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放課後。俺たちは昇降口前で合流して駅前へと繰り出した。
特に目的地があったわけではないので、本当にただ駅前をぶらつくだけといった感じになってしまったが、俺としてはそれなりに楽しめたし、舞方の方も特段退屈している風には見えなかったのでよしとしよう。
「それにしても、意外だったな」
「何が?」
夕暮れ時の道に二人の影が並ぶ。
日も暮れてきたという事で、今俺たちは帰宅の途へと着いている。
いつもはお互いの家へ通じる分かれ道で別れるのだが、今日は時間も遅いという事で家まで舞方を送っていく事にした。
舞方の家を訪れるのは、実は今日が初めてだったりする。
「舞方も、そういうの嫌いじゃないんだな」
「どういう意味よ」
「いや、言葉通りの意味だけど」
俺の隣を歩く舞方の手には、今日俺がゲーセンで取った人形が抱かれていた。ぱっと見取れそうだったため思わず取ってしまったが、持って帰るのもなんなので舞方にあげたのだ。
自分であげておいて失礼な話だが、文句の一つでも言われるかと思っていただけに、舞方が素直に人形を受け取った時には少し驚いた。
「嫌う要素がないじゃない。こんなに可愛いのに」
「可愛い……」
どう見ても、俺には可愛いというより不細工という風にしか見えないのだが。
そもそも、これはなんという生き物をモチーフにした人形なのだろう。それらしい角が生えているから牛か? それとも猫口だから猫か? ……まぁ、舞方が気に入っているのであれば、なんの動物をモチーフにしていようがいいか。
駅前から歩く事、数分。
「ここよ」
そう言って舞方が立ち止った場所は、深早荘という二階建ての結構な大きさのアパートの前だった。
おそらく、建てられてからそう年数は経っていないのだろう。外観は白く、汚れ一つないと言っても差支えがない程きれいだった。
「じゃあ、俺はこれで」
「待って」
家の前に着き帰ろうとする俺を、舞方が呼び止める。
「折角ここまで来たんだから、上がっていけば。お茶ぐらい出すわ」
「え? でも?」
思いもよらぬ舞方からの誘いに戸惑う。
先程言ったようにもう時間も遅い。それに――
「家の人にも迷惑だろ?」
「心配しないで、まだ多分帰って来てないはずだから」
家族がいない家に上がる。それはそれで問題ではないだろうか。
とはいえ、断るのもなんだし……。
「じゃあ、お茶だけって事で」
「そう。上がって」
一階の一番隅、そこが舞方の住む部屋のようだ。
一○五号室。
入る前になんとなく部屋の番号を覚える。
今後来る機会があるかどうかは別として、覚えておいて損はないだろう。
「おじゃまします」
鍵を開けて入る舞方に続き、恐る恐る舞方家に足を踏み入れる。
まず目に飛び込んできたのは、廊下とその先のリビングの扉らしきガラス戸。
扉の数から推測するに、部屋は全部で五部屋存在するようだ。おそらく、その内の二つはトイレと風呂だろうから、リビングを除いた後の二つが自室という事だろう。前に、叔母と二人暮らしというような話を聞いた気もするし数も合う。
「こっちよ」
通された廊下の先の部屋は、案の定リビングだった。
家具やカーテンは、一緒に住む叔母さんの趣味なのだろうか。白を基調とした部屋の造りが、見る者に清潔なイメージを与える。
どこに座っていいものか悩んでいると、舞方が一つの椅子を引いてくれた。
「ここに座って。飲み物は何がいい? コーヒー、紅茶、麦茶……」
「麦茶でいいよ」
「そう。ちょっと待ってて」
部屋の隅に置かれたソファーの上に人形と鞄を置き、リビングと繋がった台所の方へ舞方は足を進める。
数秒後、二つの麦茶の注がれたコップを持った舞方が戻ってきた。
「どうぞ」
俺の前に一つコップを置くと、舞方はテーブルを挟んで真正面の席に腰を下ろした。
