談抜きで俺は沙耶に救われた。だから、今度は俺がお前に手を差し伸べたい。助けたいんだ、お前を」

「手を差し伸べるなんて。助けるなんて。笠井君。あなた、一体何様のつもりなの?」

「友達。少なくとも、俺はそう思ってるけど?」

「――ッ!」

 舞方の瞳が揺れる。明らかな動揺がそこに見て取れた。

「それに、偉そうな事言ってるのは、俺自身、百も承知なんだよ。だけど、その事を承知の上で敢えて言わせてもらう。俺は、お前の助けになりたい。助けにならさせてくれ」

「……本当にお節介な人ね」

 そう言って、舞方は小さく嘆息をした。

「でも、気には留めておくわ。香奈枝さんが心配してる事も、笠井君が心配してくれてる事も。私も今のままじゃダメな事ぐらい分かってるの。家での事も、学校での事も。ただどうしても後一歩が踏み出せないの。あなたなら分かるでしょう? 突然家族を失い、今まで住んでた家を失い、全く新しい生活が始まった」

 最初は不安ばかりが付き纏った。俺はこの家に居ていいのだろうか。本当は疎まれているのではないかと。

「香奈枝さんに不満はないわ。むしろ、感謝してる。それでも、いや、だからこそ不安なの。本当は香奈枝さんがどう思ってるのか、他の人がどう思ってるのか」

 俺には、沙耶がいた。年が近く、従兄妹という間柄の沙耶が。それが、どれだけ新しい生活に慣れるための助けになったか。

「別に、無理に今の自分を変えようとしなくてもいい。だけど、叔母さんにくらい色々さらけ出してもいいんじゃないか? 家族ってそういうものだろう?」

「……そうね。確かにそうだわ」

 舞方から同意を得られ、俺は心の中で(ひそ)かにほっと胸を撫で下ろす。

「笠井君」

「ん?」

「今日はありがとう」

「……」

 舞方の思わぬ素直なお礼に、照れ臭くなった俺は返事を返さず、静かに缶ジュースを啜った。

 そのジュースの味は、今の俺の心情を表したかのように少し苦く、そして甘かった。

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