「叔母さんと二人暮らしなんだっけ? 何してる人なんだ?」
「さぁ」
「さぁって」
一緒に暮らしている叔母さんの事なのに、舞方の言い方はどこか他人事のようだった。
「あまりそういう話はしないから」
「そうなんだ……」
なんとなく居たたまれなくなってお茶を口に運ぶ。
そのお茶は緊張のせいか、そもそも種類が違うのか、ウチのお茶とは違う味がした。
その後は次第にここの空間にも慣れ、いつもと同じような他愛もない会話を舞方としながら過ごし、気がつくとこの部屋に来て四十分程の時間が経とうとしていた。
「――と、そろそろ俺帰るわ。家の人も帰って来るだろうし」
「そう。玄関まで送るわ」
舞方に見送られて一○五号室から出る。
思ったより長居をしてしまった。
やましい所があるわけではないので別にいいのだが、出来れば家の人とは会いたくない。俺のいる間に帰って来なくて良かった、というのが正直な今の思いだ。
「あらっ」
「――!」
ほっと一息吐いた所に話しかけられたものだから、思わず過剰に驚いてしまう。
「あなた、もしかして彩音ちゃんのお友達」
声のした方に目線を向けると、そこには一人の女性が立っていた。
女性は、フリル付きの白いプルオーバーに、黒のマーメードスカートという服装で、立ち振る舞いと見た目から大人の女性という第一印象を覚えた。
「えぇ……。まぁ……」
友達という表現に若干の違和感を覚えるが、確かに俺と舞方の間柄は友達以外の何物でもないので否定のしようはない。
「今ちょうどウチから出て来たようだったから、もしかしたらそうじゃないかなって」
まさか、この人って。
「彩音の叔母の眞鍋香奈枝です。どうも」
やはり。
……というか、他に考えられないよな。一○五号室の事をウチって言っていたし。
「笠井裕也です」
舞方の叔母さんに合わせて俺も自己紹介をする。
舞方の叔母というぐらいだからもう少し年上の人を想像していたが、目の前の女性はどう見ても三十歳前後。下手すれば、二十代前半にも見える。
「今、お帰りですか?」
「はい。もう大分遅いですし」
あなたが帰って来る前に帰ろうとしていたとは、口が裂けても言えない。
「そうですか? えーっと、クラスメイトの方?」
「いえ、学年は同じですけど、クラスは違います」
「あ、そうなんですか。私、てっきりクラスメイトの方かと……。それにしても、彩音ちゃんがお友達を家に連れてくるなんて初めてだわ。もしかして、彩音ちゃんとお付き合いをされてたりは……」
「しません」
即答する。
「しないんですか。……残念です。もしかして、彩音ちゃんの他にお付き合いされてる方がいらっしゃったりは……」
「しません」
再び即答。
「あら。そうなんですか」
なんなのだろう、この人は。
俺が誰と付き合っていようが、この人には関係ないはずだ。なのに、なんでそんな事を気にするのだろう? もしかして身元調査? 俺の交友関係を調べて少しでも素性が怪しかったら、舞方との縁を切らせるとか? ……さすがにそれはないか。ただ単に、初めて家に連れてきたという友人が珍しいだけだろう。
「あの子、学校ではどんな感じです?」
「どうと言われても、別に特別変わった事は……」
下手な事は言えず、誤魔化すような言い方になってしまう。
「家ではあまり学校での話をしたがらないから、少し気になってしまって。でも、こんな素敵なお友達がいれば安心ですね」
そう言うと、舞方の叔母さんの顔は急に真剣な物に変わる。
「彩音の事、よろしくお願いしますね」
「え、いや……」
突然の展開に付いて行けず戸惑う。
「少し変わってますけど、あの子とてもいい子なんです」
「ぁ……」
声が出ない。
あまりにも真剣な言葉に、なんて言っていいのか言葉が見つからない。
「だから、出来ればでいいんです。出来れば、あの子とこれからも仲良くしてあげてください。お願いします」
そう言い頭を下げるその姿は、母親のそれとなんら変わりがなかった。